第61話 玉酔

文字数 2,831文字

「ぎょ、御者はお前だったのか」
 わなわなと口を震わせて、麗射は立ちすくむ。
「駱駝や馬を乗りこなせないあなたが石の産地に行くためにはどうしたって貸し馬車を使うしかないことはわかっていました。屋敷の周りの貸し馬車であなたが使いそうなところにあらかじめ手を打っていたのです。『麗射という黒髪の青年が来たら私を御者に使ってくれ』と。もちろん相応のお金を渡してね。そうそう、お金と一緒に凱斗に借りた剣に付いていた紋章も身分保障に役に立ちました」
 清那は勝ち誇ったよう鼻を突きだして首二つ背の高い麗射を見上げた。
 しばらくの沈黙の後、がっくりと頭を垂れて麗射がつぶやいた。
「仕方ない。お前を危険な目に遭わすわけにはいかない。か、帰ろう」
「嫌です、私だって石を探しに行きたい」
「わがままを言うんじゃない」
「ではここで別れましょう。私ひとりで七色洞に行きます」
 頑固な公子が一旦言い出したら聞かないことは、痛いほどわかっている。
「では、ひとまず宿をさがそう」
 麗射はため息をついた。麗射とは裏腹に公子は顔を輝かせて、麗射をいざなうように斜め前を歩き始めた。
「宿ならアイゲルに聞いて探してあります。キュリルを使いに出しました」
「キュリル?」
「アイゲルから玲斗が購入したサボテン鳥です。煉州ではなじみが無いらしく、そのまま庭に放逸されていましたから、私が蜜をやって飼っていたのです。長くは飛べませんが、彼女はとっても賢い子ですよ」
 清那は先頭に立って歩きだした。帰るにせよ行くにせよ、夕闇が迫るこの時間ではここに一泊するしかない。麗射は混乱した頭を抱えながら、きらめく街を歩いていった。
 宿屋は簡素だが、こぎれいで趣味のいい調度が置かれていた。愛想のよい主人が出迎えて、麗射たちを部屋に案内する。部屋に置かれた鳥かごの中でサボテン鳥がすでに蜜の入った壷をついばんでいたが、清那を見ると嬉しそうに目をくりくりと動かした。
「お疲れになったでしょう。粗飯(そはん)ですがどうぞ。水浴びは裏の井戸でしてください」
 水浴びの後で主人が持ってきたのは、赤いサボテンの実と固いパン、干し肉を煮込んだものと飲み物だった。
「玉酔って美しい名前ですね」
 麗射が昼間の街並みを思い出して主人に話しかけた。
「ありがとうございます。名前の由来はご存じで?」
 そういいながら主人はガラスのコップを出し、その中に青みがかった丸い大きな石を一つずつ入れる。石は中に石英を含んでいるのか、光の加減できらきらと輝いた。その上から麗射にはザクロのワイン、そして清那にはザクロ水が注がれる。
「由来は知りませんが、なにやら美しい言い伝えがありそうですね」
 主人は大きくうなずいた。
「玉酔という地名には玉にまつわる言い伝えがあるんですよ。昔、貧しい青年が嫁を迎えることになったのですが、婚礼を上げようにも式に不可欠な祝い酒が買えません。婚礼前日になんとかかき集めた金で酒を買おうとした時に、病の老人が訪ねてきます。心優しい青年は見も知らぬ老人の薬代に有り金をすべて使ってしまいました」
「まるで麗射みたいだ」清那は口に手を当ててくすりと笑った。
「元気になった老人は青年に小石を渡し、桶に入れた水につけておくように命じて姿を消します。翌朝、水につけた石は美しい玉に変わり、水は極上の酒に変わって青年は無事に婚礼に訪れた人々をもてなせたという言い伝えがあるんです」
 うす紅色のワインの中で石は淡い紫に変貌し、きらきらと輝いた。夕陽に照らされた清那の目のようだ、と麗射は心の中でつぶやく。
「まずは一口お飲みください。この石は地下深くで冷やしているんです。少しでも飲み物が冷たく美味しくなるように」
 炎天下を走り抜けてきた二人の喉は、まるで清流が流れたかのような爽快感に満たされた。
「美味しい。こんな飲み方があるんだな」
 麗射が杯を置くと、主人はまたなみなみとワインを注いだ。
「玉酔は初めてで?」
「ええ、たまたま煉州に来る用事があったので、顔料の原料となる貴石を集めに来たのです」
「それではここから七色洞に行かれるんで?」
 主人の顔が曇る。
「以前はさまざまな貴石の産地としてにぎわった場所ですが、最近は治安が悪くなってめっきり石を掘る人間も少なくなりました。ですから、石の加工で栄えたこの街も、原料の高騰でだんだん活力を失っているんですよ」
「七色洞の辺りはまだ大丈夫だと聞いてきたのですが」
「いや、最近は反乱軍の一味が野盗のような真似をするようになり、出没範囲も広がったためここいらでさえも気が抜けなくなりました」
 きらびやかな商店街だが、めっきり人通りが無かったことを思い出し、麗射の胸は痛んだ。
「清那、やっぱり帰ろう」
 食事を終え、寝台に横になってからぽつりと麗射はつぶやいた。
「お前を巻き込むわけにはいかない。実は俺は牢獄に入っていた時に、反乱の首謀者の氷炎と交流があった。もしできればまた氷炎に会いたいと思っていたんだが、やっぱり危険すぎる」
「知っています。氷炎を逃がしたのはあなただと噂になっていましたから。私もあなたが信奉する氷炎という人に会ってみたいと思っていたのです」
 聡明な公子は、麗射の本当の目的をすでに察していたようだった。
「あなたは私を何もできないお坊ちゃまと考えていませんか?」
 清那は体を起こした。
「奉られて壊れ物のようにしまい込まれるのは沢山です。私はもっといろいろな世界に飛び込んで冒険したいんです。あなたを初めて見たときから、私をどこか別なところにいざなってくれる、そんな気がしていました。――でも、私は怖かった、またあの時のようになるのではないかと」
 最後の言葉はかすかに唇を震わすのみで、空気に消えて行った。
「お前が大人顔負けの知識と判断力があることは、わかっているんだ、だけど所詮俺たちは芸術家だ。きな臭い戦場においては嵐の前の木の葉同然――」
 麗射も身体を起こして、清那と向き合う。その目をまっすぐに見返して清那は口を開いた。
「麗射、私にはもう一つ顔があるのをご存知ですか?」
「ええ、と。叡州公の公子で、画面構成術の講師で、操駝の達人で、弓の名手で――」
 おまけに希代の美少年ときている。なんで天はこの少年にこんなにも地位と才能を与えるのだ。一人でしょい込める量ではあるまい。と、麗射は半ばあきれ果てる。
「実は、叡州では軍事学を教えていました。祖父が軍事の研究者であったのです。あなたに何か災いが降りかかったとき、私がいることで助けになるかもしれません。何処にでもあなたの行きたいところに連れて行ってください。身の危険などかまいません、私を窮屈な鳥かごから出して自由にしてください」
 燭台の火で清那の紫の目が揺れる。かすかな涙が揺らめいて、麗射はそれ以上断る言葉を持たなかった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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