第110話 兵糧攻め

文字数 4,949文字

「まったく、毎日毎日変わりばえのしない料理だなあ」
 食堂で囚人達を従えて、人より大きな皿に山のようにナツメヤシを盛った雷蛇は片手でその山を掴むとそのまま口に放りこむ。種も何もお構いなしのまま、ゴリゴリという音を立てながら口をはげしく上下して飲み込む食べ方は牢獄時代と少しも変っていない。
 他の人々はその一団から少し離れた別なテーブルで、同じような食事をとっている。見かけは柄の悪い囚人達と距離を取っているようだが、心の中では不満をはっきりと口に出してくれる雷蛇に快哉を上げていた。
 楕円形のオアシス周囲、全長約825間(約1500メートル)をがっちりと固めた斬常の軍は、ほぼ1ヶ月の間まともに攻撃をかけてこない。最初の頃は緊張感で文句を言う余裕もなかったオアシス軍の面々であったが、変らない状況に溜まった苛立ちが徐々に漏れ出すようになっていた。
 夏の間は戦時でなくても隊商の行き来が止るため、毎年オアシスの食料は乏しくなる。今年はそのまま戦乱に巻き込まれ、乏しい備蓄のまま外との交通を断たれたオアシスでは食料が如実に減っていた。ほとんどの食料は波州に脱出した住民が持って行った事もあるが、戦乱で美術品が売れず、財力の無くなった美術工芸院が昔のように食材を潤沢に蓄えられなかったことも大きい。
 すでに米や小麦粉は底をつきナツメヤシを筆頭にした牢獄の農園からの産物でなんとか栄養を保っている状態だ。だが、それもだんだんと心許なくなってきていた。
「まあ、そう言わないでください雷蛇。今日の夕食は卵スープと鶏肉の揚げものですから」
 オアシスに残って料理長を勤める花燭(かしょく)が厨房から顔を出して雷蛇をなだめる。
「鶏が増えすぎたから少し締めることにしたんです。テンペラ画の卵を確保するために養鶏が盛んだったのが幸いして、このオアシスでは鶏肉には事欠きませんからね。乾燥肉をゆで戻して食べている塀の外の敵さんに、鶏肉を揚げるいい匂いを撒きちらしてやりたいですよ。もう、鳥揚げ食べに故国に帰ってくれませんかってね」
 花燭の軽口に、みな笑い声を上げる。
「だけどな、小麦とか米とか腹にずーんと貯まるもんが少ないんだよなあ」
 雷蛇が口をとがらす。「やっぱ、(めし)やパンを喉にごくっと通さないと元気が出ないぜ」
耕佳(こうか)さんが早生(そうせい)甘藷(かんしょ)を植えてくれていますから、もうじき収穫できるはずですよ。葉っぱや(つる)はお浸しにしましょう」
「耕佳だって?」
 囚人達が声を上げる。中には彼の名前を聞いただけでつばを飲む者までいる。
 美術工芸院の受験に何度も失敗し、オアシスの有力者の血縁と喧嘩をした咎で牢獄につながれた耕果だが、もともとは情熱的すぎるほど真面目な男である。特に家業である農業にかけるこだわりはすさまじい。
 牢獄で耕佳の耕した畑を踏みつけにしてひと悶着あった雷蛇達だったが、和解後に彼の熱血指導のもとで作った野菜がどんなに美味しかったかは、嫌というほど舌が覚えている。
「しかし奴は出獄後、実家のある叡州(えいしゅう)に行ったんじゃなかったのか」
 囚人の一人が首をかしげる。
「叡州で農業をされていたらしいんですが、1年前にオアシスが危ないって噂が立ってからここにもどって来られたようですよ」
「物好きにもほどがある。相変わらず、熱い奴だぜ」
 雷蛇が笑い声を立てる。すでに彼の頭は、かみしめると深い甘みを出す耕佳の野菜でいっぱいになっていた。



「麗射、良い知らせです。隊商の三羽風(みわぶ)が伝鳥で食料の取引を持ちかけてきました。」
 いきなりもたらされた事務方からの知らせに、麗射の傍らに居た清那が眉をひそめる。
「確かに、ジェズム達に食料をなんとかできないか頼んでいましたが、なぜ三羽風が?」
 三羽風は頑丈な荷駄用の駱駝を多く持つ食料の取引に強い隊商だが、金儲け第一主義で多分に山師的な性格もある一団であった。
「奴らはここに残った財宝に金の匂いを嗅ぎつけたようです。足元を見て対価はふっかけてきていますが、取引を受けるのなら明後日の新月の闇に紛れて荷を届けると言っています」
 兵糧の担当をしている若い事務は、今までも三羽風との取引をしてきたのか、彼らのことをよく知っているようだった。
「でも、一体どうすれば……」傍らで聞いていた麗射が首をひねる。
「やり方が無い訳ではありません」清那が唇の下に手を添えて宙に目を浮かせる。必死で考えている時の彼の癖だ。
「夜が更けたら、彼らが伝鳥としてこちらに使わした鷹の足に細い縄を結わえて、塀を越えて三羽風のところに持って行かせます。そして彼らがその縄に太くて長い縄をくくりつけたら、こちらからまた引っ張るのです。お互いに太い縄でつながったら今度は三羽風がそれに荷をくくりつけ、こちらから塀を越えて引っ張りあげます。穀類は重いので何度も綱を往復しなければならないので大変ですが、夜明け前の眠りの深い時間帯にやれば大丈夫でしょう」
「周りを囲んでいる敵に見つからないだろうか」
「包囲しているとはいえ、やはり敵陣にも死角があります。オアシスの東部、延々と砂漠が続く方向は重要地点と認識していないのか、警備配置もまばらです。そこから搬入すれば――」
「しかし、彼らがあまりにも危険だ」
 麗射はまだ首をひねっている。
「三羽風は金目当てに危ない橋をいくつも渡ってきた隊商です。うまく敵の死角を狙って綱をわたすでしょう。もし見つかっても百戦錬磨の奴らのこと、闇にまぎれてうまく逃げおおせるにちがいありません」
 食料の事で皆から突き上げをくらうことが増えているのだろう。事務の青年も必死で口添えする。
「清那、うまくいくだろうか」
 麗射は確認するように清那を振り向く。銀の髪の軍師は眉間に手を当ててしばらく考えていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「あれから1ヶ月近く、そろそろ食料も心許なくなってきました。三羽風とはこれまでも長い間取引をしてきた間柄です、試みる価値はあるでしょう。彼らの持ってきた食べ物はまず鼠にでも食べさせてみて、毒が無いか確認した上で食べればいいですし、屈強な者を集め少しでも罠の匂いがしたら綱を切る準備を整えてから受け取りましょう」
 収穫したナツメヤシと鶏の卵だけでは城内の人々が早晩飢えることは想像に難くなかった。状況によってはこのまま来年の春期まで籠城しなければならない可能性もあり、清那も食料に関しては強い危機感を持っている。三羽風の申し入れを断る様子はなかった。
「清那、水音の道を使えば――」
 清那の目が鋭く麗射を制した。
 水音の道はもしこの城が落ちたときに、皆が逃げ出す最終手段であった。情報は決して敵方に漏らすことはできない。これは味方の中でも、瑠貝、美蓮、清那、走耳、幻風、麗射の6人の間だけの秘密となっていた。


 新月の夜更け。伝鳥を介した三羽風との打ち合わせ通り、太い縄が渡される。まずオアシス側から美術工芸院の広間に装飾として埋め込まれていた貴石を入れた包みが結びつけられる。縄が壁を越えてしばらくすると、縄を数度引っ張る合図の後、今度はその綱に小麦粉や米が結びつけられて壁を越えて来た。
 数度往復して米と小麦が積み上がった後、最後に何やらバタバタと暴れる大きな袋が送られてきた。
 彼らが明けてみるとメスの鶏が十数羽入っていた。
「さすが、三羽風。気が利くじゃねえか。声を上げないメスばかりだぜ。雄と平飼いして、どさどさ卵を産んでもらって、また育った鳥でうまい揚げもんを食べようじゃねえか」
 先日の鳥料理が美味しかったのか、雷蛇が声を弾ませる。
「そういやあ、米もあったな。明日は握り飯と鳥揚げだぜ、こりゃあ血が騒ぐな」
「長旅で鳥たちも疲れている様子だ、はやく厩舎に入れて水と餌をやってくれ」
 はしゃぐ雷蛇を、あきれたように勇儀がたしなめる。
 雷蛇と子分達は、鶏の入った袋を担ぐとそそくさとオアシス内に作られた厩舎に向かった。
「おい、自分たちだけで食うなよ」
 鶏が入った袋を担ぐ雷蛇に、勇儀が声をかける。
「ちっ、俺の企みを読んでやがるな、さすが勇儀だ」
 にやりと笑みを残して、雷蛇は厩舎に向かっていった。
「勇儀殿、雷蛇はオアシス軍に溶け込んでますね」
 囚人仲間の後ろ姿を見送った麗射は勇儀に微笑む。
「さすがに囚人仲間で集まっていると堅気の衆からは引かれるようですが、普段は特に嫌われることも無く、むしろ……妙に好かれているようです」
 と、言いつつも傍若無人な雷蛇の尻拭いなど表には見えない気苦労があるのだろう、軽い苦笑いを浮かべながら勇儀が肩をすくめた。
 二人とも、食料搬入が無事に終わったことで肩の力が抜けている。
「いや、相手の策略かと思って警戒していたが、何事も無くて良かった。さすがの清那もこの取引を受けるかどうかでかなり迷っていたからな、俺もどうなるかとハラハラしたよ」
 司令官になってなかなか心の内を明かすことができなくなった麗射だが、今回ばかりはほっとしたのか、昔なじみの勇儀につい本音を漏らす。麗射より少し年上で、思慮深い勇儀は麗射の心の拠り所でもあった。
 ふと、勇儀が何かを思いついたように目を見開いた。
「麗射殿、明日執務室にお伺いしたいのですが」
「よろしいですが、なにか?」
「一人、推挙(すいきょ)したい人物がいるのです」
「あなたが推挙されるとは珍しい。二心のないあなたの事です、よっぽど何かの才のある方なのでしょう」
 麗射はにっこりと笑ってうなずいた。


 翌日、勇儀が一人の男を連れて麗射の執務室をたずねてきた。
「お待ちしていました。勇儀」麗射が出迎える。
「おい、こっちだ」
 勇儀が後ろにたたずんでいた青年を手招きした。ちょっとめんどくさそうな雰囲気を醸し出しながら、青年はゆっくりと二人の方に来ると、おもむろに片膝を突いて床に着くほど深く頭を垂れた。いかにも億劫そうなその表情とは正反対に、その作法は洗練された正式なものであった。
「ちょ、ちょっと待ってください。私にはそのような最上級の儀礼は必要ありません。総大将や司令官などと祭り上げられていますが、私は単なる画家の卵に過ぎませんから」
 慌てる麗射を、両眉を引き上げて怪訝そうな顔で見上げる青年。叡州の出なのか、薄紫色の髪と若草色の目という美しい取り合わせだ。しかし、その容貌と言えば、どこかあきれたような光を帯びたまん丸な瞳、そして人を小馬鹿にするように大きく弧を描いた細い眉。尖った鼻に、開いた口が塞がらないとでも言いたげな半開きの唇……。
 思わず言葉を失う麗射に慌てて勇儀が声をかける。
「麗射、あなたの第一印象はよくわかります。彼の顔を見ているとなんだかすごく馬鹿にされているような不快な気持ちになるでしょう」
 思わず頷いてしまってから、麗射は慌てて言葉を添えた。
「い、いや、でも、第一印象と本来の性格は同じだと限らないし――」
「同じなのです、悲しいかな」
 勇儀は首を振った。
「叡州の貴族の息子で、育ちだけはいいのです。加えて頭も切れます。しかし、周りの空気を読まず、物事を常に裏側から見るようなねじくれた性格のため、どこに仕官しても追い出されたり、挙げ句の果てに殺されかける始末。とうとう故郷から遁走(とんそう)せざるを得ない状況に陥って、懇意にしていた彼の父から頭を下げられて牢獄で雇っていたのです。もしかして、彼の斜めにゆがんだ性格が、品行方正な軍師の清那様の補助に役立つかも知れないと思い立ち推挙させていただいた次第です」
「ま、策は汚く練らないと敵を出し抜けないって事で」
 顔を上げた青年は、にやにや笑いながら麗射の面前で立ち上がった。両手で膝を払った瞬間あたりにほこりが舞い上がる。麗射は激しく咳き込んだ。
「お、お前、オアシス軍の総大将に対して、し、失礼にもほどがあるぞ」
 勇儀の目が飛び出るほど見開かれ、麗射も青年の豹変に唖然(あぜん)としている。
「振れ幅の大きい奴だな……」
「え? さっき礼なんかどうでもいいっておっしゃいましたよね、麗射」
 心外だと言わんばかりのあっけらかんとした目。しかし、その瞳の中に底が抜けたような透明な光を感じた麗射は、試しに彼をそばに置いてみることにした。
 彼の名は奇併(きへい)
 清那とは性格的に真反対の軍師が、この日オアシス軍に加わった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み