第109話 包囲

文字数 4,205文字

 轟音とともに、美術工芸院3階に置かれた作戦会議室の床が大きく揺れた。天井からぱらぱらと石の欠片が振ってくる。
 手近の家具に掴まっていた人々は、揺れが収まるのを確認して、頭や肩に降った(ほこり)を手で払い落としながら中央の机に集まった。
「敵は北の壁から撤退しました、急作りの攻城塔も潰れたようです」
 窓から身を乗り出していた物見役が叫んだ。
「爆花弾を投石機で投げるのは効果的だな。奴ら散り散りになって逃げていくぞ」
 窓から敵軍を確認した麗射が、美蓮に向かって賞賛の言葉をかける。しかし、美蓮は口を結んだまま頭を下げるのみであった。
「しかし、あの程度の火薬では殺傷効果はほとんどありません。そのことに彼らが気づくのも時間の問題です。火薬と食料が底をつく前に援軍がくればいいのですが」
 清那は南の窓から遠く波州の方を眺める。オアシスを囲む敵軍の背後にはただ青い空と延々と続く砂漠が横たわっているだけだった。
 青砂漠の戦いから5日。
 麗射達がオアシスに帰ったとほぼ同時に、周囲を大軍が取り囲んだ。
 だが幸いにして、やってきた煉州軍は動きが緩慢で真珠の塔から眺める敵軍の士気はお世辞にも高いようには見えなかった。慣れない砂漠を駆け通してやってきた上に、水は塩水、おまけに食料も限られている。それに始終砂混じりの風の中では、うまく布きれで鼻と口を覆わないと肺をやられてしまう。疲労困憊の軍が戦意を失うのは無理もない話であった。
 大軍はまずオアシスを囲む5丈(約15m)にも及ぶ高い壁にとりついたが、外に反り返る独特の形と堅さに攻めあぐねている。彼らは三角屋根のある運搬車の天井から金属で加工した太い丸太を下げて、鐘撞きの要領で壁に打撃を繰り返した。しかし、この破城槌(はじょうつい)では、表面の煉瓦に傷は入っても、未だ壁を砕くことには成功していない。
 その間、オアシス側も黙って見ていたわけではない。壁の上は湾曲しておりその上に立つ事はできないため、彼らは壁の内側に可動性の背の高い櫓を設置した。そこに登って外に油を流して火矢を射かけて破城槌を燃やしたり、組み立てている現場がわかれば爆花弾を撃ち込んだのである。
 数日後、煉州軍の手持ちの破壊槌はすべて壊されたようで、しばらくそこかしこで響いていた打撃音は沈黙した。
「彼らの人数を考えると陰鬱な気分になりますが、かといって彼らが絶対的優位とも限らないのです。水も食料も我々の方にまた分があります」
「しかし、この壁がここまで強固だったとはね。すぐ近くで爆花弾が炸裂してもびくともしないとは」
 目を丸くする麗射に、待ってましたとばかり清那が古書を手にして答える。
「これは図書館にあったオアシス創世の言い伝えを書いた写本です。ここに壁の工法が書かれています」
 彼の開いた頁には、煉瓦で作った2枚の壁の間に粘土らしきものを流し込んでいる図が書かれてあった。
「これは、粘土ではありません。煉州の火山灰と、凝灰岩を切り出した後の砕粉(さいさ)、そして石灰を焼いて作った生石灰を水で練ったものです。これを煉瓦で作った壁の間に入れて、その上から硬い石を混ぜて突き固める。その上に平煉瓦を敷いて、そしてまたその上に2枚の煉瓦の壁を作って同じ事を繰り返すのです。煉州では城壁作りにこの方法が使われることもあるようですが、石灰の配合が違うのかここまで強固なものではありません」
「今は失われた技術か。古代の方が、科学は発達していたような気がするな」
「根元も深く、掘り返されて隧道(ずいどう)を作られる心配もありません」
「だが、ひとつ気になることがあるんだ……」
 突然会話に入ってきたのは美蓮だった。


 それから2日。破城槌が全滅して以来、敵軍はぴったりと攻撃を止め、不気味なくらい静まりかえっている。時折試すように火矢が投げ込まれるが、石造りの家ばかりで、火の付くような物が無いオアシスでは、燃え広がることは無かった。
 だが、平穏を喜んでばかりも居られなかった。煉州軍の兵士達が休息を取る間に、占領した叡州の街からぞくぞくと資材や食料を携えた輜重(しちょう)兵がアリのように連なって到着したのである。さらに、工兵も加わったのか、オアシスの外周に簡易な建物が建てられはじめた。彼らは長期戦に備えて陣を整えていたのである。
 斬常は壁の強さを認識し、包囲線に舵を切ったらしかった。
 それに対して、オアシス軍も作戦会議を開く。
「まず、死守しないといけないのは私たちの生命線、銀嶺(ぎんれい)(しずく)です」
 清那は地図の上でオアシスの中心部からやや西寄りに位置する湖を指さした。
「ですが、その近くに一つ、戦術的に脆弱な部分があります。包囲戦と言えども、敵は必ずここを襲撃してくるでしょう」
「牢獄のある区域ですか」
 すぐさま口を開いたのは元牢獄の獄吏である勇儀であった。
「ええ、その通りです。ほぼ楕円形のオアシスから瘤のように飛び出した牢獄は、張り巡らされている塀こそ高いものの、オアシスとの境界がくびれて狭く、一旦この狭い部分を敵に取られてしまえば、オアシスから助けにも向かえず、簡単に敵の手に落ちることが予想されます」
「そうなると厄介だな、今でこそ放置しているがあそこはオアシスを支える食物生産地だからな」
 勇儀が腕組みをしてため息をつく。土地改良の歴史を知っている彼は、牢獄が経営する農場がこのオアシスの中で随一の豊穣の地だと言うことを知っている。長年かけて肥や雑草で作った堆肥をすき込んだ畑、そこには編み目のように水路が張り巡らされ、たわわに実を付ける四季なりのナツメヤシが多く茂っている。もしそこを占拠されれば、敵は水や食料を気にすること無く、腰を据えてオアシスを攻撃することができるだろう。
「牢獄区域には特別に駐留部隊を置かねばなりません」
「それでは、私が……」勇儀が手を上げる。「雷蛇達、元牢獄の収監者と共に牢獄を守りましょう。あそこで労働していた彼らはあの土地の地形を石ころ一つまで熟知しています」
「ありがとうございます。あなた方に行っていただくと安心です。人数は幾人か補充しましょう。守り切れなくなったら、早めに戻ってきてください。無駄死には許しません、オアシスを守るため一人でも多く人員が必要なのです」
「わかりました、一人たりとも欠けさせません」勇儀は力強く首を縦に振った。
「さて、これから城内の話です」
 清那は美術工芸院の地図を広げた。皆、『城』という言い方に違和感を覚えなくなってきている。ここで美術工芸の創作にいそしんでいたのは、遠い昔の夢のような思い出になっていた。



 伝鳥として訓練された鷹がオアシスに飛び込んできたのは、その夕方であった。叡州の密偵からもたらされた知らせを見て、清那は顔を曇らせる。
「どうしますか?」
 文章を渡された麗射は、言葉を失う。
 彼らは、すぐさま真珠の塔の上から、オアシス周囲を囲む軍勢を見渡した。
 新しく軍勢が加わっている。周囲に陣を張っている他の軍と比べて、新しい軍勢は、明らかに統率がとれて、精強なのがわかった。彼らが掲げている旗には麗射も清那も見覚えがあった。
 青地に黄色の「斗」が染め抜かれた壮麗な旗。すなわちそれは凱斗(がいと)の軍勢であった。
「どうしましょう、玲斗に知らせますか」
 麗射は、しばし頭を垂れて考えていたが、小さくうなずいた。
「オアシスの住民達はもう波州に着いているだろう。俺たちの第一目標は達した。ここからは、彼に選んでもらおう。彼の人生だからな」
 玲斗は、美術工芸院一階の廊下に飾ってある剴斗と勇斗の絵の前にたたずんでいた。微動だにしないその背中を見た麗射は、彼がすでに知っていることを悟った。
「玲斗……」
 かすかな呼びかけに、彼はゆっくりと後ろをむく。
「何をしに来た」
「君のお父上が――」
「知っている」麗射の言葉を遮るように言うと、彼は再び絵の方に向き直った。
「もし、君が望むなら。一瞬、城門を開けようと思う。君がもしお父様のところに――」
「お前はどうしてそう馬鹿なんだ」
 肩が震えている。「なぜ、いつもいつも俺の気持ちを逆なでするんだ?」
「すまない、玲斗」麗射は視線を落として謝る。「君が煉州で俺を助けに来てくれたことは一生忘れない。だから、君に何かできればと思って」
 すらり、と剣が抜かれて、麗射の首に張り付いた。
「そうか、手土産としてこの首を持って出れば、百人以上同胞を殺した俺でも、快く迎えてくれるかもしれんな。」
 目には狂気の色が浮かんでいる。
「よせ、玲斗」
 清那が駆け込んできた。
「はっ」玲斗が吐きすてるように息をもらす。
 カラン。
 彼の手から投げ出された剣は乾いた音を立てて床に転がった。
「冗談に決まっている」
 玲斗は隈のできた顔をまっすぐに二人に向けた。
(たもと)は分かっているのだ。奴が、兄上を手にかけた時から」
「わかりました、玲斗。もうこの件についてはたずねません。ただ、お父上の率いる軍には、煉州からオアシスに来た者の親族がいるかも知れません。心をあちらに残しているものは、オアシスから出ていただきましょう」
 玲斗の頬が赤く燃える。
「煉州武人に情けなど――」
「考え違いをしないでください。思慕のあまり、内通されてはたまらないからです」
 清那の紫水晶の瞳が冷たく輝く。
「この後に及んで、温情など持ち出す余裕はありません。これからは例え仲間であっても、裏切り者は断罪しなくてはなりませんから」
 銀色の髪を翻して、画面構成術の講師から軍師に役割を変えた青年は去って行った。



 講義室から、彼らの寮に向かう廊下。
 両端にはガラスの入った窓が並ぶ。ここは、入学金をつぎ込んで画材を買った麗射が、破れた風呂敷から画材をぶちまけたところだ。
 そして、初めて清那に会った場所でもある。
 麗射は足早に廊下を行く清那に追いつくと、肩に手をかける。
「清那、ちょっと言葉が過ぎないか? 強がっても、今の玲斗の心は――」
「もしオアシスの中に敵兵が入れば、多分今まで経験したことのない修羅場になります」
 足を止めた清那は、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。
「正直、このままでは誰一人生き残れる気がしていません」
 振り向いた清那の髪と目は、夕陽に焼けて血の色に染まっていた。
 まっすぐに向けられた瞳はすでに麗射よりも高い位置にある。
 画材をもくもくと片付け、黒砂糖飴に目を丸くして微笑んだ少年は、もうそこには居なかった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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