第87話 呼び出し

文字数 3,146文字

 次の日から特別許可をもらった麗射達はオアシスの外に掘っ立て小屋を作り始めた。掘っ立て小屋と言っても地面を深く掘り下げた半ば地下室のような作りである。冬とは言え昼の気温はかなり上昇する。保管する火薬の発火を恐れ、温度変化の少ない地下深くに作業場は作られていた。
 ともすれば砂塵で埋まってしまう地面だが、美蓮が風紋を読み風が吹いてくる方向に木と石で壁を作ってその後ろに建てているので、小屋が埋まることは無い。そして、危険物を保管することから作業に携わらない参加者達が、遠めがねで始終見張っていた。
 しばらくして、オアシスにほど近い砂漠で爆発音が響くようになった。
 駱駝厩舎(らくだきゅうしゃ)では、駱駝が大騒ぎし脱走騒ぎを起こした。そればかりではない、民家の戸棚が揺れてガラスのコップが大破した。
「何やってくれてんだい」
 連日のように怒号を浴びせられ、麗射と火翔、美蓮は連日オアシスを謝罪に走る。
「す、すみません。卒業展示の時の出し物で……」
「戦でも起こったのかと思ったよ、全く」
 美術工芸院が生み出す芸術がこのオアシスを支えている。それを知っている住民は、表だって止めろとは言わないが、内なる苛立ちが最高潮に達しているのが頭を下げる麗射達にいやというほど伝わってきた。
 終いには苦情が学院にも寄せられたのか、あの温厚な学院長の蛮豊が彼らを呼び出す騒ぎとなった。
「砂漠の外で火を使った出し物の練習をすると言うから許可したが、爆発遊びとは話が違うぞ」
 院長室の大きな机に座った蛮豊は丸い指を窮屈そうに組んで、不機嫌そうに前に並ぶ麗射、火翔、美蓮を見回した。
「いえ、これは遊びではありません。芸術的な爆発なんです」
「芸術的な爆発?」
 麗射の言葉に蛮豊の白い左眉毛がゆがむ。
「爆発は戦を想起させるし危険だ。あまり良い趣味とは思わないね。君達は芸術の高揚と、危険と隣り合わせの興奮を取り違えているのではないかな」
 優しい口調だが、その目は笑っていない。それはこの学院長が、麗射に見せる初めての表情だった。
 何か言いたそうに顔を上げた火翔だが、蛮豊の視線に貫かれしばらく唇を動かしただけで声を出すこと無くうつむいた。このままではただの悪戯と扱われてしまう。慌てて麗射が蛮豊の前に飛び出した。
「で、でも、爆発でオレンジ色の光が炸裂したら、俺の心の中の何かがうずくんです。たき火を囲むときにその炎の美しさに我を忘れて時を過ごしてしまうことがありますよね。火って、心の奥の根源的な記憶を呼び覚ます気がします。火は芸術に昇華するのではないでしょうか。でも、俺の知る限り火を使った芸術は――」
「麗射、私は君の衝動的な芸術を買っている。だが今回は別だ。確かに火はその危険な美しさで簡単に人々を引きつけることができる。しかし、火が持つ本来の魅力に頼るのはいささか安直ではないかね」
「しかし」
「もう止めよう、確かに危険だし、院長先生もそうおっしゃっているんだから」
 美蓮が、麗射の袖を引く。びっくりしたように麗射が友人を見つめた。
 一番喜々としてこの制作に携わっているのは他でもない美蓮だからである。
「僕だってやりたいさ。でも、芸術は周りに迷惑をかけてまでやることでは無い」
 そう言われてしまうと麗射も黙るしか無かった。
「では、卒展は別の課題にしてくれ」
 その時、火翔が顔を上げて堰を切ったように話し始めた。
「待ってください、僕は火薬の扱いに慣れています。慣れているというのはどれだけ慎重さが必要かわかっているということです。こいつらには怪我させません。明日から、もっとオアシスから離れて僕一人でやりますから許可をください。僕に何があってもかまいません。僕は火が持つ魅力を何倍にもしてみたいんです。そして――」
 彼は悲壮な顔つきで蛮豊を見つめた。
「この作品を仕上げることで、僕は僕が存在することの意味がわかる気がするんです」
 今度は蛮豊が言葉を失う番であった。しかし、しばらくして白い口ひげに覆われた口がゆっくりと開く。
「学院で事故があっては困るのだ。君たちの親御さんに申し訳が立たないし、悪い風評は作品の評価にも影響をもたらす。ひいては学院への資金援助にも、な」
 蛮豊は神経質そうに丸っこい指をすりあわせた。三人は足に根が生えたようにじっと学長を見つめている。
「戒めの中では新たな芸術は生まれません。十分に注意深くやります」
 再度麗射が口をひらく。
「自己責任だぞ。何があっても美術工芸院には迷惑をかけないと一筆書け」
 根負けしたのか、学長は三人をにらみつけると出て行けとばかりに首をドアに向けた。



 それから二十日ばかり。
 オアシスから離れて爆破実験を行っているのだが、地響きと音はやはりオアシスに響き渡っている。しかし、人々も駱駝もさすがに慣れてきたのか彼らに対する怨嗟の声は徐々に静まりつつあった。
 常々「芸術家の考えていることはよくわからない」とオアシスの住人はその変わり者の巣窟を尊敬と諦めをこめて評していたが、その認識が彼らに目をつぶらせたのかもしれない。
 最初は火柱を上げるばかりであった爆発も、美蓮が運び込んだ石を混ぜるとまるで醒めた星のような青い色を呈し始めた。
「おい、きれいだな。どうやってやるんだ」
 今日は財源担当で参加している瑠貝が見学に来ていた。夜空に散った火花を見ると、さすがに彼も芸術家のはしくれ、興奮して美蓮にたずねる。
「火翔といろいろな石の粉を燃やして色を試してみたんだ。鉱石によってはきれいな色が出ることがわかった」
 鼻高々で美蓮が答える。目の下の隈は、この青年がどれだけのめり込んで実験していたかを如実に語っていた。
「これは孔雀石を混ぜた火薬だ」
「え……」
 瑠貝の手からかじっていた安売りの堅パンが落ちる。
「あ、あの……」
 すりつぶして顔料として使うためこの石のことは皆よく知っている。
「そう。あの緑色の石だ」
「高価な、あの石かっ」
 美蓮の返事に瑠貝の絶叫が重なる。
「いい加減にしろ、金は自然に沸いてこないんだぞ。この程度の発色にあの高価な石を――」
「確かに鮮やかな青とは言いがたいが、それでも微妙な色の違いは出ているだろう。それにいかにして芸術で金を稼ぐかが、この出し物に関しての君の研究課題だ、つべこべ言う前にさっさと打開策を考えることだな」
 美蓮の言葉に、瑠貝が黙りこむ。
「食費を削るなんてケチケチした事をする暇があったら、考えることだね。君ならもっと壮大な金策を思いつけるはずだよ。『発想は窮乏(きゅうぼう)の申し子』という奴だ」
 美蓮はすまして瑠貝の足下から堅パンを拾い上げると、砂を払って口に入れた。
――赤の発色をする紅磁石(こうじせき)とか、水に漬けると消えたように見える水消石(すいしょうせき)とかが今後届くって知ったら、こいつ卒倒するかもな。
 美蓮は横で頭を抱えている瑠貝をチラリと見ると肩をすくめた。



「光と爆発の芸術、試作品ができたぞ」
 昼下がりの食堂。美蓮が酸冷麺の香りをまき散らしながら声高に話している。
「明日あたり試作品を打ち上げてみようと思う。うまくいけば夜空に光の舞が見える」
 火翔の言葉に仲間達からおおーっという低い叫びが上がる。
「火翔がいろいろ試して、面白い形で破裂する様にしたから是非見に来てくれ」
 そこにやってきたのは清那だった。心なしか顔色が青い。後ろには影のように走耳が付き従っていた。
「おお、二人とも座れよ」麗射がここだとばかりに手を振る。「食堂に来るなんて、珍しいな」
「とうとう始まりました」
 清那はその一言をつぶやくとじっと麗射を見た。
「え、何がですか公子」
 美蓮が首をかしげた。
「内戦です。煉州の民衆が蜂起しました」
 麗射の手から、さじが落ちる。それは高い音をたてて石造りの床を跳ねて転がっていった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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