第104話 青砂漠の戦い(1)

文字数 4,019文字

 煉州軍が叡州の江東を出たという情報は、清那の(つて)からもたらされた。
伝鳥(でんちょう)によると、煉州軍が江東を出たのが5日前。あと、15日で真珠の都に到達するでしょう」
 清那は作戦会議を行っている講義室で皆に伝える。
「昨日、ジェズムと瑠貝が1000頭の駱駝を連れてきてくれました。彼らは、波州皇帝にも目通りして、援軍を頼んでくれているようです」
 会議室は色めき立った。
「波州が助力してくれるのか」
「残念ながら、確約はありません。しかし……」
 清那はチラリと窓の外を見る。オアシスの人々は早速出発の支度をして割り当てられた駱駝に載せている。ジェズムと瑠貝が指揮を執っていた。
「荷駄には沢山の美術品があります。これらを餌に頼めば、事なかれ主義の波州皇帝であっても首を縦に振るやもしれません」
 海に面した東西に長い形の波州は、その北の山脈で砂漠と境されている。温かく湿った海風が山脈に当たることによって、波州は雨が多い。平野は狭いが、植物がよく育ち、漁業も盛んな波州は、健康で実直に働けば努力しなくても貧しいなりにそこそこ食べていけた。そのため学問は必要不可欠なものではなく、学校に通う者は一握りで識字率も高くはない。ただ、海の彼方から、舟を作り星を読む数学的知識を持って小舟で渡ってきた民族だけあって、冒険心に富み、中には驚くほどの才能をもった人々も混じっている。
 そういったお国柄である。代々の波州皇帝は特に努力すること無くこののんびりした国の天子として君臨してきた。皇帝一族は面倒を嫌い、日々を穏便にやり過ごすことを常としてきたのである。
 今、煉州と叡州が交戦状態になり、波州は自らの身の振り方を決めあぐねている。オアシスを助けることは、すなわち煉州に刃をむける事。たかだか2000人を助けるために波州がその決断をする可能性は低かった。
 だが、いまや金融業でそれなりの地位を確立している瑠貝の口先と、唯一無二の歴史的美術品や古文書があれば、他州に誇れる文化的な資産や宝物の無い波州皇帝の気も変わるかもしれない。
「甘い戦いではありません。取り囲まれて籠城(ろうじょう)の可能性もあります。隊商の三和羽(みわぶ)も沢山の食料を運び込んでくれていますが、籠城の期間によってはここで飢え死にするかも知れません。だから、麗射……」
「ああ、わかっている。今からここに残っている全学院生とすべての職員を呼ぼう。事務方はもちろん、掃除をしてくれる人や、厨房の料理人達まで」
 頼みの警備隊長は、すべてを麗射と清那に丸投げである。いざとなったら二人に責任をなすりつけて敵軍に投降しようという魂胆がありありと透けて見えた。いつものことだが、麗射を中心に計画が回り始めている。



 講堂に集まった学院生、職員は、500人足らずだった。
 壇上に立った麗射が呼びかける。
「皆、知っているかと思うが、オアシスに向けて煉州軍が侵攻してきた。ここは程なく戦場になる。僕らは、オアシスから逃げる人々が波州に着くまでオアシスを足場に煉州軍と戦わなければならない。血みどろの戦いになって、命を落とす者もいるだろう、そして飢え死にする者も……」
 講堂にざわめきが走る。しかし、それはすぐさま収まり、学院生達は麗射に強い視線を送った。
 この時点でここにいるということは、覚悟を決めている者たちなのだろう。
「だが、これは強制では無い。友情は捨てろ、ここから出て行きたい者は出て行け。後、10分で2時限終了の鐘が鳴る、それまで皆目をつぶれ。出て行く者は胸を張って出て行け、その代わり必ず生き延びて、俺たちの事を語り伝えてくれ」
 皆の(まぶた)が閉じられる。ずいぶんと長く感じられる時間の後で、鐘が鳴った。
 講堂の中の人数は一人も減っていなかった。
 職員達は元々広沙州の役人も兼務している。美術工芸研鑽学院の職員は高給で社会的地位も高い。入職は狭き門で、いくつもの試験と面接があった。ここで働いている彼らには、文化の一大発信地を運営してきた自負がある。彼らは総じて職務に対する責任感が強く、少しでも敵を足止めし住民を逃がそうと命を捧げる覚悟をしていた。
 一方学生達は少し温度が違う。
「麗射、俺たちは君と戦うぞ」
「芸術に賭した命だ。芸術の都のために散るなら本望だ」
 発される言葉は、扇動的で、熱に浮かされている。
 芸術家の卵達の精神は繊細で、そして揺れ動きやすい。生き方や思想にも美を求める事が多く、そのためには命を捧げることにも躊躇(ちゅうちょ)が無い。残るという選択肢は、そういう情動に突き動かされているのであろう。
 これが、血の海の中で我に返ったら……。
 本当にいいのか、もう一度麗射は食堂を見回す。誰も動こうとはしなかった。
「麗射。君はこの美術工芸研鑽学院の学院生代表。そして、これからはオアシス軍を率いる、総司令官だ」
 いつの間にか、麗射の横に立っていた清那が叫ぶ。
「ま、待ってくれ。清那、君の方が社会的地位が上だし、作戦だって」
 突然清那の左手が麗射の左手首を掴んだ。
 そして、麗射の左の掌に、自分の右手の拳を打ち込む。
 静かな講堂にぱん、という高い音が響いた。
「天帝に誓って私の命はあなたのためにあり、あなたが命じるときにはすべてを捨ててこの身を献じるでしょう」
 清那は高らかに宣言すると、講堂にひしめきあう学院生を見回した。
掌魂(しょうこん)の誓いを立てました。今日から私は麗射に臣下の礼をとります。ここに集まった皆さんが、証人です」
 あっけにとられて静まりかえっていた食堂に、嵐のように声が響く。
「麗射」「麗射」……。
 熱狂の中、麗射は眉をつり上げて清那に怒鳴る。
「だ、誰に習ったんだ。こんな品のない……これは、ならず者の風習だぞ」
 平然と清那が答える。
「でも、あなたもやったって聞きましたよ、雷蛇から」
「雷蛇ぁああああ」
 麗射の叫びは、学院生達の声のなかに(うず)もれた。



 オアシスの防衛に残るのは200人。
 そして、迎撃するのは総勢300人足らず。
 警備兵、そして勇儀の率いる「鬼獣(きじゅう)軍団」合わせて100人弱。
 残りの200人は志願者を募っているが、その中には玲斗が率いる煉州の青年達も入っている。彼らは家族を斬常に殺された者も多く、血走った目をして志願をしてきた。少しでも武芸をかじったものがいてくれることは、麗射達にとってありがたいことであった。
「昨日の爆花は見事でしたね」
 出立するオアシスの人々を送るために、火翔と美蓮が中心になって前途の無事を祈る爆花大会が開催された。さらなる改良を加えられた爆花は砂漠の空に大輪の花を咲かせ、夜景に真珠の塔の輪郭が浮かび上がり、ここを去る人々に一生忘れない記憶を刻んだ。
 朝食の薄いスープとパンをかじりながら麗射はうなずく。
「夜に連れてきた駱駝が大暴れしてなだめるのに苦労したって瑠貝から苦情が来たがな」
「時間外労働の賃金を要求されませんでしたか?」
 先に食事を終えている清那は、少し離れた場所で笑いながら髪を(くし)けずる。
 以前砂漠に雨が降る前に、あたりの湿気が彼の細い髪を櫛に絡ましたことから、清那は毎日髪で天候を占っている。
「櫛に髪がからみませんから乾燥しています。雨は降らないでしょう」
 早朝から多数用意した革袋に水を詰める作業が始まっている。
 これから迎撃地点まで10日の行軍をしなければならない。星見(ほしみ)の力を借り、体力の消耗を防ぐためにできるだけ夜間に進む。そして休養をとるためにテントも、もちろん武器も持って行かねばならない。
 相手は砂漠の涙でまず布陣をするであろうが、そこには井戸があるといっても薄い塩水であり、おまけに千人の水を十分にまかなえるほどの量はない。砂漠に慣れていない煉州軍は、今更ながらにその過酷さを思い知っている頃では無いだろうか。
「しかし、1000対300弱。常識で考えれば勝ち目の無い戦いだ」
 麗射は腕組みをする。
「常識が通用しないのが、(いくさ)です」
 平然と答える清那の紫の瞳が不敵に輝いた。



 雲一つ無い快晴。太陽は青い空高く張り付き、陽光はあたりをくっきりと照らしだしている。
 煉州軍は、小高い丘の上に長弓を掲げた弓術隊をずらりと並べている。いざ敵が見えたら、斜め上方に向けた弓から矢を間断なく射る。向かって来る敵を雨のような矢で迎え撃つ、矢雨(やう)と恐れられる煉州伝統の迎撃である。
 一見いい加減に射ているようだが、もともと狩猟で生計を立てている煉州の兵士達は獲物の速さから位置を正確に推測し矢を放つ、他州の射手にはまねできない技術を持っていた。一人につき持っている矢筒には20本、手持ちには20本。単純に考えると弓術隊200人8000射の矢雨が降り注ぐ計算である。


「逆光で、まぶしいな」
 麗射は敵陣を眺めて目を細める。
「敵陣は影になってよく見えないが、相手からこちらはくっきりとよく見えるに違いない」
「ええ」
 にっこりと清那は頷く。
「玲斗達を追って青砂漠に初めて来たときは、一面青のこの場所はぐらぐらして気分が悪くて面食らったよ」
 快晴の青砂漠は、深い空の青と地上の青の境界が解らないのだ。
 まるで自分の拠り所が無くなったような、浮遊感が気持ち悪い。
「麗射そろそろ、号令を」
 清那が天を見上げて、麗射に声をかけた。
「ああ」大きく一息吸い込むと、彼は目を閉じた。
 再び見開かれた目は、今までとは違う、何かを断ち切ったような光を帯びていた。
 すべてを抱き、冥府をさまよう覚悟――がその内にあった。
 学院生代表からオアシス軍総司令となった青年が、喉が裂けんばかりの声を上げる。
「全軍、突撃」
 横一列になり、駱駝に乗った人々が砂漠を走り出す。
 大きな時の声が窪地に湧き上がった。


武奏(ぶそう)殿、時の声です。敵が動き始めました」
 まだ視界に入っては来ないが、風に乗って声が流れてくる。
「射程に入ったらすぐ矢雨を降らせろ。それだけで決着がつくやもしれん」
 武奏は、早くも戦後の褒賞(ほうしょう)を思い浮かべていた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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