第58話 見舞い

文字数 2,365文字

 宴が開けたのは、明け方であった。麗射と牙蘭が案内された部屋は最初の使用人小屋とはうって変わった豪華な客間だった。案内してくれた者に聞いたところ、清那は客間の中でも、最も格式の高い部屋で看病を受けているらしかった。
「もう遅すぎるというか、早すぎるというか……。しっかり太陽が昇ってから清那の見舞いに行こう」
 麗射が窓から差し込む白い光に目を細めながら肩をすくめた。
「麗射殿、これを」
 牙蘭が懐に手を突っ込むと無造作にいくつか玉をとりだし、麗射に差し出した。
「これは、君への褒美だ。受け取れない」
 麗射はその手を押し戻す。
「公子の笑顔を取り戻してくださった麗射殿にはいろいろお礼をせねばならないと思っておりました。公子の病気が癒えるまで待っていただく間、当座の生活費が必要です。お使いください」
 というと、牙蘭は麗射の懐に無理やり珠を押し込んでニヤリと笑った。
煉州(れんしゅう)風の礼儀です。決して返されないように」
「わかった、ありがたくいただくことにしよう」
 美しいものに目が無い麗射は、部屋に帰ってすぐに玉を取り出すと慈しむように眺めた。すべてが傷一つない完ぺきな球で、中には透き通って針のような金線の入ったものや、真紅の中に美しい緑と紫の縞模様があるものなど変わった珠も入っていた。
 しかし麗射の心を奪ったのは何の変哲もない青色の玉であった。だが、褒美に与えられるだけあってその色は深くて鮮やか、波州の紺碧の海を思わせる心に突き抜ける様な色だった。
 そうだ、あのミント水をくれた少女の絵を描こう。
 この美しい青で、絵に描いた少女の瞳に色付けしたらさぞや――。
 うっとりと珠を見ながら立ちすくむ麗射の頭に、最後に牙蘭が放った言葉が蘇る。
「高価なものですから、すりつぶして画材にしないように」
 ちぇっ、読まれてるな。麗射は苦笑して枕もとにその青い球を飾った。



 午後の食事を終えると二人は清那の部屋に見舞いに訪れた。
「すまない、心配をかけた」
 寝台に何枚も敷かれた厚い布に沈み込まれるようにして横たわっている清那は、頬はこけたがずいぶん生気の戻った顔で二人の来訪を迎えた。
 身体を起こそうとする公子を押しとどめて、牙蘭は傍らにひざまずく。
「快方に向かわれたようで、何よりです」
 砂漠を駱駝で駆け抜けていく時に、背中越しに聞こえたぜいぜいという荒い呼吸を思い出して、牙蘭は深く首を垂れた。
「あなた様に何かあれば、叡州公に顔向けができません」
「そんなに重く感じなくていい、父上は私の身など案じてはいない」
 言葉を失った牙蘭の目がうるむ。さすがに悪いことを言ったと思ったのか、清那は逃げるように牙蘭から目をそらすと麗射の方を向いた。
「麗射、嫌な目には合っていませんか?」
「玲斗はどう思っているか知らないが、俺は今のところ快適に過ごしてるよ」
 良かった、と清那はうなずいた。
「ところで煉州は宝玉の産地。と、いうことは売り物にならない玉の欠片を安価に手に入れることができます」
 清那の目が悪戯っぽく微笑む。
「そしてすりつぶして画材にするってわけか」
 麗射の頭に誘惑するように極彩色の顔料たちが乱舞する。
「きっとオアシスの画材屋では扱われていない顔料もあることでしょう。玉のかけらだけではなくて、顔料も都の画材屋で探してみたらいいのでは」
 清那はここに留まっている麗射の無聊を案じているようだった。
「本当は以前実習でやっていたように山に原石を掘りに行くとただなのですが、今は反乱軍が勢力を盛り返しているようなので危険です。反徒達の勢力図は貴族たちが思ったより拡大しています。彼らのやり方はなかなか巧妙で表向き何の変りもない寒村が説得工作によっていつの間にか反乱軍の勢力下にはいり、今ではかなりの州民が反乱軍の影響下にあるようです。表向きは王室にしたがったふりをしていても、いつか時が来れば州民たちのかなりの数が煉州王と貴族に反旗を翻すでしょう」
 可能な限り血を流さない、説得による革命。
 それは獄中で氷炎が繰り返し語っていたことだった。
 氷炎はここに帰ってきたのだろうか。
「反乱軍か。会いに行きたいなあ――」
 思わず心の声が口を伝って漏れる。
「誰にですか」
 清那の目が心もち鋭くなった。
「いや、煉州のどこかに知人がいるかもしれなくて」
「申し上げたでしょう、王都周辺はいざ知らず、今、辺境地域はふらふら歩きまわると危険なんです」
 清那の頬が赤くなっている。
「どれ、失礼」
 麗射はいきなり清那の額に手を当てた。清那は目を見開いて、息を飲む。
 幸いにして頬の赤身に比して、額はひんやりと冷たかった。
「よかった。また熱が出たのかと思った。こんなにすっきりと解熱するなんてさすが都の薬は違うなあ」
「こ、子供じゃないんです、いきなり額に触らないでください」
 清那が鼻を膨らませる。いや、見るからにまだ子供(ガキ)じゃないか。こらえきれず麗射が噴き出した。
「なんですか、その笑いは」
「麗射殿そろそろお(いとま)しましょう。まだまだ清那様は病人です」
 牙蘭が麗射の腕を引いた。
 ん、麗射が牙蘭の方を振り向く。
「ちょっと待て、牙蘭。お前の手の方が燃えるように熱い」
「清那様の無事なお姿を見て、心のゆるみが出たのでしょう。なぜか朝から身体が震えてたまらないのです」
「あの熱砂の中、私を背負って踏破してくれたんだ。疲れからの病だろう。医者に診てもらえるように頼もう。もう私のことは心配いらない、牙蘭はゆっくり寝室で休んでおくように」
「ありがとうございます。清那様もくれぐれも御無理なさらないように」
 牙蘭は深々とお辞儀をした。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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