第79話 激突

文字数 4,831文字

 清那の目の端に、大門にかすかに立ち上る土埃が見えた。
 思わず体をひねり後ろを振り向く。
 土埃はもうもうと膨れ上がる煙となって大門をうつろにするほど立ち上っている。あの、閉じられた大門の後ろで何が……。清那の顔から血の気が引く。
 その時、視界の中で、大門がいきなり膨張したかのように膨れ上がった。そして開け放たれた門から馬に乗った兵達がぶわりと一気に噴き出される。
 大地を震わせ響き渡る、ときの声。
 軍勢は朝日を曇らすかのような勢いで土煙を上げながら急速に近づいてきた。旗も無く隊列も不揃い、兵達の(よろい)もバラバラだが、その寄せ集めの軍勢の熱気は、清那が今まで見たどんな軍隊よりも激しく立ち上っていた。
 まずい。
 こちらは、馬術の素人と、二人乗りだ。
 みるみるうちに近づいてくる大軍勢。ついに鎧のすれるガチャガチャという音まで聞こえてきた。
 万事休す。
 いざとなれば……また。
 清那は自分の前にいるイラムの腰にまわした手に力を入れる。
 と、そのとき前方からかすかな声が風に乗ってきた。
「おい、前を見ろ清那」
 馬にしがみついている麗射が叫ぶ。
 振り返って、前方に向き直った清那の顔が輝いた。
 土埃を上げて整然と近づいてくる軍勢。掲げられた大きな旗には、赤地に黒々と『王』の字が染め抜かれてあった。旗の周りの房がキラキラと金色にかがやいている。その横に少し小さい青地に黄色の「斗」の旗が。凱斗の軍勢だろう。
 凱斗が王軍を引き連れて救出に来てくれたのだ。
 走耳が救援を呼びに行ったとしても、かなり前に軍を集めて都を出ていなければこの早さでここに到達できはしない。
 よくやったキュリル。
 あの小さい体で都にたどり着くのは文字通り命がけだったであろう。
 清那は心の中で、野盗に捕まる寸前に文を足にくくりつけて放ったサボテン鳥に感謝の言葉をつぶやいた。
 地響きとともに前後から近づく軍勢の音が清那達を包む。
 しかし、後ろからの圧が圧倒的に強い。前方の王軍は反乱軍よりもかなり遠くを行軍していた。速さもいきり立った反乱軍とは比べものにならない。このままでは程なく反乱軍に追いつかれてしまうのは明らかだった。
 反乱軍の先頭を単騎で走っているのは、筋肉のみっしり付いた黒い馬を駆る、金色にまばゆく輝く鎧をまとった武人だった。黒光りした馬は、大地を浮いているかのような早さで近づいてくる。そして半馬身くらい遅れて、赤毛の馬に緑の鎧に身を包んだ眼帯の男が続く。そこから5馬身ぐらい離れて大軍勢が続いていた。
 後ろを向いたイラムが小さく息をのんだ。
「もう追いつかれるわ。清那、降ろして」
「危ないから駄目だ。下手をすれば死ぬぞ。君は麗射と一緒に来たいんじゃないの?」
 イラムは顔を伏せた。が、すぐ清那を見つめると首を振る。
「きっと、またいつか会える。ここは私が食い止めないと」
「待て、早まるんじゃ――」
 清那の制止を振り切って、イラムは腰に回った腕を振りほどいて飛んだ。
 早駆けしている馬から飛び降りたため、少女は大地に体を激しく打ち付け、土埃を上げて二転三転した。そのまま立ち上がれずに地上に横たわる。
「イラムっ」
 清那が馬首を返そうとしたとき、麗射が叫んだ。
「お前は先に行け、清那」
 麗射は無我夢中で全速力の馬の手綱を体全体で思い切り引く。経験の浅い乗り手の無謀な手綱さばきに、馬の前足が高く上がりあわや馬ごと転倒しそうになったが、良馬なのだろうギリギリのところで体勢をなんとか保ち、馬は反転した。
「麗射、彼女は」
 麗射の背中に清那は叫ぶ。
「斬常の娘だ――」
 あの大広間にかかっていた愁いを帯びた女性の肖像画。
 イラムを見た時、清那は一目でわかった。イラムはあの女性の娘だと。金髪と青い目は父親譲りだが、顔立ちはあの肖像画とうりふたつであった。
 清那は馬を止まらそうと手綱を引くが、迫り来る軍勢に興奮した馬は言うことを聞かず走り続ける。
 みるみるうちに小さくなる麗射。
「麗射――」清那の叫びは軍勢のあげる叫び声にかき消された。


 
 麗射はしがみついた馬から半ば振り落とされるように地面に降りた。そのままイラムに向かってまっすぐに走る。
「おのれ、うつけ者が」
 眼前には黄金の鎧に身を包んだ武人が、怒気をみなぎらせて迫る。武人は馬からひらりと飛び降りると少女に向かって鞭を振り上げた。
 両腕で頭を守るようにしてうずくまるイラム。
 うなりを上げて鉄の鞭が振り下ろされる。
「イラム」
 両腕を広げてイラムに抱きついた麗射の額を鞭が襲い、彼の額に走った深い溝から血しぶきが噴いた。しかしひるむこと無く、イラムを抱き寄せたまま、まっすぐに鞭を振るう男をにらみつける。
 兜の隙間から、二つの冷酷な光が麗射を射貫くように凝視している。
 再び振り上げられた鞭は、先ほどより強く麗射を襲った。
 ざくり、青年の頭と腕が赤く染まる。しかし、麗射はイラムを覆うように抱き寄せたまま動こうとしない。鞭は容赦なく麗射を打ち据える。
「止めて。お父様っ」
「お、お父様……」
 麗射は息をのんで武人を見、そして改めてイラムに目をやる。
 麗射を見つめているのは武人と同じ深い湖水色の瞳、であった。
「ごめんなさい、麗射。どうしても言い出せなかったの。私の父は反乱軍の長、斬常なの」
 全身を朱に染めた青年の頭をかばうように手で抱え込み、少女は目の前の武人を見つめた。
「私は自分から馬を降りて戻ってきたわ。それでいいでしょう、お父様。もうこの人には手を出さないで。この人を殺さないのなら、私はお父様の言うことをなんでも聞く。言うことを聞いてくれないなら、私は舌をかみ切ってここで死ぬわ」
 その瞳には強い決意がこめられていた。
「相変わらずのわがまま娘だ。お前の母親とそっくりな――」
 殺気にあふれていた武人の顔が、急に緩んだ。
「なんでも言うことを聞く、か。いいだろう、我が愛しい娘よ。約束しよう」
「イラ……ム、行くな。好きなんだ、君のことが……」
 麗射の視界が血でかすむ。容赦ない鞭の打撃は彼の頭を大きく揺さぶり、胸の拍動と同期するようにずくずくと割れるような痛みが押し寄せる。
「私もよ、麗射」
 イラムは、愛おしそうに血まみれの頭をそっと両手で包むと胸に抱き寄せた。そのまま麗射をかばうように体をかがめ、顔を寄せる。
 柔らかい感触が麗射の唇に重なる。
 その瞬間、世界は無音になった。それは触れたか触れないかのかすかな口づけであったが、二人は言葉で伝えるよりも多くの約束を交し合った。
 手を離すと、イラムはふらつきながら立ち上がった。
 麗射は両手で彼女の手をつかむ。しかし、その手はほどなく力尽きて滑り落ちた。
 金髪をなびかせた背の高い武人は、壊れ物を扱うかのようにそっとイラムを抱き上げた。
「愛しい娘よ」
 満面の笑みを浮かべて斬常は娘に頬を寄せる。
「イ、イラム……」
 あふれる血で視界を奪われた麗射は、手探りでイラムを探す。
 馬上のイラムはそっと顔を伏せた。
「おい、霧亜」
 馬首を返すと斬常は、緑の鎧に身を包んだ青年に呼びかける。
「あの男を始末しろ」
 目に残忍な光を浮かべ、斬常はこともなげに告げた。
「お父様っ」イラムが叫ぶ。「約束が――」
 娘の言葉の終わらぬうちに、斬常の長い指がイラムの首に食い込む。一瞬のうちに意識を失った少女は、人形のようにだらりと父親の体に寄りかかった。二人を乗せた黒い馬は軍勢の中に吸い込まれていった。
 残された霧亜は馬上から地面に這いつくばる男に目をやる。
「ふん、こんな男のどこがいいのやら」
 霧亜の脳裏には、練兵場で手合わせした軟弱なこの男の姿が浮かんだ。
――めずらしく波州から入隊希望者が来たようです、なんでも真珠の都の獄で氷炎の知り合いだったようで。
 その一言でイラムの表情が一変した。少女の輝いた瞳をこの青年はつい今しがたの事のように思い出す。波州の男について何かと質問攻めにするイラムを不思議に思って、波州の男とはどれほどのものなのかと手合わせしてみたが、話にならない無力さだった。まさか、彼女がこんな男にたぶらかされていたとは。
 霧亜は手に持った短い槍を無造作に掲げた。
 霧亜の槍は穂の部分が先端と両脇の三つに分かれている十文字槍である。複雑な形は様々な武器として使うことができれるが、使いこなすのはかなり難しい代物であった。
 目の前の男は、出血で意識が混濁しているのかすでに立つこともできない。地べたにうごめく虫けらのようなこの男を串刺しにするのは、この研ぎ澄まされた槍を使うまでもない簡単な仕事だった。
 その時霧亜は、らんらんと目を輝かせ豪華な鎧に身を包んだ一騎が土煙を上げてまっすぐに突進してくるのに気がついた。
 その男は何やら大声で叫びながら、不安定な手綱さばきで剣を振り上げている。
 落ち着かない奴だな。むやみに叫ぶのは、己の自信のなさを露呈しているというのに。
 口元に薄笑いを浮かべると、霧亜は目の前のうるさい蠅を先に追うことにした。
 ちょっとした動きがこの場を戦場に変える事は、両軍の司令官にもよくわかっているのであろう。霧亜と麗射を前にして両軍とも微動だにせず対峙している。
 向かってきた青年は、霧亜めがけて勢いよく長い剣を振り下ろす。
 なんという不注意で雑な太刀筋。肩をすくめると霧亜は十文字槍を一閃させて、その剣を難なく跳ね上げた。
 まるで天空に放り投げられたように、高い放物線を描いて地面に突き刺さる剣。青年の顔色が一瞬で青くなる。
「おのれ」
 次に青年は背負った剣を引き抜くと、雄叫びを上げて打ちかかる。
 霧亜は青年が刀を引き抜くのを悠々と待ち、わずかに体をよけて青年の剣をかわした。霧亜の目には青年の剣がまるで止まったように見えている。
 青年はかわされて無様によろけた体勢をなんとか立て直し、今度は渾身の力を込めて剣を水平に振りぬいた。
 しかし、霧亜はまだ槍をだらりと降ろしたまま、余裕たっぷりに馬を下げて剣をやり過ごす。
「届かないんだが、剣が」
 霧亜が高らかに笑う。同時に赤毛の馬も青年を馬鹿にするようにいなないた。後ろに控える軍勢からも揶揄(やゆ)の声が上がる。
「ええい、真面目に勝負しろ」
 青年は裏返ったかん高い声で、眼帯で片眼を覆った緑の鎧の武人に叫んだ。
 この声は――。
 赤く染まった麗射の視界にぼんやりと浮かび上がったのは、壮麗な青い鎧に身を包んだ玲斗だった。
「私が本気になった瞬間がお前の冥府への旅立ちになるが、いいのか」
 霧亜の声に少なからず哀れみが含まれているのに気がついたのか、玲斗は声にならない叫びを上げて再び斬りかかった。
 軽くいなされた剣は、主人の手を離れてポトリと地面に落ちる。
「くそうっ」もてあそばれていると気がついたのか、玲斗は短刀を引き抜いた。差し違える覚悟だろう。凱斗の息子の名にかけても不名誉な敗北は許されないということか。
「坊や、そんなに命がいらないのか」
 軽口をたたく霧亜の声が徐々に冷たくなっていく。
「そろそろお遊びはお終いにしよう。冥界の主によろしく伝えてくれ」
 霧亜はほんの少し本気の構えで青年に槍先を向けた。
「やめろ、逃げてくれ玲斗」
 動かない体を震わせて麗射が叫ぶ。
 俺たちはお前を救いに来たのに。頼む、こんなくだらないことで命を粗末にするな。
 あふれた涙と血が視界を奪う、もう目を開けていられない。
 死ぬな――っ。
 絶叫が荒野に響きわたった。
 玲斗が殺された瞬間、この大地は両軍の激突で血に染まるだろう。
 しかし。
 もの音一つしない静寂が広がっている。
 おそるおそる麗射が目を開ける。
 曇る視界の中、霧亜の十文字槍は空中で止まっていた。
 止めたのは、研ぎ澄まされた青色の長剣。
「玲斗様、あなた様の勇気は我が軍に伝わりました。逃げるのは恥ではありません。最後に勝つ者こそが真の勝者なのです」
 牙蘭の低い声が音を失った戦場に響いた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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