第86話 火翔

文字数 3,939文字

 麗射が寮の部屋に戻ると、同室のレドウィンの荷物を一心不乱に片付けている者がいた。麗射に背を向けたその短い茶髪の男は、木箱に本をぎゅうぎゅうに詰めて、布で包み紐をぐるぐるとまわしている。
 それは卒業間近の学院生達の居室でよく見られる光景であった。卒業は徐春の頃だが、冬の終わりから卒業生達は、卒業製作の発表や展示にてんてこ舞いになる。いらない荷物は早めに処分なり、交易が多く運賃の比較的落ち着いている冬の間に次の住まいに送ってしまう必要があった。
 麗射が砂漠から帰って以来、レドウィンはなんだが彼を避けているようで、麗射が実習や講義に出ているときに荷物だけ取りに来て、通常は作業室に寝泊まりしていた。多分守れなかった夕陽の事が後ろめたいのであろう、なんとなく彼の負い目を感じた麗射もことさらにレドウィンを追おうとはしなかった。麗射を避けているレドウィンは、この部屋の片付けも誰かに頼んだのだろうか。
「君、誰?」
「おまえ、寝ぼけてるのか?」
 男が振り向く。そこには、見違えるように普通になったレドウィンが笑っていた。
「か、髪……茶色だったんだ」
 元の極楽鳥を思わせる七色の逆立った髪との違いに、麗射が目をしばたたかせる。
「俺、叡州で貴族相手の調度を作る工房に勤めることに決まったんだ。だからもう青春の日々とはお別れ、ってこと」
 ちょっと照れくさそうにレドウィンは頭をかいた。
「夕陽の事でウジウジしていてすまなかった。自分のふがいなさが許せなくって、お前に合わす顔がなかったんだ。でも、悩んでいても何も進まない。だから俺は、俺のやれることをやった、って吹っ切る事にした」
 レドウィンは麗射の肩に両手を置いた。
「だから、お前も悩むな。悩みは歩みを止める、とりあえず前を向け」
 真面目くさった顔が、急にニヤリと崩れた。
「学院を頼む」
「え?」
「俺の卒院前に、学院生代表選挙が行われる。出てくれるだろ?」
 麗射の口がぽかんと開く。
「だって、俺まだ1年目ですよ、次にやっと2年目だし。それに代表は成績優秀な――」
「俺はたまたま優秀だったが、別に成績は関係ない。大切なのはここだよ、ここ」
 レドウィンは胸の鼓動が聞こえるあたりを握りこぶしで数回軽くたたいた。麗射の成績が低迷しているのは上級生にも知れ渡っているようだった。
「選挙は在学生の投票となる、他にも何人か出るから割れるだろう。だけど卒業生の票は俺がまとめてやるから心配するな」
 まだ、受けるとも言っていないのに、レドウィンはさっさと立候補用紙に記入をしそこに現代表推薦と書き加えた。
「出すのはお前だ。やらないのなら捨てちまえ」
 そう言い残すと、心は叡州に飛んでいる青年は出て行った。




 4年生の春の卒業制作とともに、3年以下の学院生も「卒業生への感謝」をテーマに何か展示をすることになっている。
 ただ、今回は個人だけでは無く、何人かで組になって大作を仕上げたり、何か美術に関する演技や踊りなどの出し物をしても良かった。
「何をしようかなあ」
 美蓮がうれしそうに食事を取る麗射の元にやってきた。
「なんか皆の肝を抜くようなド派手なことをしたいよなあ、なあ火翔(かしょう)
 美蓮の傍らに立つ火翔と呼ばれた青年は、ええと低くつぶやいた。
 切れ長の青い目に、そばかす。かすかに紫系の薄い髪の色は叡州の北方民族の出自か。しかし、麗射達の目を見るでもなくうつむき加減の彼は、話に入るでもなく相づちを繰り返すばかりで、どこか上の空であった。
「じゃあ」
 一人先に食事をかき込むと、火翔は立ち上がった。
「お、おい待てよ、相談はこれからなのに」
「適当にやっといてください。僕は名前だけでもいいんで」
 皆の不審げな目つきを背中で受けて、彼は立ち去った。
「い、いや、そんな悪い奴じゃ無いんだ」慌てて美蓮が両掌を振る。「協調性が全くないだけで、結構実力もあって……」
「お前は捨てられた犬公(イヌコロ)を拾ってくるタイプだからな」
 瑠貝が肩をすくめる。
「麗射の時だって、最後まで見捨てなかったのはお前だったからな。しかし、同じ事は毎回おこらないぞ」
 瑠貝は首を振った。
「共同製作は連帯の(たまもの)だ。あいつは良い噂を聞かない。反対だな」
「いや、そこをなんとか。あいつ最近創作もうまくいっていないし、下手すれば落第なんだよ。一度落第すればそのまま放校になってしまう気がして――」
「わかった、美蓮。一緒にやろう、火翔と」
 皆が声の主、麗射の方を向く。
「また、始まった」
 瑠貝が顔に手を当てて、椅子の背もたれに沿ってのけぞった。
「俺はもう嫌なんだ、卒業以外でここから脱落する学院生を出すのが」
 皆、声には出さないが、麗射の心の根底には夕陽が居ることがわかっている。
「火翔と話してみたいな」
「ありがとう、麗射」
 美蓮は、麗射の手を握って何度も礼を言う。
「今度、酸冷麺おごるよ。毎食でもいいぞ」
「いや、それは……」
 ありがた迷惑に近い。酸っぱい物があまり好きでは無い麗射は苦笑いした。



「で、ここに来たって言うんですね」
 オアシスの外れ、駱駝の厩舎があるところに火翔は一人でたたずんでいた。
 あまり知られていないが、ここには小さな門があってオアシスの外に出ることができる。
 もちろん内側に門番はいるが、外はわかりにくいように偽装されていた。
「美蓮に聞いたよ。実家は火薬を扱ってるんだって?」
「ええ、毎日爆発を見てました」
 火翔は振り向きもせず、遠くを眺める。
「自分も習って、爆発させていました。だってきれいなんですよ、跡形無く物が砕け散るのは。どんな思い入れのあるものでも、一瞬で無になる。無常って、心が震えませんか?」
 火翔の目の色はどこか通常の光を逸脱している。
 麗射は無言で立ちすくんだ。
「へえ、行かないんですね」
 しばらくの後、火翔はゆっくりと振り返った。
「僕は変なんです。皆が眉をひそめることが、僕にとっては面白くて美しくてたまらない」
 麗射を見つめる瞳は、どこか見下したような暗い光を発している。
「だから、みんな僕を人じゃ無いような目で見ます。工芸科の入学試験の時、僕の作るからくりが、異常に精緻で常軌を逸しているといって……」
 青年は挑発的な笑みを浮かべた
「教授達は褒めてくれたんです。こんなこと初めてでした、受け入れてもらったのは。小さい頃から執着が強すぎるって、家族にも集落にも変な目で見られてましたからね。ああ、きっと同類がここにはたくさん居るんだ。仲間ができる、って期待して入ってきましたがやはり僕はつまはじきでした。ええ、水面下ですけどね。みんなのふとした仕草や目線に内なる声が響いてくるんです『こいつは変だ、異常だ、近づくな』ってね」
 あいつは、火に焼かれて人がたくさん燃えている絵を描いていたんだ。それも克明に一身不乱に、楽しそうに。ナイフを見る目が違うんだ、うっとりとして――。
 友人達が耳打ちしてくれた言葉が麗射の脳裏に蘇る。
「夕陽の絵を見た?」
「え?」
「不気味な絵だよ。目を背けたくなるようなね。だけど、どんな不気味で怖い状況にも美はあるんだ。それに気がつく、君は数少ない人の一人かもしれない」
 探るような瞳で火翔は麗射を見ている。今まで彼を更生させようとしてうわべだけで近づいてきた人はたくさん居た。火翔はその人々がすぐにさじを投げて逃げるのを知っている。
「爆発で悦ぶな、人の屍体に興味を持つな、刃物を見るな……。無理だよ、破滅とか危険な匂いのするものに興味があるんだから」
「必要だったんだよ。人間が獣の時代、血を流すしか生きられない時代にはね、その凄惨さに目を背けずに生きられる人が。でも今はそんな時代じゃ無いからな。ところで、君は人を殺したいかい? 人を殺して血を見たい?」
 火翔は首を振る。
「僕は爆発が好きなんだ。破滅に浪漫を感じるんだ。死に興味があるのは同根だと思う。でも、人を殺すとか、生き物を傷つけるのは嫌だ」
「俺もきっと破滅が好きだ。壮大な爆発は美しいだろう。すべてが無になる瞬間の悲しみを突き抜けた美しさに魅入られるだろう。そうだ、煉州を旅したときに火を吹く山の話を聞いた。遠くで見る限りには、吹き上げる火柱や、夜空を染める赤い火はどんなに美しいだろうと、心が震えたよ。それに、溶岩が流れた後は美しい草原も焼き尽くされてすべて無になってしまうんだ」
 延々と話し始める麗射を見つめる火翔の頬が緩んだ。
「君も変だ」
「そうだ、ここに来る人間はみんな変だ。美が最上の変な奴らの集まりだ。美蓮も変だ。そして瑠貝も。まずは付き合ってみろよ俺たちと。そうだ、凄い爆発をやろうよ、今度の卒展で」
「えっ、駄目だよ」
「いや、皆の作品を壊そうって言うんじゃない。どこか砂漠でさ、なんか激しい爆発をして皆の度肝を抜こうぜ」




「それは、お祝いになるのか?」
「門出に爆発って、縁起悪そうだよ」
 食堂で紅茶を飲んでいた瑠貝と美蓮が首をかしげる。
 勢い込んでやってきた麗射と火翔は黙り込む。
「でも、ま、美しければいいか」
「すかっとするかもね」
 二人はにんまりと笑った。
「安全にできるのか?」
 ええ、と火翔が頷いた。
「みんなに怪我はさせません」
 今まで白い目で見られながら試行を繰り返してきた彼には自信があるようだった。
「美蓮は、火翔となんか派手な爆発を考えてくれ。瑠貝は金策だ」
「ま、俺の金策はある意味芸術だからな」
 瑠貝が頷く。
「俺は……、食堂で火薬の金を稼ぐのと、各所へ許可をもらうために頭を下げて回る」
「で、まずは火翔、どんな爆発を考えているんだ」
 美蓮が促す。火翔がちょっと照れた表情で口を開いた。
「ええと、まずは……」
 食堂にいた他の学院生達も乗ってきて、火翔の説明に耳を傾け始めた。

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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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