第22話 焼刻

文字数 4,383文字

 麗射は両腕を鎖につながれて天井から垂れ下がっている。
 どれだけ殴られて、どれだけ鞭打たれたか。
 日々の巡りを忘れてしまうほどに、拷問は苛烈を極めた。むき出しにされた上半身は縦横無尽に鞭の痕が走っている。

 麗射に暴行を加えているのは、見覚えのある獄吏達ではない。見たこともない軍装に身を包んだ金髪の兵士達だった。おそらく氷炎を受け取りに来た煉州(れんしゅう)の使者の一団だろう。彼らを率いているのは手の込んだ細工の入った胴あてに錦糸の縫い取りがある厚いマントを(まと)った、大柄な男である。おそらくこの男が使者本人であろう。男は焦りに顔を赤く染めて、矢継ぎ早に麗射を詰問し続けた。
「誰が氷炎の脱獄を計画したのだ」
「俺だ。監視を欺いて鍵を奪い、彼らを脱獄させた」
 麗射は何百回となく同じ言葉を繰り返すのみ。
 顔は腫れあがり血でむくんだ唇はすでに本来の色を失っている。意識が甘美な暗黒に落ちようとするたびに、全身に酢を混ぜた水が浴びせられる。そのたびにいく千もの針を刺されるような痛みに声をあげながら、麗射は現実に引き戻される。
「おい、地塩」
 ちぢれ毛の地塩が呼ばれて目の前に立ち、尋問の続きが始まる。
 地塩は麗射の髪を鷲掴みにすると顔を上げさせた。
「氷炎に細工をしたのはお前だな」
「ああ、俺だ。自然の木の実、花の汁、俺にかかればそこいらにある物なんだって変化(へんげ)の道具になる」
 かすれた声で麗射が答える。
 傷が重かったのか獄長はこの場に出てきていない。
「だが、どうやって獄が開いたのだ」
「見回りに来た獄吏を騙して開けさせた。そのあと、俺がそいつを殴り倒した」
「馬鹿を言え」
 横合いから使者の筋肉が盛り上がった腕が伸び、鎖で吊り上げられている麗射の手首をつかむ。
「この細い腕で訓練を受けた獄吏を一発で倒せるものか」
 使者は憤怒の形相で麗射を殴りつけた。相当焦っている、ということは氷炎達は捕まっていないようだ。麗射は安堵のため息をついた。
「それに、獄吏も普通は囚人の誘いに乗って獄に入るなんて真似をしません」
 地塩の無表情な顔が麗射の顔に迫った。
「獄吏の中に内通者がいたのではないのか、麗射」
 地塩の片手には鞭が握られている。
「素直に白状すれば、お前をこっそりここから釈放してやるがどうだ」
「俺がやった」麗射はうわごとのように繰り返した。
「まだ食い足らないかっ」
 うなりをあげて鞭が麗射の身体を襲う。
「俺が計画して、俺がすべてをやったんだ」
 血塊を吐き出しながら麗射が叫んだ。
「懲りない奴だ。あいつらをここに連れてこい」
 地塩が叫ぶ。
 しばらくして連行されてきたのは勇儀(ゆうぎ)雷蛇(らいじゃ)だった。二人とも麗射の無残な姿を見て息を飲んでいる。
「お前たちがすべて吐いてしまわなければ、麗射は死んでしまうぞ。この計画を手引きしたのは誰だ。そして勇儀、お前を殴ったのは本当は誰なんだ」
「皆が寝静まった後、俺が一人で計画して一人でやった」
 麗射は地塩の言葉を遮るように叫んだ。しかし我慢できないというように雷蛇が口を開きかける。
「殴ったのは――」
「黙れっ」麗射の目が雷蛇を睨みつけた。その目は掌魂の誓いを思い出せと命じている。
 掌魂の誓いを立てたなら、掌を出した相手のいう事はすべて聞かねばならない。
 雷蛇は大きく息を吸って、口まで出た言葉を飲み込んだ。
「雷蛇、嘘をついてまで助け舟を出すな。迷惑だ」
 生き方も美学なのだ。仲間を売るわけにはいかない。もししゃべれば、勇儀は罪人となり、家族は路頭に迷うだろう。雷蛇に至っては下手すれば死罪になる可能性がある。麗射には己の信じる美学に殉じる覚悟があった。
 勇儀の口元が震え、目が真っ赤になっている。
 沈黙はしていても、その表情がすべてをさらけ出していた。
 煉州の使者が薄笑いを浮かべる。
「大方、勇儀が計画を持ち掛け、囚人どもが協力して氷炎を逃がしたのだろう。走耳の首ももらうつもりだったが、この騒ぎに便乗して逃げられたのは残念だった。おそらく幻風とやらは暗殺失敗の(とが)を恐れて逃げたのだろう」
「私が氷炎の白目が黄色くないことを報告したとき、幻風は獄長殿に、ちょうどいい機会だから今から走耳の命を奪うと申していましたが――」
「幻風という暗殺者も最終的に誰の味方だったのかよくわからんな。獄長は手柄を独り占めしたいという己の欲に目がくらんで他の者には走耳の件を話していなかったようだが、そこにつけこまれて幻風にうまく騙されていたのかもしれない」
 太い腕を組んだ使者はすらりと刀を抜いた。
「煉州の手前、手ぶらで帰るわけにはいかない。この三人の首を――」
「証拠もなく、刑に服する囚人や無実の獄吏を殺すつもりか」麗射が叫ぶ。「お前のやることは間違っている」
「もうこれ以上聞いても無駄のようだな、まずはお前からだ」
 煉州独特の太い直刀が麗射に向かって振り上げられた。
 麗射が目を閉じたその時。
「やめろ」弱弱しい声とともに右肩と首に包帯を巻いた獄長が入ってきた。
「大丈夫ですか、獄長殿」数人の獄吏がよろめきかけた獄長に駆け寄る。
「あんなに出血したのです。まだ歩けるような状態では――」
 両脇を支えられながら、獄長は使者に向き直った。
「使者殿。この牢獄は我が管轄だ。勝手な真似はやめていただこう」
 獄長の言葉に煉州の使者は目をむいたが、しぶしぶ刀を下げた。さすがに獄長の命令に背くほどの権限はないのであろう。
「脱獄を幇助した麗射は焼刻を入れて砂漠に放逸。それですべて終わりだ。使者殿もお引き取り願おう。走耳と氷炎を逃したのはすべて獄長の不手際、そう報告なさるがいい」
 しん、と静まった房内で獄長がつぶやいた。
「人の命を奪うのは、天帝にだけ許された所業だ」



 命をとられずに済んだとはいえ、焼刻が入るというのは重罪人の証であり、中には焼刻の火傷で命を落とすものもいる。決して軽い処罰ではなかった。
 とはいえ、麗射に死刑を下さなかったのは、あの夜麗射が幻風に助命を嘆願した事が、この冷たい男の心に何かの変化を起こさせたからだろう。
「こっちだ」
 上着をはぎとられ引きずられるようにして連れていかれた部屋には炉と真っ赤に焼けた鉄ごてが準備されていた。その前にかすかに震えながらうなだれて立っている長身の人影があった。
「勇儀」
 麗射が声をかけると、うつむいた顔がゆっくりと上がった。
 麗射が刑の宣告を受けてからたった数時間しか経っていないというのに頬がこけ、真っ青な顔色になっている。
「本日の執行役は勇儀だ」
 地塩が麗射の首元を手荒に押して、手を地面についてひざまずかせた。勇儀にとっては自らが焼刻を受けるよりもつらい罰かもしれない。
「押さえつけろ」
 見覚えのある金髪の獄吏達が、麗射の身体の周りに立った。皆一様に顔をこわばらせ、唇をかみしめている。
「れ、麗射。動くな、危ないから」
「すまん」
 口々に言いながら彼らは麗射の身体を固定する。手の震えが、麗射の身体に伝わってきた。
「何をしている、勇儀。早く焼刻を入れろ。奴の背中を焼けただれさせて、一生背負う罪の刻印を入れてやれ」
 躊躇する勇儀に地塩が甲高い声で叫んだ。
「勇儀、頼む」
 麗射が声をかける。
「これですべての償いは終わる。けりをつけてくれるのが君で、本望だ」
 勇儀は歯を食いしばり、真っ赤に焼けた鉄ごてを持ち上げた。
「すまない麗射、お前は私の恩人――」
 勇儀の言葉は麗射の絶叫にかき消された。
 
 

 麗射が背後から焦げ臭いにおいを漂わせながらいつもの囚人部屋に戻されたとき、囚人たちはそのあまりに無残な姿に息を飲んだ。
 左右の肩甲骨の間には焼けただれた黒い皮膚で、編みかごの中に人が囚われる「罪」を表す意匠が刻印されている。
 うめき声をあげながらうつ伏せで横たわる麗射を囚人たちが取り囲む。鉄格子から獄吏達も不安げに覗き込んでいる。
「何か必要なものがあれば言ってくれ」
 獄長の裁量で許可されたのか、勇儀と煉州の獄吏達が薬草と水、塩を持ち込んだ。もう幻風はいないが、門前の小僧となった囚人たちは見様見真似で麗射の治療を行い始める。
 しかし、幻風のような巧者ではない。水膨れした火傷は膿をもち麗射を高熱が襲った。
 夢うつつに麗射は真っ赤な太陽が己の口に飛び込む夢を見ていた。
 内側から業火に焼かれるその苦痛に、麗射はのたうち回る。
「こりゃあ、やべえよ」
 囚人の1人がつぶやいた。
「幻風が病人は手首の脈を取れって言ってたけど、脈がふれにくくなってるわ」
 全身が鉛のように重く、脈動と共に背部からいくつもの針で貫かれるような痛みが麗射を苛む。荒い息のせいか喉がひり付くように痛んだ。
 もう、いい。すべてを捨てて楽になりたい。
 焼刻を入れられた自分は、もし命が助かったとしてもオアシス追放は免れない。美術工芸院入学は絶望的だ。ならば、なぜ生に執着する必要がある。
 遠くで獄の仲間が呼ぶ声が聞こえる。
 さようなら、みんな。俺は先に行く――。
 麗射がこの世に別れを告げた、その時。
「真珠の都のミント水です」
 目の前に黒いマントの少女が銀のコップを捧げ持って現れた。なみなみと注がれた水からは、鮮烈なミントの香りが立ち上っている。
「お飲みなさい、天龍。こんな乾いた喉ではオアシスの水が飲み干されてしまう」
 マントの下から覗く青い目が優しく微笑んでいる。
 ああ、君は銀嶺の雫で出会った娘か。確か、イラムと言った。
 麗射は押し頂くようにして、銀のコップに口をつける。口に含んだ水は、何か冷たい生気のようなものに変わり、喉の奥から胃の腑に落ちて行った。不思議と灼熱の身体は氷の様に冷えてゆき、同時に黄金色に光り始める。
「こ、これは、どうしたんだ」
 まばゆく光る自らの身体を見て、麗射がうろたえる。
「目がつぶれる、ま、眩しい」
「天龍よ、運命を投げてはいけません。苦しくても懸命に生きること、それもまた美なのですから」
 マントの少女が凛とした声で言い放った。
「俺は天龍ではない」
 真っ白な視界の中、呼びかけたはずの少女は幻と消え、麗射は深い海中からゆっくりと浮上するような不思議な感覚の中にいた。
「麗射、麗射っ」
 どこかで誰かが呼んでいる。
「麗射が気が付いたぞっ」
 瞼を開けた麗射の視界に、見慣れた仲間たちの顔が飛び込んできた。
 太陽を飲み込んだ夢。
 もしここに幻風がいれば、彼にこう言ったであろう。
「それは、天下を統べる夢だ――」と。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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