第77話 人質
文字数 1,835文字
「抜け道がある、そこから出よう。貯蔵室に行って」
イラムが台所に入ると、女官たちはいっせいに彼女のほうを向いてお辞儀をした。
「ちょっと、奥の貯蔵室に入っていいかしら」
先ほどまで厨房で大きな声で指示を出していた女官が慌ててやってくる。
「お嬢様、このような暗い場所に入っておけがでもしたら大変です。軽い食事なら、作ってお部屋にお持ちしますが」
「ちょっと探し物があるの。この娘と二人にして。100数えるまで誰も入っちゃだめよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべてイラムは、ランプを受け取ると貯蔵室に入る。滑り込むように清那もそのあとを追った。
皆は二人を唖然として見送る。
二人が入って、かなりの時間がたった。人々がざわめき始める。窓からは薄い暁光が差し込んできた。
「厨房頭、料理人から間に合わないから食材をもっと持って来いと催促が」
「しかし、イラム様が中にーー」
騒ぎを聞きつけて女官長らしき女性が厨房にやってきた。
「食材が縦横無尽においてある場所です。お怪我をされたりしてはかないません。私が許します、貯蔵室の扉を開けなさい」
「イラム様、失礼して入りますよ」
ランプを掲げて貯蔵室に入った厨房係は悲鳴を上げた。
人々がなだれ込む。貯蔵室の中には、少女たちの姿はなく、女官の服が一枚床に落ちていただけであった。
朝の光が二人を照らす。
「まっすぐ行って……右手に厩がある……兵舎はそのずっと向こう」
案内しているのはイラムだが、さすがに疲れてきたのか手首を握った清那に引きずられるようにして走っている。
厩は遠い場所ではなかった。外まで馬が餌を催促するぐーっという低い声が響く。
「馬たちが平穏だ。誰かが闖入している雰囲気ではない」
厩舎の壁に耳をつけて清那が不安そうにつぶやいた。
「麗射が来ていないようだ。脱出に失敗したのか」
「戸が開いているわ」
イラムが厩をのぞき込んだ。
馬のいななきが響く。
「そこにいるのは誰だ」
飼葉桶を放り投げる音と、荒々しい足音がした。
厩舎から兵士が飛び出す。
「わ、私です。馬に乗りたいの」
兵士はしげしげとイラムを眺める。
「あんた、誰だ」
その時、岩屋の宮殿の入り口から武器を持った兵士たちが大量に吐き出されてきた。兵士たちは三三五五に散らばりながら大きな声で呼びかける。
「イラム様――」
えっ、呼び声を聞いて厩舎の兵士が固まる。
清那は突き飛ばすようにして兵士を厩舎の中に入れると、いきなりイラムを左手で抱き寄せた。そして調理場から盗った果物ナイフを首に突き付ける。
「動くな、声を出すな」
ぴたりと白い首に当てられた刃が鈍く光る。イラムはびくりと震えると、顎を突き出すようにして、刃から首を背けた。
「麗射……」
まるで祈るような小声でイラムがつぶやく。
清那は小さく息を飲み、押し付けた刃を緩めた。
「馬を2頭用意しろ。鞍を血で染めたくなければ特上の駿馬を連れてこい。早くしろ」
兵士は真っ青な顔をして動こうとはしない。
「この娘が、どうなってもいいのか」
「お願い、馬を早く」
イラムの上ずった声に、兵士は慌てて馬房の扉を開けて馬を出した。しかし、その間も兵士たちがこちらに来ないか、外をちらちらと伺っている。
「僕は本気だ。手を出すと、この娘の命はないぞ」
清那の殺気に兵士は観念したかのように馬に鞍を置いた。
放りあげるようにして少女を乗せると、間髪を入れずに後ろに清那も飛び乗る。
「扉を開けろ。こちらじゃない、皆に見えにくい厩舎の後ろの扉だ」
片手で2頭の馬の手綱を持ち、片手でイラムを抱くと、清那は馬の腹を軽く蹴った。
2頭の馬は勢いよく厩舎から飛び出していった。
背後から仲間を呼ぶ兵士の声が響く。
「怖がらせてごめん、兵舎に向かう」
小刻みに震えていたイラムだが、清那の一言で落ち着いたのか、ほっと息をつく。
こちらを見つけたのか、兵士たちの声が二人を追ってきた。
「早駆けさせる。歯を食いしばって、イラム」
清那が片手で手綱をしごくと、2頭ともが風を切って走り出した。
向かって左前方に人だかりがしている。それは兵士達であり、みな右方向に向かって弓を大きく振り絞っている。
弓の角度は高くない、ということは獲物は近い。
人だかりの視線をたどった先には、壁に向かって走る麗射。
彼を追うように時折矢が放たれる。
イラムが両手で口を押さえる。
「放て」
号令とともに二人の眼前で無数の太い矢が麗射に襲いかかった。
「れい……」
イラムは意識を失った。
イラムが台所に入ると、女官たちはいっせいに彼女のほうを向いてお辞儀をした。
「ちょっと、奥の貯蔵室に入っていいかしら」
先ほどまで厨房で大きな声で指示を出していた女官が慌ててやってくる。
「お嬢様、このような暗い場所に入っておけがでもしたら大変です。軽い食事なら、作ってお部屋にお持ちしますが」
「ちょっと探し物があるの。この娘と二人にして。100数えるまで誰も入っちゃだめよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべてイラムは、ランプを受け取ると貯蔵室に入る。滑り込むように清那もそのあとを追った。
皆は二人を唖然として見送る。
二人が入って、かなりの時間がたった。人々がざわめき始める。窓からは薄い暁光が差し込んできた。
「厨房頭、料理人から間に合わないから食材をもっと持って来いと催促が」
「しかし、イラム様が中にーー」
騒ぎを聞きつけて女官長らしき女性が厨房にやってきた。
「食材が縦横無尽においてある場所です。お怪我をされたりしてはかないません。私が許します、貯蔵室の扉を開けなさい」
「イラム様、失礼して入りますよ」
ランプを掲げて貯蔵室に入った厨房係は悲鳴を上げた。
人々がなだれ込む。貯蔵室の中には、少女たちの姿はなく、女官の服が一枚床に落ちていただけであった。
朝の光が二人を照らす。
「まっすぐ行って……右手に厩がある……兵舎はそのずっと向こう」
案内しているのはイラムだが、さすがに疲れてきたのか手首を握った清那に引きずられるようにして走っている。
厩は遠い場所ではなかった。外まで馬が餌を催促するぐーっという低い声が響く。
「馬たちが平穏だ。誰かが闖入している雰囲気ではない」
厩舎の壁に耳をつけて清那が不安そうにつぶやいた。
「麗射が来ていないようだ。脱出に失敗したのか」
「戸が開いているわ」
イラムが厩をのぞき込んだ。
馬のいななきが響く。
「そこにいるのは誰だ」
飼葉桶を放り投げる音と、荒々しい足音がした。
厩舎から兵士が飛び出す。
「わ、私です。馬に乗りたいの」
兵士はしげしげとイラムを眺める。
「あんた、誰だ」
その時、岩屋の宮殿の入り口から武器を持った兵士たちが大量に吐き出されてきた。兵士たちは三三五五に散らばりながら大きな声で呼びかける。
「イラム様――」
えっ、呼び声を聞いて厩舎の兵士が固まる。
清那は突き飛ばすようにして兵士を厩舎の中に入れると、いきなりイラムを左手で抱き寄せた。そして調理場から盗った果物ナイフを首に突き付ける。
「動くな、声を出すな」
ぴたりと白い首に当てられた刃が鈍く光る。イラムはびくりと震えると、顎を突き出すようにして、刃から首を背けた。
「麗射……」
まるで祈るような小声でイラムがつぶやく。
清那は小さく息を飲み、押し付けた刃を緩めた。
「馬を2頭用意しろ。鞍を血で染めたくなければ特上の駿馬を連れてこい。早くしろ」
兵士は真っ青な顔をして動こうとはしない。
「この娘が、どうなってもいいのか」
「お願い、馬を早く」
イラムの上ずった声に、兵士は慌てて馬房の扉を開けて馬を出した。しかし、その間も兵士たちがこちらに来ないか、外をちらちらと伺っている。
「僕は本気だ。手を出すと、この娘の命はないぞ」
清那の殺気に兵士は観念したかのように馬に鞍を置いた。
放りあげるようにして少女を乗せると、間髪を入れずに後ろに清那も飛び乗る。
「扉を開けろ。こちらじゃない、皆に見えにくい厩舎の後ろの扉だ」
片手で2頭の馬の手綱を持ち、片手でイラムを抱くと、清那は馬の腹を軽く蹴った。
2頭の馬は勢いよく厩舎から飛び出していった。
背後から仲間を呼ぶ兵士の声が響く。
「怖がらせてごめん、兵舎に向かう」
小刻みに震えていたイラムだが、清那の一言で落ち着いたのか、ほっと息をつく。
こちらを見つけたのか、兵士たちの声が二人を追ってきた。
「早駆けさせる。歯を食いしばって、イラム」
清那が片手で手綱をしごくと、2頭ともが風を切って走り出した。
向かって左前方に人だかりがしている。それは兵士達であり、みな右方向に向かって弓を大きく振り絞っている。
弓の角度は高くない、ということは獲物は近い。
人だかりの視線をたどった先には、壁に向かって走る麗射。
彼を追うように時折矢が放たれる。
イラムが両手で口を押さえる。
「放て」
号令とともに二人の眼前で無数の太い矢が麗射に襲いかかった。
「れい……」
イラムは意識を失った。