第102話 覚悟

文字数 3,418文字

「オアシスから退去するのは約2000人、戦地とは反対側の波州を目指します。こちらに残る戦力は多く見積もっても500人、その中からこのオアシスの守備隊もさかなければいけません。砂漠で煉州軍を迎え撃つ事のできる戦力は300人足らずです」
 そこまで話した清那は講義室に集まった、警備隊長、美術工芸院の事務方、麗射と仲間達を見回した。窓の外を見てあくびをしている雷蛇を、警備隊長はにらみつけている。
「公子、どうしてこのならず者とともに戦術を練らないといけないのですか」
 傍若無人な雷蛇の振る舞いに苛立ちを我慢しきれない様子で警備隊長が叫ぶ。
「す、すみません。コイツは確かにならず者ですが、なで切りの雷蛇と呼ばれて、一騎当千の力を持つ……」
 麗射は、警備隊長が真っ青な顔になったのに気がついた。
「あ、あの伝説の鬼獣(きじゅう)か――」
「いや、俺、人間だけどな」鼻くそをほじりながら雷蛇は肩をすくめた。
 それ以後、ぷっつりと警備隊長は何も言わなくなった。
 麗射が知らなかっただけで、雷蛇の恐ろしさはあまねく世間の知るところであったらしい。
「誰もコイツに礼法は教えませんでしたが、この男はきっと役に立ちます。お許しください」
 勇儀は頭を下げる。ならず者を束ねる彼は、最近「鬼獣遣(きじゅうつか)い」と呼ばれていた。
「人数の不足は兵器で補わなければいけません。美蓮、投石機は作れますか?」
 清那の問いに、美蓮はじっと黙っている。
「この作戦には必要なのです。あなたならきっと――」
 物も言わずに立ち上がると、美蓮は焦げ茶色の巻き毛をバサリと揺らして部屋を出た。
「どいつもこいつも言うことを聞かない役立たずばかり。公子、あなたがいくらお爺様仕込みの素晴らしい戦術を立てられても、これではねえ」
 人ごとのように警備隊長は肩をすくめた。



「美蓮、いったい……」
 麗射は友人の後を追う。思えば彼は、麗射が皆から排斥されたときですら、平然と隣に座っていてくれたかけがえのない友人であった。難題に対しては楽しげに挑み、逃げたことはこれまで一度も無い。そしていつも彼は皆の期待以上の成果を上げてきた。
「美蓮」
 麗射は廊下で足早に立ち去ろうとする友人の肩に手をかけた。
 振り向いた友人の頬は紅潮し、口は見たことも無いくらい真一文字に結ばれている。
 美蓮は麗射の顔を見て、あきらめたかのようにため息をついた。
「僕はね、逃げてきたんだ。波州の家族から」
 窓を向いて、鼻声で美蓮は話し始めた。
「僕は、8人兄弟の5人目でね。親父は知る人ぞ知る発明家の巧蓮(こうれん)さ。波州の巧蓮工房と言えば軍も一目置く、軍事関係の工房さ」
「聞いたことがあるよ。いくつもの作業場を束ねた大きな工房で、確か船も作っていたよね」
 砂漠の冒険の時に、美蓮がこともなげに舟を作りあげたことを麗射は思い出した。
「ああ、主に(かい)でこいで推進を得る、大きな軍船を作っているんだ。最近は帆船に力を入れているみたいだけど」
 美蓮はため息をついた。
「僕は特に親父から発明の筋が良いって目をかけてもらってね。いつも特別扱いで、兄弟達から嫉妬されたもんさ。でもね、僕は人を傷つける機械なんて作りたくなかったんだ。人を幸せにする、人を楽しくする、そんな物を作りたかったんだよ」
 親に逆らって、家を飛び出した話。そしてとうとう折れた父が、美術工芸研鑽学院の試験を受けることを承諾してくれた話。そこまで話して美蓮は肩を落とす。
「別れ際まで、親父は泣いてたよ、もったいない、もったいない、ってね。お前なら最高の船や、大砲が作れるのにって……。しがらみを振り切るようにしてここに来たのに、ここでも兵器を作らないといけなくなるなんて」
 想像だにしなかった友人の背景に、麗射はかける言葉を失った。
「でも、あなたしかいないのです。あなたがやってくださらないと、私たちは、いやそれだけでは無くオアシスを去る人々までも、殺戮(さつりく)されてしまいます」
 麗射の背後から凜とした声が響いた。
「きれい事ではありません。まさに生きるか死ぬかの問題です。このオアシスの人々を救うためにはあなたの技術が不可欠なのです」
 清那は麗射を押しのけて、美蓮の真ん前に立つ。
「あなたが協力しないと、麗射が死にますよ」
「お、おい、そんな脅迫するような言い方……」
 麗射が慌てて清那をいさめる。だが。
「戦争なんです。こちらを殺しに来る本気の相手に対して、感傷に浸っていたら死ぬしかありません」
 清那は麗射を振り返った。
「あなたに先手を打って人を殺す覚悟はありますか? 戦いの場で躊躇(ちゅうちょ)している暇はありません。きれい事を捨てて、あなたは冷酷になれますか、残忍になれますか? オアシスの人々を救うために」
 言葉を失う麗射に、さらに清那は追い打ちをかける。
「はっきり言って、血みどろの戦いになります。戦場に人の心は必要ありません。感傷は自分、いや仲間の命取りになりますから」
 あなたは……。たたみかけるように清那は続ける。
「煉州軍の弓術隊と仲が良かったはずです。彼らと殺し合えるのですか」
 麗射は息をのむ。
「殺さなければ、殺されます。戦場ではほぼお互いの顔は見えない。だから、いくら友人でも知らないうちにお互いを惨殺してしまう可能性があります」
 自分は学院生代表だから、ここに最後まで残って皆の避難を見届ける覚悟はあった。しかし、そのためには煉州軍を足止めするため、恩人すら殺さねばならないのだ。
「私の覚悟はできています」
 彼の紫の瞳が、まるで燃えさかるように光っている。
「決して親しい間柄ではありませんでしたが、それでも叡州公家は私の心の拠り所でした。私は、公家を滅亡させ、珠林を灰燼に帰した斬常が憎い。この身は切り裂かれて朽ち果てようと、私はあの男と戦う所存です」
 でも……。清那の声が小さくなった。
「あなた方には逃げる権利があります。ここから出て行くという権利が」
 麗射の頭に、オアシスで会った様々な人の姿がよぎる。
 皆を無事に逃がさなければ。
 そして……。
 何があろうと、彼は清那を置き去りにする事はできなかった。
「大切な者を守る。自分の心を殺し、命をかけてでも。美蓮、俺はここに残る。達者で――」
「馬鹿言うなよ。俺も戦う。波州に帰っても俺の居場所はないんだ。蓮一族最高の頭脳が味方するんだ。大船に乗ったも同然だぞ」
 目尻を光らせて、美蓮が微笑んだ。
「俺にとって、お前らが家族なんだ」
 恐怖と、高揚と、責任感と。そして、それを捨てては生きていけないほどの、心の奥深い場所でのつながり。
 いろいろな場所から、いろいろな事情でこの美の砦に吹き寄せられてきた青年達。
 彼らはここでお互いに、かけがえのない家族となっていた。
 これから向かうのは血みどろの地獄としても、彼らの頭に逃げるという選択肢はない。


 真珠の塔から遠めがねで砂漠を見渡した清那は、美蓮と何やら話し込んでいる。
 美蓮の手には、細かい手書きの説明が入った何枚もの図面が握られていた。
「精緻な図ですね、さすが巧蓮様です」清那が感嘆の声を上げる。
「ま、親父の後を追ってても仕方ないから、これにさらに改良を加えるけどね。工芸科の好き者達も、図面を今か今かと待ち構えてるし」
 伝鳥で父親に送った手紙の返事は、熱砂の中を駆け抜けてきた駱駝隊によってもたらされた一抱えもある図面であった。かなり金を積んだのであろう、オアシスにたどり着いた一行は、図面を携えたものを守るように、屈強な男達が乗る駱駝が周りを囲んでいた。
「喧嘩をしても、親は親ってことですね」
 美蓮はぐすぐすと鼻の下をこすった。



「敵が陣を構える場所は、予想できます。そして、石の力を利用して、その反動で兵器を飛ばす、えっと――」
 すでに作戦室となった元講義室では清那が黒板に描いた地図を指さしながら説明している。
平衡錘投石機(へいこうすいとうせきき)です」美蓮が続ける。
「そうでした。その投石機を使います。麗射、例のものは波州から送られてきましたか?」
 清那がたずねる。
「ああ。美蓮と試してみたけど、大丈夫だったよ」
「小さい頃、よく夜店でこれを買ったなあ」
 同郷二人で盛り上がる。
 清那は大きくうなずいた。
「美蓮、あなたは工芸科の皆さんと闇の中でも標的を外さないくらいに投石の精度を極限まで上げてください。そして……」
 清那は麗射の方を向いた。
「あなたたち絵画科は染色と裁縫を――」
「おお、皆やる気満々だ」
 麗射は大きくうなずいた。

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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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