第114話 牢獄の戦い

文字数 3,860文字

「牢獄に攻城塔が集結。いくつかの攻城塔が壁の一点を集中攻撃し始めました。壁の上部は大きく崩れて、一部は3丈(9メートル)ほどの高さになっています」
 まだあどけない顔をした若い物見の一人が報告する。真珠の塔で戦況を観察している物見達は入れ替わり立ち替わり作戦室に現れては、刻々と変る状況を告げていた。物見は戦闘に役立たない調理員が請け負わされることが多く、戦争に関してずぶの素人の彼らは要領がつかめず四苦八苦している。
「なんだと2丈(6メートル)も削られたのか。壁としてはまだ高いが、やつらの攻城塔を介してなんとか壁から侵入できる高さだな」
 オアシスの元警備隊長である豪宴(ごうえん)が吐き捨てる。
「そこから敵軍は侵攻しているのか? おい」
「は……」
 落雷のような警備隊長の声に物見は震えて下を向く。彼が真珠の塔から確認したのは、敵が大挙して牢獄になだれ込む様子だった。
「怯えなくても大丈夫だ。正確なところが知りたい」
 麗射の穏やかな声かけに、物見はおずおずと顔を上げて口を開く。
「なだれ込む敵に押されて自軍は壁から退いています」
「奇併は?」
「奇併様達は……何をしているのでしょう。牢獄の中には入って行かれたのは確認したのですが、戦いには加わっておられないようです」
「一体、あいつは何を考えているんだっ」
 両手を机にたたきつけながら、今度は麗射が目を剥いて叫ぶ。一変した司令官の表情に、慌てて物見が部屋を飛び出していった。
 共に報告を聞いていた清那はそっと目を閉じる。
 あの不遜な若草色の瞳はこの先に何を見ているのか。もしかして彼は、均衡(きんこう)を取りながら戦略を考える自分には、とうていできなかった決断をするのか。
 と、したら。
「全く思い切りのいい奴だ」
 清那は小さくため息をつく。
「計算はできるが、後先は全く考えていないな……」
 彼の頭に浮かぶのは、牙蘭の姿だった。彼は武芸だけの男ではない、決してひけらかさないがきちんと整理された知識を持つ戦術家でもある。
 奇をてらった策は相手の隙を突くことはできるが、やはり最後に物を言うのは戦力差と緻密な作戦行動である。牙蘭が指揮をする煉州軍は、侮ることのできない相手であった。
「残念ながら君はここまでだ、奇併。ここからは私が引き継ごう。牙蘭、きっとあなたも私を呼んでいるのだろうから」
 清那はそっとつぶやいた。


 虫食い歯のように欠けた壁から、何百本となく縄が垂れ下がり、それに伝ってまるで濁流のように敵兵が牢獄の中に入ってくる。ほぼ円形である牢獄の直径は約110間(200メートル)。オアシスに通じる牢獄門と牢獄の建物の間にはいくつかの細かい倉庫、そして北に向かってナツメヤシの林、果樹園、畑の順で広がっている。広大と言える面積ではないが障害物があるため実際より奥行きは広く見えた。
「退け、退けっ」
 勇儀と雷蛇は、奇併の指示通りに北の壁から退くオアシス軍のしんがりを務めながら、軍を牢獄門の方に退却させつつある。怪我をした兵は多いが、幸い誰も欠けていない。
「けっ、俺を誰だと思ってやがる」
 敵の大軍を前にして、雷蛇の両手に握られた背丈ほどもある半月等が目にも留まらぬ速さで交差する。咆哮する鬼獣の前に、兵士達はまるで刈り取られる草のように細片と化して飛び散っていった。
「ちっ、だんだん刃の切れが悪くなって来やがったな。これからはちぎり飛ばすから覚悟しとけよ。肉を引きちぎられるのは相当痛いぜえ」
 雷蛇の目は興奮で赤く染まっている。そのひと睨みの禍々しさに、煉州軍はどよめいて後退する。雷蛇はぞっとするような笑顔を満面に浮かべ、足を止めた煉州軍の方に向かって行こうとした。
「もういいから、早く来いっ」
 矢を防ぐ大きな盾を掲げた勇儀が、雷蛇の後ろ襟を掴んで牢獄門に引きずる。
「殺すのを楽しむんじゃ無い。頼む、お前に死んで欲しくないんだ」
 殺戮に酔っていた雷蛇だが、目をつり上げた勇儀の言葉にぽかんと口を開く。
「わ、わかったよ、退却だな」
 目尻の赤い染まりが引き、雷蛇は勇儀の言うとおり自軍を追って走り出した。
「どんどん入れ、追撃するんだ」
 我に返った将らしき男のかけ声とともに、煉州の兵士が次々と牢獄内に突入し、絨毯(じゅうたん)のように牢獄の北側を覆い尽くす。しかし満員となっても兵士の突入は止らない。大勢(たいせい)が決した今、もう命の危険は少ないとみた兵士達は果樹や用水路の水目当てに、縄を伝って牢獄域に飛び込み続けた。高所から眺めると、まるで牢獄域が生き物のように煉州軍の兵士達を飲み込んでいるようにも見える。
「同胞の弔いだ。一人たりとも生きてオアシスに戻すな」
 先頭に立つ男の叫びに、兵士達の意気が上がる。彼らはオアシス軍を追って畑に突入する。その傍ら、戦闘そっちのけで歓声をあげて用水路に顔を突っ込んで水を飲むものも出始めた。
「畑は踏みにじるんじゃ無いぞ。残った野菜は収穫――」
 しかし。
 いきなり声を張り上げて先頭を走っていた将が倒れた。
 太陽が昇ると青砂漠の方に風向きが変る。牢獄域に入りこんだ風は、壁が大きく欠けた所を逃げ道にして吹き抜けていく。畑の南側から盛大に立ち上る煙が風に乗って、煉州軍の兵士達を襲った。
 いきなり周囲を覆う煙を目一杯吸い込んだ兵士達は、足をもつれさせたかと思うと、焦点の合わない目になって膝を突いて倒れていく。悪い事に、煉州軍の兵士達は砂塵の舞わない牢獄の壁の中に突入後、口の周りを覆う息苦しい布を剥がし首元に下げていた。
 オアシス軍は煉州軍の足が止る隙に、牢獄門に走る。
 煉州軍の兵達は、先を行く者が倒れるのを見て、何が起こったのかわからずうろたえるが、壁からどんどん味方の兵士が入ってくるため立ち止まることができず、否応なしに煙の中に押し出されるような格好になった。
 そして後方で、用水路の水を飲んだ兵士達が金切り声を上げて、もだえ始めた。


「何が起こったんだ」
 壁の外で指揮を執っていた剴斗は色を失う。
 突如オアシスの中からもうもうと煙が上がり、苦悶の叫びが響いて来たのだ。
「もう、牢獄に入るなっ、戻れっ」
 しかし、時すでに遅し。兵士達は制御不能の状態になり、前の者を押し込むように次々と牢獄内になだれ込んでいる。
 頼りの牙蘭は横に居ない。惨敗した敵軍がオアシスに戻ろうとした時、牢獄門が大きく開くことを予想して、牙蘭は牢獄門に向かっている。
「戻れ、戻るんだっ」
 牢獄の中から逃げだそうにも、外から入る人々が多すぎて、戻れないのであろう。牢獄の壁の内外では凄惨な光景が繰り広げられているに違いない。
 剴斗の悲痛な叫びは、真水を求め狂奔(きょうほん)する兵達の耳に届かなかった。


 牢獄内では、ようやく煙の作用に気がついた煉州軍の兵士達が、息を止め薄まった煙をかけ抜ける。彼らが断腸の思いで踏みつける足元には、昏倒した味方の兵士達が地面をびっしりと覆い尽くしていた。
 怒りに燃えた兵達が、獄舎の近くに来た時であった。獄舎の窓から一斉に火矢が飛び立った。その落ちた所から、まるで八方に道ができたかのように、果樹園を抜けて炎が走る。
 次の瞬間、牢獄内の各所で大爆発が起こり、果樹園と畑が激しく燃え上がった。
 果樹の下や畑には、夜の寒さから苗を守るため大量の枯れ草が敷かれていた。奇併の司令で枯れ草には油がかけられ、火薬の入った袋がその下に撒かれていた。揺れるカーテンのように炎が走り、ナツメヤシの林も瞬時に火に包まれた。
 次々に爆発して倒れるナツメヤシの木の下敷きになる兵士達。
 狭い牢獄域にぎゅうぎゅう詰めになった煉州兵には逃げる場所がない。火だるまになって転げ回りながら、ついには人の形を失う者、銀老草の煙で足を萎えさせたまま熱風を吸い込み苦悶の表情で息絶える者――。
 火に撒かれながらかろうじて用水路に飛び込む兵達もいたが、しかしそこも安全な場所ではなかった。せき止められた用水路には猛毒の顔料が大量に溶かされている。目を潰される者、そして、飲み込んで内臓をただれさせる者、そこかしこに阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れる。
 情け容赦ない罠の数々。そこはまさに冥府であった。


 奇併達の一団は一足先に牢獄門に向かっていた。牢獄門の味方は敵が来たらすぐ閉められるようにわずかな隙間を開けて彼らを待ち受けているはずである。奇併が振り返っても敵が反撃してくる気配はない。炎と銀老草の煙での足止めがうまくいっているのであろう。牢獄門だけは、要所だけあって壁がまっすぐに立ち上がり、高さも周囲よりさらに高くなっていた。
 彼の計画は、牢獄門からオアシス側に飛びこみ、全員帰還したらすぐさまその鉄の門を閉じて終了。で、あった。厚い鉄作りの牢獄門は一旦閉めてしまえば他の壁よりもむしろ堅牢である。  
 もし彼らが間に合わない場合には、門番達は心を鬼にしてこの門を閉めるだろう。
 牢獄を落とすことだけを目的とした場合、門の牢獄側を占拠することはオアシス側からの救援を遮断する意味がある。しかし畑を焼き尽くされ、水も使い物にならない今となっては、煉州軍にとってここは、ことさらに狙う必要のある場所ではなくなるはず……だった。
 だが、牢獄門まであと少しと迫った奇併達が目にしたのは不思議な光景であった。
 まるで彼らを待っていたかのように、牢獄門の上空に幾筋もの筋が走る。
 それはよく見れば矢に付けられた縄であり、壁の外から現れ、空を切って壁の外へと消えていく。
 牢獄門を守っている軍勢も、ポカンと空を渡った幾筋もの縄を眺めていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み