第101話 撤退作戦

文字数 4,107文字

 美蓮と共に繊細だが固い彫像を作り卒展で表彰された螺星(らせい)は、卒業後しばらくの間、奨学金を受け研究生として学院に在籍していた。
 彼が去るときにこの学院に残したのは、創世の勇士と呼ばれる天駆(てんく)(きみ)ユーシェルの青く輝く美しい像だった。螺星の特徴である細い紐のような優美な装飾が、剣を振り上げる青年の後ろに(ほどこ)されている。「砂漠の流星」という題名にふさわしい出来だった。
 螺星は帰っていた煉州で徴兵され、今年の初めに亡くなったとの噂が流れてきていた。
 夏の作品展が開かれなかった代わりに、麗射達は天に昇った魂達のために連日大量の爆花を上げた。オアシスの住民達も、学院生達も、その光跡を涙でにじませた。
 彼の事を思い出して、麗射、美蓮、清那は彫像の前に立ちすくむ。
「これは大きすぎて持ってはいけませんね」
 いとおしそうに美蓮がユーシェルの像を撫でる。
「どこかで()いであると聞いたのですが、外せそうな場所がわからないな」
「まあ、重さもあるから、彫像類は置いていかないといけないだろう。でもこれは固いから、少々のことでは壊れない。たとえ砂漠に埋もれても、いつかほぼこのままの状態で発見されるさ」
 数日前から教官の指揮の下、学院生総出で主だった美術品を梱包している。だが、先輩方の作品の美しさにともすれば鑑賞会が始まってしまい、目標よりも常に時間は遅れがちだった。
「おい、麗射。駱駝はオアシスに何頭くらい来るんだ」
 声をかけたのは、経是(けいぜ)講師だった。最初、麗射の描く女性を『砂漠らっきょう』と評した講師である。しかし、学年が上がり麗射の実力がわかるにつれ、麗射に対する風当たりは強くなくなった。玲斗と同じく、実力も無いのに入学したずるい奴と思っていたらしい。
 今は時々、麗射の素描に助言すらくれるほどの間柄だ。
「徐々にですが、最終的には千頭は用意できるはずです」
「よくそんなに集まりましたね」清那が目を丸くする。「そんなお金を用意してくれるなんて、瑠貝はいつから慈善事業をするようになったんです」
「何を言ってるんですか、公子。あなたの絵を――」
「わああああああっつ」
 叫びながら美蓮の口を塞ぐ麗射。
「え」
 清那の目尻がつり上がる。
「麗射、あなたが参考にしたいっていつも持って行く私の作品は、ちゃんと燃やしてくださっているんでしょうね」
「あ、っっ」
 麗射の顔色が青くなってから、赤くなった。しかし、観念したのか、彼は頭を下げる。
「すまん、全部ジェズムに売ってもらっていたんだ。金は瑠貝に預けていたんだが、あいつ勝手に投資して増やしやがって、それがこの駱駝代になっている」
 平身低頭の麗射を見て、ぽかんと口を開けたまま、公子は目を丸くする。
「すまない、本当にすまない。あの絵を(ほうむ)ることができなかったんだ。値段はつり上げてないから、波州を中心としたいろいろな階層の人々の家で飾られているはずだ。署名が入っていないから、誰の作品とも解らないと思うが」
「あれは、玲妃(れいひ)との約束で――」
 そこで清那は空を仰いだ。ひとりでに浮かぶ冷ややかな微笑みは自虐を帯びている。
 家柄をおとしめるも何も、もう叡州公の一族は自分以外いないのだ。だから、あの絵はどこに飾って、誰が見てもいいのだ。
 約束を破ったことは腹立たしいが、麗射は清那の生み出した作品の命を守ってくれた、とも言える。
「ゆるしてくれ」
「いいんです。これもあの絵達の運命だったのでしょう。私こそお礼を言わねばなりません」
 もし、自分がここで倒れても、あの絵達が残る。誰のものと解らなくてもいい、今は無き美しい故郷珠林(じゅりん)、そして麗射と冒険した玉酔(ぎょくすい)、沢山の思い出とそれを描いた人間がいたことに後世の誰かが思いを馳せてくれれば十分だ。どんな狭い部屋でもいい、どんな汚い場所でもいい、絵を愛してさえもらえたら――彼は各地に散った自分の分身達の幸せを祈った。



「おい、麗射よお」
 街を歩く麗射に声をかけてくれたのはいきつけの画材屋の親父だった。
 この店には結構貢いできた。あの店の柱の1本くらいは麗射の金でできている。
「俺達、秋にここを立ち去るんだけどご愛顧のお礼にここにある絵の具とか画材をすべてあんた達に寄付しようと思っているんだ」
 親父は麗射の両肩をたたく。
「敵が入ってきたら、赤い血の色の絵の具を被って死んだふりをしろ。お前さん達、しんがりを務めるって噂だけど、生き延びてこそのしんがりだぞ」
「ありがとうございます。ご厚意、遠慮無くいただきます」
 その日は画材屋の親父が大きな台車を貸してくれて、麗射は数人の学生を連れてきてすべてを学院に運び込んだ。しかし、今の彼らにその画材を使う当ては無かった。
 麗射が帰ると、美術工芸院の玄関がざわめいている。そこにはオアシスの住人らしき男達が数人わめき声を上げていた。
「帰れ、煉州の奴らは帰れ」
 彼らは(こえ)をひしゃくですくって、玄関前に立ちすくむ青年達にぶっかける。
 凄まじい匂いが辺りに漂っていた。
 警備兵達は男達が肥しか持っていないため、刃傷沙汰にはなるまいとばかり遠巻きで眺めている。
「俺の弟は出稼ぎに行っていた叡州で戦争に巻き込まれて死んだ」
「お前達の国が、儂らの生活を脅かすんだ。出て行け」
 罵られながら仁王立ちになって怒りに震えているのは玲斗だった。
 最近、金髪碧眼の彼らが煉州者と言われオアシスの中で攻撃されることが多くなった。
「こいつら、許せません。玲斗様、お許しをください」
 手に持った刀を抜いたのは順正であった。
「止めろ、止めろ」
 大きく手を振って中に割って入る麗射。
「邪魔をするな」
 彼の顔にも、肥がかかる。
「代表、本来ならお前らがこいつらを追放するべきじゃ無いのか」
「こいつらは敵だぞ」
「何を言っているんですか、彼らがあなた方になにか危害を加えましたか? 外見が似ていたり、同郷であったりするだけで攻撃するのは間違っています。憎しみは憎しみしか呼びません、ここはオアシス。古来からすべての人々に分け隔て無く水を与え、外見や出自に関係なく共に生活してきた自由の街です。あなたたちにオアシスの住人としての誇りはないのですか」
 麗射の言葉に、押しかけた住民達は黙ってしまった。
「帰ってください。あなたたちはこんなところで肥をまく暇があったら、荷造りをしてください」
 目を血走らせて怒る麗射。学院生代表のいつにもない剣幕に、住民達はすごすごと引き返して行った。
「玲斗――」
 麗射が振り返ると、玲斗は悔しそうに手を握りしめていた。
「見返してやる、見返してやるぞ……。俺たちは清廉潔白、勇敢な煉州武人なんだ」
 怒りに震えながら、玲斗はつぶやいた。



 盛夏を境に、太陽の光はかすかだが徐々に柔らかくなっている。
 まだ、砂漠の旅は危険である。住民達は、空を見上げながら一日も早い秋の訪れを待っていた。
 しかし、秋の訪れと共に煉州軍も侵攻してくるだろう。
 いつ旅立てば良いのか。オアシスの住人達は、ひたすら天帝に祈るしかなかった。
 そんなある日。
「うおっほーい、兄貴ぃぃ」
 美術工芸院の下で叫びながら手をふる大男がいる。
「麗射のあ、に、きぃぃーー」
 窓から顔を出した麗射の目に飛び込んできたのは、3年ぶりに会うあの男だった。
 彼と掌魂の誓いを結んだ、あの男。
雷蛇(らいじゃ)!」
 階段を駆け下りると、麗射は雷蛇に飛びつく。まさか、日の下で再開できるとは思っていなかった。
「叡州公が亡くなられて、恩赦となったのです。と、いうか牢獄も解散です」
 大男の影から、金髪碧眼の背の高い青年が出てきた。鍛え上げられたしなやかな筋肉質の身体と、意志の強い目を持った彼。
勇儀(ゆうぎ)!」
 牢獄の監督をしていた煉州出身の勇儀である。彼は麗射が入獄していたときにいろいろと世話をやいてくれた。反乱軍の氷炎を神のごとく信奉していた姿が麗射の瞼に焼き付いている。
「君は、煉州に行かなかったのか?」
「ええ」勇儀はくやしそうに答えた。「私たちの望んだ革命はこんなものではありませんでした。氷炎先生の理想はあの斬常に砕かれました。今の煉州になんの魅力も感じません」
 勇儀はまっすぐに麗射を見た。
「オアシス撤退作戦が進行中と聞きました。煉州出身者として、皆さんに迷惑をかけたのは慚愧(ざんき)の念に堪えません。是非、私たちにも撤退を手伝わせてください」
「俺は、七面倒くさいことはわかんないけどよ、とりあえず兄貴の力になるぜ。こいつらも」
 雷蛇の手招きで、柄の悪そうな男達がぞろぞろと姿を現した。


「侵攻してくる敵は少なく見積もって千人。しかし、水の問題もあるため、そう沢山の人数は来ないと思われます。彼らの一番の武器は矢雨です。彼らは矢雨でまず私たちの戦力を削いで、一気に潰す戦法でしょう」
 砂漠を見ながら清那は傍らの麗射につぶやく。
「まず、矢雨をどうにかしなければならないな」
 麗射は、イラムと脱出を図った時の事を思い浮かべる。狩猟を生業とする彼らの針の先を射貫くような技術は、驚異的だった。
「矢雨を浴びれば、切り込む前に勝敗は決するという訳か」
「数少ない警備兵と、そして勇儀が率いる雷蛇達を除ければ、残りは素人です。勝てるはずがありません」清那は肩をすくめる。
「え、君がそんなことを言ったら……」
 みんな逃げ出すに違いない。絶句する麗射を面白そうに見ながら、清那は首を振った。
「ここが、大切なところなのです。勝てないはずが無い、きっと敵将の心に隙が生まれるでしょう」
 砂漠を見つつ、清那の口に笑みが浮かぶ。
「そこに乗じるのです」
「何か良い方法が……」
「それは今から考えます。だけど、きっと良い方法があるはずです」清那は砂漠をにらみつけた。「己を信じて挑めば、扉は開けるのです。必ずや」
 気の強そうな紅色の唇。黙って坐っていれば、天帝に仕える天女に見えるほどの美しさだが、不敵な色を湛えるその紫水晶の瞳は、修羅を行く戦士のものだった。
「針の先を射貫くような正確な技術を持った射手から降り注ぐ死の雨……か」
「え。今なんと言いました、麗射」
「針の先を射貫くような――」
「それが、使えるかもしれません」
 戦士の瞳がキラリと光った。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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