第106話 青砂漠の戦い(3)
文字数 3,486文字
「昼の戦闘でみな疲れ切っている。今日は休ませてはどうだ?」
麗射の言葉に、清那は首を振る。
「今はお互いに条件は互角です。しかし現時点でも兵力は敵の方が多く、相手が休養をとって体力を取り戻せば一気に我が軍は不利になります」
たき火を囲んで、乾燥肉を戻したスープを飲みながら軍師はまなじりを上げた。
「彼らは予想通り北側の台地に陣を構えたようです。たたみかけるのは今日以外ありません」
「しかし」麗射は天空を見つめる。今しも細い月が西の地平に姿を消そうとしている。
「大丈夫です。陽のあるうちに美蓮が窪地ですでに2基組み立てを終えています」
暗闇に沈む虚空に目をやり、清那は静かにつぶやいた。
「煉州軍に、誰も見たことが無い戦い方を見せてやりましょう」
昼間の戦いで疲れ切った煉州軍の兵士達は、仲間の死を悼む余裕も無く星の下で泥のように寝ている。
夜の砂漠は冷える。たき火の周りに兵士達は集まって寝ており、たき火ごとに一人ずつ番が決められていた。彼らはねむい目をこすりながら消えそうになると薪をくべたり、風を遮って火を守ったりしている。
たき火番すら意識を手放しそうになる静かな真夜中。
彼らはかすかな音を聞いた気がして、上空を見上げる。
満点の星空をよぎって、何か丸くて黒い影が飛んで……。
次の瞬間。
ばしゃっ。という音と共に陣地に何か冷たいものがまき散らされた。
それは、次々と天空から降って落ち、破裂する音とともに辺りの兵を冷たい衝撃でたたき起こした。
水?
たき火を的にしているのか、火は次々に消えていく。
「何事だ」テントから飛び出した武奏 にもその冷たいしぶきがかかり、彼は思わず顔を拭う。
拭ったその手を見て、彼は絶句した。
真っ青に輝いているのである。
顔を上げると、彼の陣地は夜目にも鮮やかな青色に染まっていた。
その間にも、間断なく天空から何かが降り、地上で叩き潰されて青いしぶきが散る。
ひゅっ。
いきなり四方から矢音がして、青に染まった人影が次々に倒れ始めた。
いつしか焚き火はすべて消えて、辺りは闇に閉ざされている。
兵士達は、寝込みを襲われ、暗闇の中で何が起こっているのかさえも解らず右往左往しながらただ逃げ惑うだけ。
青い光の動きで遠目からもその動揺がよくわかる。
そして青い光は激しい矢音が上がるたびに、うめきを上げて地上に倒れていった。
敵の姿が見えず、為す術もなくただ標的となる恐怖。
「敵襲だ。火を、灯りをともせ」
武奏の声がむなしく響く。
しかし、火をつけようにも、暗闇の中では何がどこにあるのか解らず、兵士達は逃げ惑うばかりである。
だが、しばらくして、天から落ちる水の塊は止んだ。
「もうすぐ、蛍光が薄まる。早く叩き潰せ」
空気を切り裂くような声。
と、同時に四方から鬨 の声が迫って来た。
「無傷で伏せている兵もいるはず。倒れている青色も、すべてとどめを刺していけ。一人として残すな」
冥府の魔将のような冷酷な声で玲斗が叫ぶ。昼の戦いでは温存されていただけに体力がみなぎっているのであろう。彼の一団の活発な動きは、青色の動きが次々に止っていく様子が示していた。
麗射の故郷、波州では、夏に乾燥した海ほたるを水で溶かして夜市で売っている。
海ほたるは米粒の半分くらいの小さな虫で、穴の空いた入れ物に石と魚の肉を入れて海の底に沈めておくことで採取できる。特筆すべきは、乾燥させた海ほたるはしばらく保存でき、それを潰して水に溶かすことで、蛍光を再現することができるのである。
水からお茶を沸かして飲むほどの時間しか光らないのだが、闇の中で鮮やかに光るその蛍光に子供達は心を奪われ、毎年ねじり飴とともに親にねだるのが常だった。
「けっこう、高いんだけどなあ」
親は渋るが、子供の笑顔には勝てない。
共に売っている透明なねじり飴を、その蛍光に当てると、美しい青色に光る。飴のなかの気泡やねじりが不思議な世界を醸しだし、それがなんとも楽しくて、最後には親子共々笑顔になる、波州の夏の名物になっていた。
「これっぽっちでこんなに強く光る海ほたるは見たこと無い」
旅人でさえ買い求め、ひとときの清涼に浸るのである。
清那は同室で暮らしているときに、麗射から波州の話を聞くのが好きだった。
裕福ではないが温かい家族、口さがないが面倒見の良い親戚達。
特に麗射が熱っぽく語ったのは、夜市で買った海ほたるの楽しい思い出だった。
闇に紛れて、相手だけを視認する。そう考えていて、清那の頭に浮かんだのはこの乾燥海ほたるである。油紙と布で作った大きな袋に海ほたるを溶かした水を詰めて、敵陣に発射する。
地上で袋が破裂し、飛び散った蛍光水を浴びた敵は、闇の中で格好の標的となった。
温かい麗射の思い出を、血で汚す。
清那にも一瞬の躊躇はあった。
しかし、命のやりとりをするに当たって、感傷はかなぐり捨てなければならない。
口を結んで敵陣を見つめる清那の眼前で、蛍光は次第に光を失っていく。
蛍光の水を被らなかった兵士達が暗闇に息をひそめて反撃の機会を伺っているだろう。多分、まだ敵兵は残っている。
味方は戦の素人で、数も少ない。
敵は完膚なきまでに叩き潰さなければならなかった。
「麗射、合図とともに勇儀に鬼獣隊を連れて駱駝に乗って敵陣に切り込むように指示してください。そして警備隊にも」
そう頼むと清那は走耳とともに、星見の案内で敵陣から200尋(約300m)離れた平衡錘投石機の場所にいる美蓮と工芸科の学院生達のところに駱駝を走らせた。
敵が一旦北の台地に戻ることはたやすく予想が付いていたため、以前からそこに対して試射は行っていた。投石機は組み立て式で、昨日彼らは敵の視界から隠れる窪地に投石機の材料を運び込み、夕刻に組み立てたのである。
「美蓮、ありがとうございます」
「ええ」
清那を出迎える美蓮。完璧と言って良いほどの成功なのに、言葉は沈んでいる。
わざと素知らぬ顔をして、清那は次の作戦について指示をした。
「火翔」
美蓮の声に爆花の第一人者が現れた。
「打ち上げますか」
「光も弱くなってきました。敵陣もようやくたき火がつき始めたようです、もう蛍光の威力はないでしょう。ここからは逃げる敵を攪乱します」
発射の指揮をする火翔の声がする。
鳴り響く轟音と伴に夜空に黄金色の花が咲いた。
これが合図だった。
蛍光が弱くなり、暗闇に沈む戦場から玲斗達は一旦ひいている。
敵陣がさわがしくなり、つぎつぎとたき火がたかれ始めた。多数はいないが、駱駝をのりこなす熟練の兵達が武奏の号令で反撃の気勢を上げている。
その時。
轟音と伴に夜空が黄金色に染まった。
オアシスで毎年上げられ、火翔によって徐々に改良が続けられた爆花はその大きさを最初の5倍にまで拡大していた。
まるで、空に穴が空いて幾万の神の雷刃が閃いたかのような光と轟音。
いきなり昼間になったかのような戦場に、駱駝を駆るオアシス軍が一気に攻め込んだ。
黄色の次は、赤、青。
轟音の中で、夜空の色はめまぐるしく変っていく。
煉州軍の駱駝は、暴れだし乗り手を振り落として逃げ始める。落とされなくても、乗り手が制御するのは困難な状態に陥っていた。
それに対して、オアシスの駱駝たちは度重なる爆花に慣れている。
轟音や閃く光など意にも介さず、主人の手綱さばきのままに戦場を駆け巡った。
「助けてくれ、命だけは、助けてくれ、なんでも言うことは聞く」
砂の上を叫びながら逃げる武奏を雷蛇の刀が仕留めたのは、東の空がかすかに明るくなる頃だった。青砂漠にはオアシス軍以外に、生きて動く姿はなくなっている。
「そうか、殺してしまいましたか」
命乞いするものは生け捕りにせよと出していた命令だが、雷蛇の耳には届いていなかったようだ。
清那はそれ以上何も言わず、静寂が訪れた砂漠を見つめる。
朝焼けの中、呆然とした麗射が近づいてきた。
手に抱えているのは、顔が描かれたいくつかの石ころ。
一番上にのっているのは、赤い頬の利発そうな幼い女の子、いかにも腕白そうな笑顔の男の子が描かれた石。だが、絵にはべったりと血糊が付いていた。
「これは、俺の絵だ。世話になった弓術隊の仲間に描いた……」
永芳 の訛りの強い声と笑顔が麗射の脳裏に蘇る。
弓で柵を壊し、小さく手を上げて見送ってくれた命の恩人達。
いきなり膝を突き、嘔吐する麗射。
彼は壮絶な光景を見てきたようだった。
初めての戦い。
オアシス軍の面々は、勝利を喜ぶ元気もなく、朝日に染められて立ち尽くしていた。
麗射の言葉に、清那は首を振る。
「今はお互いに条件は互角です。しかし現時点でも兵力は敵の方が多く、相手が休養をとって体力を取り戻せば一気に我が軍は不利になります」
たき火を囲んで、乾燥肉を戻したスープを飲みながら軍師はまなじりを上げた。
「彼らは予想通り北側の台地に陣を構えたようです。たたみかけるのは今日以外ありません」
「しかし」麗射は天空を見つめる。今しも細い月が西の地平に姿を消そうとしている。
「大丈夫です。陽のあるうちに美蓮が窪地ですでに2基組み立てを終えています」
暗闇に沈む虚空に目をやり、清那は静かにつぶやいた。
「煉州軍に、誰も見たことが無い戦い方を見せてやりましょう」
昼間の戦いで疲れ切った煉州軍の兵士達は、仲間の死を悼む余裕も無く星の下で泥のように寝ている。
夜の砂漠は冷える。たき火の周りに兵士達は集まって寝ており、たき火ごとに一人ずつ番が決められていた。彼らはねむい目をこすりながら消えそうになると薪をくべたり、風を遮って火を守ったりしている。
たき火番すら意識を手放しそうになる静かな真夜中。
彼らはかすかな音を聞いた気がして、上空を見上げる。
満点の星空をよぎって、何か丸くて黒い影が飛んで……。
次の瞬間。
ばしゃっ。という音と共に陣地に何か冷たいものがまき散らされた。
それは、次々と天空から降って落ち、破裂する音とともに辺りの兵を冷たい衝撃でたたき起こした。
水?
たき火を的にしているのか、火は次々に消えていく。
「何事だ」テントから飛び出した
拭ったその手を見て、彼は絶句した。
真っ青に輝いているのである。
顔を上げると、彼の陣地は夜目にも鮮やかな青色に染まっていた。
その間にも、間断なく天空から何かが降り、地上で叩き潰されて青いしぶきが散る。
ひゅっ。
いきなり四方から矢音がして、青に染まった人影が次々に倒れ始めた。
いつしか焚き火はすべて消えて、辺りは闇に閉ざされている。
兵士達は、寝込みを襲われ、暗闇の中で何が起こっているのかさえも解らず右往左往しながらただ逃げ惑うだけ。
青い光の動きで遠目からもその動揺がよくわかる。
そして青い光は激しい矢音が上がるたびに、うめきを上げて地上に倒れていった。
敵の姿が見えず、為す術もなくただ標的となる恐怖。
「敵襲だ。火を、灯りをともせ」
武奏の声がむなしく響く。
しかし、火をつけようにも、暗闇の中では何がどこにあるのか解らず、兵士達は逃げ惑うばかりである。
だが、しばらくして、天から落ちる水の塊は止んだ。
「もうすぐ、蛍光が薄まる。早く叩き潰せ」
空気を切り裂くような声。
と、同時に四方から
「無傷で伏せている兵もいるはず。倒れている青色も、すべてとどめを刺していけ。一人として残すな」
冥府の魔将のような冷酷な声で玲斗が叫ぶ。昼の戦いでは温存されていただけに体力がみなぎっているのであろう。彼の一団の活発な動きは、青色の動きが次々に止っていく様子が示していた。
麗射の故郷、波州では、夏に乾燥した海ほたるを水で溶かして夜市で売っている。
海ほたるは米粒の半分くらいの小さな虫で、穴の空いた入れ物に石と魚の肉を入れて海の底に沈めておくことで採取できる。特筆すべきは、乾燥させた海ほたるはしばらく保存でき、それを潰して水に溶かすことで、蛍光を再現することができるのである。
水からお茶を沸かして飲むほどの時間しか光らないのだが、闇の中で鮮やかに光るその蛍光に子供達は心を奪われ、毎年ねじり飴とともに親にねだるのが常だった。
「けっこう、高いんだけどなあ」
親は渋るが、子供の笑顔には勝てない。
共に売っている透明なねじり飴を、その蛍光に当てると、美しい青色に光る。飴のなかの気泡やねじりが不思議な世界を醸しだし、それがなんとも楽しくて、最後には親子共々笑顔になる、波州の夏の名物になっていた。
「これっぽっちでこんなに強く光る海ほたるは見たこと無い」
旅人でさえ買い求め、ひとときの清涼に浸るのである。
清那は同室で暮らしているときに、麗射から波州の話を聞くのが好きだった。
裕福ではないが温かい家族、口さがないが面倒見の良い親戚達。
特に麗射が熱っぽく語ったのは、夜市で買った海ほたるの楽しい思い出だった。
闇に紛れて、相手だけを視認する。そう考えていて、清那の頭に浮かんだのはこの乾燥海ほたるである。油紙と布で作った大きな袋に海ほたるを溶かした水を詰めて、敵陣に発射する。
地上で袋が破裂し、飛び散った蛍光水を浴びた敵は、闇の中で格好の標的となった。
温かい麗射の思い出を、血で汚す。
清那にも一瞬の躊躇はあった。
しかし、命のやりとりをするに当たって、感傷はかなぐり捨てなければならない。
口を結んで敵陣を見つめる清那の眼前で、蛍光は次第に光を失っていく。
蛍光の水を被らなかった兵士達が暗闇に息をひそめて反撃の機会を伺っているだろう。多分、まだ敵兵は残っている。
味方は戦の素人で、数も少ない。
敵は完膚なきまでに叩き潰さなければならなかった。
「麗射、合図とともに勇儀に鬼獣隊を連れて駱駝に乗って敵陣に切り込むように指示してください。そして警備隊にも」
そう頼むと清那は走耳とともに、星見の案内で敵陣から200尋(約300m)離れた平衡錘投石機の場所にいる美蓮と工芸科の学院生達のところに駱駝を走らせた。
敵が一旦北の台地に戻ることはたやすく予想が付いていたため、以前からそこに対して試射は行っていた。投石機は組み立て式で、昨日彼らは敵の視界から隠れる窪地に投石機の材料を運び込み、夕刻に組み立てたのである。
「美蓮、ありがとうございます」
「ええ」
清那を出迎える美蓮。完璧と言って良いほどの成功なのに、言葉は沈んでいる。
わざと素知らぬ顔をして、清那は次の作戦について指示をした。
「火翔」
美蓮の声に爆花の第一人者が現れた。
「打ち上げますか」
「光も弱くなってきました。敵陣もようやくたき火がつき始めたようです、もう蛍光の威力はないでしょう。ここからは逃げる敵を攪乱します」
発射の指揮をする火翔の声がする。
鳴り響く轟音と伴に夜空に黄金色の花が咲いた。
これが合図だった。
蛍光が弱くなり、暗闇に沈む戦場から玲斗達は一旦ひいている。
敵陣がさわがしくなり、つぎつぎとたき火がたかれ始めた。多数はいないが、駱駝をのりこなす熟練の兵達が武奏の号令で反撃の気勢を上げている。
その時。
轟音と伴に夜空が黄金色に染まった。
オアシスで毎年上げられ、火翔によって徐々に改良が続けられた爆花はその大きさを最初の5倍にまで拡大していた。
まるで、空に穴が空いて幾万の神の雷刃が閃いたかのような光と轟音。
いきなり昼間になったかのような戦場に、駱駝を駆るオアシス軍が一気に攻め込んだ。
黄色の次は、赤、青。
轟音の中で、夜空の色はめまぐるしく変っていく。
煉州軍の駱駝は、暴れだし乗り手を振り落として逃げ始める。落とされなくても、乗り手が制御するのは困難な状態に陥っていた。
それに対して、オアシスの駱駝たちは度重なる爆花に慣れている。
轟音や閃く光など意にも介さず、主人の手綱さばきのままに戦場を駆け巡った。
「助けてくれ、命だけは、助けてくれ、なんでも言うことは聞く」
砂の上を叫びながら逃げる武奏を雷蛇の刀が仕留めたのは、東の空がかすかに明るくなる頃だった。青砂漠にはオアシス軍以外に、生きて動く姿はなくなっている。
「そうか、殺してしまいましたか」
命乞いするものは生け捕りにせよと出していた命令だが、雷蛇の耳には届いていなかったようだ。
清那はそれ以上何も言わず、静寂が訪れた砂漠を見つめる。
朝焼けの中、呆然とした麗射が近づいてきた。
手に抱えているのは、顔が描かれたいくつかの石ころ。
一番上にのっているのは、赤い頬の利発そうな幼い女の子、いかにも腕白そうな笑顔の男の子が描かれた石。だが、絵にはべったりと血糊が付いていた。
「これは、俺の絵だ。世話になった弓術隊の仲間に描いた……」
弓で柵を壊し、小さく手を上げて見送ってくれた命の恩人達。
いきなり膝を突き、嘔吐する麗射。
彼は壮絶な光景を見てきたようだった。
初めての戦い。
オアシス軍の面々は、勝利を喜ぶ元気もなく、朝日に染められて立ち尽くしていた。