第14話 無垢の欲求  

文字数 3,465文字

 処置が終わった房には、金髪の獄吏達からこっそりと全員に茶と焼き菓子の差し入れがあった。ナツメヤシと残飯に近い食事しか出ない牢獄では破格の事である。自分が調達した食べ物しか口にしない走耳を除いた罪人たちは、幻風の恩恵をむさぼるように頬張った。
「この男が捕まったという事は煉州(れんしゅう)の革命も終わりという事だな。各地の反政府勢力をまとめ、一から組織を作ってきたのに。煉州の民はさぞや嘆いていることだろう」
 茶を飲みながら幻風がため息をつく。
「煉州はもともと山がちで貧しいところだ。それに加えて王室がかなりの重税を課しているから、一家離散や、家族を売るものさえ出ているらしい」
「この男は、命を賭してそれを変えようとしているのか」
 麗射はしげしげと氷炎を見つめる。今は目を閉じて横たわっているが、起きている時のあの青い目と心に染み入ってくるような静かな低音の言葉は何かを超越した威厳を感じさせた。
 ――見える、この男の体から立ち上る炎が。
 ふいに麗射の胸から何か熱いものが湧きあがってきた。麗射の握った両の拳が震えだした。
「描きたい、この男を描きたい――」
 突然の衝動を抑えきれず、麗射は天に向かい声を出さずに咆哮した。
 施術から三日ほど高熱との戦いが続いた。時折青い目をぼんやりと天井にさまよわせ、薬湯を飲んでは再び眠りについていた青年は、四日目の朝にようやく麗射達の方に視線を合わせた。
「ずいぶん寝ていたのか」
「ああ、そうだ」
 幻風が相好を崩して微笑んだ。
「皆が助けてくれたんだな、ありがとう」
 傍らに置かれている薬草や塩を入れた瓶に気が付いたのか、青年は周りを見回して礼を言った。
「先生っ、氷炎先生」
 氷炎の覚醒を聞いたのか、赤茄子の苗をくれた金髪の若い獄吏が鉄格子にかじりつかんばかりに顔を寄せて叫んだ。
「僕は、煉州の勇儀(ゆうぎ)です。数年前に先生の集会に何度か参加しました」
 通常、囚人に名前を教えることはない獄吏が躊躇《ちゅうちょ》なく名乗りを上げる。
「ああ、お顔は覚えている」氷炎はうなずいた。「熱心に私の話を聞いてくださっていた」
 勇儀はぼろぼろと涙をこぼした。
「こんなところでお会いするとは――残念です」
 いや。氷炎は首を振った。
「砂漠を越えた遠い場所まで、私の気持ちが伝わっていることがわかってうれしい」
 切れ切れの言葉で伝えると氷炎は苦しげに息を吐いた。
「おい、重病人にこれ以上話をさせてはいかん」
 幻風が勇儀を制する。
「すみません」
 勇儀は名残惜しそうにその場を立ち去っていった。
 その後、勇儀から氷炎に甘い香りの小麦粉粥がこっそり差し入れられた。彼は獄吏を束ねる地位にあるため何かと融通が利くようだった。麗射が粥を匙で口に持っていくと、氷炎は美味しそうに数口すすった。
「ああ、美味い」
「ものの味がわかれば、快復も早いぞ」
 幻風がうれしそうにうなずく。
 それから毎日、氷炎だけに精のつくものが差し入れられた。真っ先に文句をつけそうな雷蛇だが、兄貴分の麗射が率先して氷炎の介抱をしているため、文句をつけることができない。たまに何か言いたげに口をひらくが、そのたびに麗射から睨まれて言葉を飲み込んだ。
 熱が下がってからの氷炎の回復は早かった。栄養のある差し入れと数種の薬草を方術師のように使いこなした幻風の手腕によって、えぐり取られた背中の傷にはどんどんと新しい肉が盛っている。
 氷炎が元気になっていったのを見るや、麗射は彼を質問攻めにした。今、煉州(れんしゅう)はどんなことになっているのか、なぜあなたは反乱勢力に入ったのか、戦いはどうだったのか。
 ぽつりぽつりだが、氷炎はこの無遠慮だが素朴な青年の質問に丁寧に答えていった。
 煉州は山がちな国で狩猟と少しの農業を主な産業としている。だが、近年は不作と不猟が重なり民衆は子を売ったり、餓死するものまででていること。王はそれを知りながら、自らの贅沢のために重税を課していること。
「もう、王制は限界だ。民衆の声を政治に反映させねば」
「どうやって」
「議会を作るんだ。煉州の民が選んだ代表が、税や、刑罰や、未来を決める」
「そんなことができるのか」
 権力者が国を治めることが当たり前で、従順に従うことが天の決めた道だとしか思わなかった麗射は氷炎の言葉に目を丸くした。
「ああ、できないはずはない」
「重税は無くなるのか」
「国を運営していくためにどれくらいのお金がいるのかをきちんと計算して、それを平等に分担するんだ。お金がいることがあれば、税は増えるが、その額には州民の意志が反映される」
「す、すごいな」
「それだけではない、権力者の血縁ではなく、優秀なものが皆どんどん上の地位に登っていけるようにする」
 そこまで言って、氷炎は天を仰いだ。「いつの日にか……な」
 ああ、まただ。麗射は氷炎の周囲から立ち上る青い炎を見た。
 青い――。
 再び何かが麗射の心の奥から熱く湧きあがる。
 彼は美術工芸院への就学が潰えてからというもの、芸術家として生きていく道が完全に閉ざされたと思ってきた。そして戻ることを許されぬ芸術への思いは、心の底深くに封印した。
 だが、氷炎の熱い情熱が彼を鳴動させている。
 描きたい。
 それは見返りを求めぬ無垢な欲求。
 麗射は初めて波打ち際に木切れで絵を描いたときのことを思い出していた。何もない砂浜に花や鳥や動物が現れる面白さに興奮して、波が来ると消え去る絵をあたりが暗くなるまで無心に描き続けた日々。
 そこには虚栄も打算もなく、ただ表現したいその一心であった。
 忘れていた感覚が封印を破り吹き出す、麗射は目を閉じてその律動に身を任せた。



 翌日の休憩時間、麗射は何を思ったか畑一面に咲いている青い花のところに猛然と駆け出した。
 麗射が植えた草花の区画は今や色とりどりに花が咲き乱れ、腹の足しにはならないものの、その美しい色合いや幾何学模様は囚人や獄吏の心の慰めとなっていた。
「おい、何しているんだ」
 今や盛りと咲き誇る真っ青な花びらを無言でちぎる麗射に人々が目を丸くする。
「その花は芸術、って奴じゃなかったのか」
 誰かの突っ込みをものともせずに、麗射は花を摘み取り続けた。花びらの山が一抱えほどになってから、彼はおもむろに横腹のひもを解くと麻でできた粗末な囚人服を脱ぐ。
 服を水場の傍らに広げると、大量の花ビラを水を付けた手で揉んで絞り出した濃い汁を服の背中の部分に垂らした。
 真っ青な雫は汗と泥で薄茶色になった服の上にぼとぼとと落ちる。撥水した布の上で丸まる水滴に勢いよく息を吹きかけると、水滴は息吹に命を与えられたかのように転がってはじけた。
 麗射は夢中で青い汁をたらし続ける。雫たちは服の上で、勢いよく踊り始め、照り付ける陽の下、その姿を布に染め付けた。
 何事かと囚人仲間だけではなくて獄吏たちも寄ってくる。
「へえ、上手いもんだな」
「まるで燃え盛る炎のようだ」
 獄吏の一人がつぶやいた。
「炎は青いところのほうが熱いんだ」人垣の後ろから走耳がつぶやく。
 真っ青なしぶきは、周囲の砂にも飛び散っている。
 麗射は無言で花を揉み、青い炎をさらに燃え上がらせた。
 獄吏達も休憩時間が終わったことを宣言するのを忘れて、麗射の描く炎を見入っている。
 誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「まるで、氷炎先生みたいだ」
 踊り狂う青い線と、はじけるしぶき。布に染みこんだ青い炎は布という領域を飛び越えて外の空間にまで広がっているように見える。それは、抑えきれない激しい熱情を想起させた。
 両手が真っ青に染まったころ、麗射は顔を上げた。
「あ、皆見てたのか」
 集中していて気付かなかったらしい。
「おいお前ら、今日の作業はここまでだ」
 午後の作業開始を宣言するのを忘れていた獄吏達も苦笑いしている。
「明日からはこんな特例はないぞ。あ、今日のことは獄長にはしゃべるなよ」
 囚人も獄吏も笑っている。
 麗射は青い手で服を取り上げた。
 帰ってすぐに、見せたい。これこそ俺が見たあなたなのだと。
 麗射の心が躍った。
 芸術は良い。
 どこにいても、どんな時にも、自分の心をむき出しにして、自らの生を感じることができる。
 麗射が牢で服を広げると牢内に歓声が広がり、横たわっている氷炎の顔がほころんだ。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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