第112話 攻防

文字数 5,460文字

「貴公が来てくれて、これほど心強いことはない。ああ、ここは戦場だ、砂埃など気にするな」
 剴斗(がいと)は歓待の言葉を繰り返しながら、牙蘭(がらん)の背中に手を回して砂漠の陣に(もう)けられた自分の天幕に牙蘭を迎え入れた。総司令官の天幕であるが、兵士達とあまり変わらない簡素なものだ。いかにも、戦場においては身分の違いだけで兵とのあからさまな差をつけるのを嫌がる剴斗らしい。
「貴公から伝えられた隊商を使った作戦は、まんまと当たったようだ。さすがオアシスの特性を良く知っている貴公だ、数日前の朝からぱたりと鶏の鳴く声が聞こえなくなった。牙蘭が抜きん出た武人であり、そして名軍師でもあることを思い知らされたよ」
「買いかぶりです」牙蘭はとんでもないというように首をふる。
「私が清那様を良く存じ上げていたからこその策略。純粋な御気性を逆手に取った、卑劣な作戦です」
「手紙での協力だけでは早晩貴公が我慢できなくなることはわかっていた。が、それにしても斬常殿がよく許したものだ。よっぽど貴公の訴えに鬼気迫るものがあったのだろう。だが――」
 剴斗はまっすぐに牙蘭の目を見据える。
「ここに来たからには、覚悟はできているのであろうな」
 深い群青色の瞳が、ふと真珠の塔に向けられる。目の周りには、剴斗が重ねてきた苦悶の日々が刻みつけられていた。彼は兵士の命を預かる将であるとともに、玲斗の父でもあった。
「斬常殿は、一人たりとも生きてオアシスを出すなというご命令だ」
 それは、この戦いが斬常が二人に課した試練でもあることを示していた。



 鶏肉と卵の供給が絶たれたことは、オアシス軍にとって大きな痛手であった。今、彼らはオアシス内で作っている耕佳(こうか)甘藷(かんしょ)を食べながらなんとか命をつないでいる。しかし、収穫した甘藷が無くなれば、栄養は極端に低下するだろう。
 責任感と命を賭して住民を助けるという高揚感でつなぎ止めてきたオアシス軍の戦闘意欲も、常に身を(さいな)む空腹と、壁外からいつ大軍がなだれ込んでくるかという恐怖の前に瓦解(がかい)しつつある。オアシスでは些細なことで喧嘩が増え、流血沙汰になることも珍しくなくなった。
「敵と戦う前に仲間との信頼感が無くなっている。まずいな、極めてまずい状態だ」
 苦虫をかみつぶしたような顔で真珠の塔から周囲を包囲する敵軍を眺めながら麗射がつぶやく。
「まずいのは、彼らも同じです」
 遠眼鏡で敵を観察していた清那がつぶやいた。幕舎の設営で、環境が整って来たように見える敵軍だが、遠眼鏡で見る食事内容は、日持ちのする堅パンにゆで戻した肉の浮いたいつもと同じスープだった。
「奴らはそのうち、偏った食生活による栄養不足に陥るでしょう。数ヶ月遠征に出ていた軍の兵士が、果物や野菜の不足で、まずは気力が無くなりそのうち出血や、病気が治りにくいなどの症状を経て、正気を失い死に至る事例を聞いたことがあります。新鮮な果物や野菜は運搬しづらい。包囲する軍も内情は大変なのです。ですが………」
「どうした?」
「牢獄には、菜園があります」
 清那の強ばった表情は彼らの侵攻が近いことを意味していた。


 それから数日後。
「麗射、清那、大変だ」
 夜明けと共に起きだし、食堂で薄いスープとナツメヤシのジャムで朝食を取っていた麗射と清那の元に駆け寄ってきたのは美蓮だった。
「煉州軍が動き出した。今度は今までより高い3丈(9メートル)程度の攻城塔(こうじょうとう)を作ってきた。攻城塔にはがっちりとした車輪がつき、周りは燃えにくいように動物の生皮が貼られているようだ。それが大挙して牢獄区域に向かっている」
「至急、会議室に各部の将を集めろ」
 さじを皿の上に投げ出すように置くと、麗射が立ち上がる。
「なぜ、今まで気がつかなかった、美蓮」
 大股で作戦室に向かう彼を清那と美蓮が追う。
三羽風(みわぶ)の鳥風邪といい、煉州軍の中にオアシスをよく知っている者がいるようだ。それになんだか最近の作戦はいままでと違ってやり方が巧妙だ。今回も離れた場所で攻城塔の部品を作って、それを夜間に運び、黎明の中一気に組みあげたんだと思う。以前公子が青砂漠に部品を持って行って投石機を作り上げたのと似た方法だな」
「爆花弾で破壊できないか? 牢獄区域にも投石機を何機か備えたはずだな、清那」
「はい。何かあれば牢獄に詰めている火翔が対応しているはずです。ただ、牢獄には高い建物がありません。敵が壁に近づいて攻撃を始めるまでは攻城塔の位置がわからず投擲(とうてき)の精度がかなり落ちるでしょう。今、走耳にも援軍を連れて向かうように指示しました、走耳ならきっと――」
 その時、三人の耳に鋭い爆発音が響いた。揺れが激しく三人とも思わず床にうずくまる。
「牢獄にしては、揺れが激しいですね」
 清那が眉をひそめる。
 その時、伝令が駆け込んできた。
「オアシス北の正門にも攻撃が始まりました」



「攻城塔が来たぞっ」
 壁の下で勇儀が叫ぶ。
 煉州軍の攻城塔が牢獄域を取り囲む壁に張り付いた。敵兵達はおもりの付いた縄を幾本も牢獄側に投げ落とし、それを伝って壁を登ってくる。オアシス軍も縄とおもりを切り離して応戦するが、次々に下ろされる縄に手が回らない状況である。
 壁を伝ってくる兵士達と攻城塔に対し囚人達を中心としたオアシス軍も火矢を打ち上げて防戦する。しかし、高い壁を越えて壁際の的を射るのは難しく、加えて下から相手が見えないため壁を越えても命中率は低かった。もちろん敵からも矢が牢獄側に降ってきて、オアシス軍は大きな盾で防御しながらの戦闘を余儀なくされている。幸い相手の矢も壁際ギリギリには落ちてこないので、壁際で防御するオアシス軍に犠牲は出ていなかった。
 牢獄域の壁には、逃亡を防ぐため内側から登れるような階段は作られていない。登りにくく攻略の難しい外側に反り返った壁だが、防衛側もまたその湾曲のせいで壁の上には上がれず、縄で這い上ってきた敵に対して攻撃するのは難しかった。
 両軍とも相手を攻めあぐねており、ほぼ互角の状態である。
 勇儀達はなんとか初めに壁にとりついた攻城塔に火を付けることは成功したが、一息つく暇は無かった。今まで以上の(とき)の声が押し寄せる。次々と攻城塔が迫っているに違いない。
 突然、後方のナツメヤシの林から声が降ってきた。
「南南東。距離、約27尋(50メートル)」
 火翔の目が輝く。具体的な数字があると格段に爆花弾の精度が上がる。
「放てっ」 
 火翔の声がして、その方向に爆花弾が飛ぶ。派手な爆発音が響いた。
「四方に木片が散らばるのが見えた。ばっちりだぜ」
 材料が少ないのか、細い木でつくられた攻城塔は壊れやすい。さらに丈が高いため、爆風で転倒しやすかった。
「指示してくれて助かる、そこは高いから気をつけろよ」
 火翔は牢獄で一番高いナツメヤシの木の最上部に陣取る走耳に声をかけた。彼と共にやってきた援軍はすでに勇儀と火翔の手伝いに散らばっている。
「ここに登るのは慣れている。任せとけ」
 ちゃっかりと、刈り残しのナツメヤシの実を食べながら走耳が片手を上げた。高いところからの視点を確保できたため、火翔の操る投石機の着弾精度は上がったが、潰しても、潰しても敵の攻城塔は次から次へと襲ってきた。
「次は北西、44尋(約80メートル)」
 投石機が唸り、攻城塔が横倒しになる。
 だが。
「火翔、爆花弾が後3個だ」投石機を扱っていた元事務方の兵士が引きつった声を上げる。
「追加はまだなのか?」
「オアシスも同時に攻撃を受けはじめたらしくて、こちらに運ぶ余裕がねえみたいだ」
 駆け込んできた囚人の一人が叫ぶ。
 ナツメヤシの木の上から走耳は四方を眺め回して戦況を確かめる。
 敵の攻城塔は、新しく壁にとりついているものが1機、まだ遠くにあるが、無傷でこちらにやってくるものは5機もあった。
「あいつら、いくつ作ってやがるんだ」
 走耳は苦々しげに歯をかみしめた。


 勇敢な煉州軍の兵士達は双方からの矢雨をものともせずに、ひたすら壁の内側に降りようとする。しかし、さすがに高さ5丈(15メートル)の高低差を無事に着地するのは難しい。地面に降りる途中に射られて動かなくなる者、そして壁の上で矢に貫かれ頭から落ちる者。なんとか地上に降り立っても、雷蛇の振る半月刀で両断される者。壁の下には無数の遺体が積み重なった。
 地上に首が転がるたびに悲鳴を上げていたオアシス軍の元事務方や学院生達も、いつしか邪魔な首を掴むと無雑作に放りだして防戦に当たるようになっている。
 数的には圧倒的有利な煉州軍の兵士達だが、勇儀の采配、そして雷蛇の鬼神の働き。走耳の高所からの指示に阻まれ、この牢獄区域を攻めきれない。
「へっ、奴らたいしたことねえじゃないか」
 休息のため、走耳の居るナツメヤシの下で水を飲む雷蛇が軽口を叩く。
 その時、いきなり雷蛇の頭の上から、たわわに実がなったナツメヤシの房が落ちてきた。びっくりしたのか、雷蛇が慌てて立ち上がる。
「気を抜くな、雷蛇」
 澄ました声とともにナツメヤシと同化していた茶色の髪の青年が顔を出した。
「なにしやがんでえ、馬鹿野郎」雷蛇はてっぺんに向かって吠え声を上げる。
「煉州軍の剴斗(がいと)将軍は名将だ。このままでは終わらないだろう」
「おい走耳、これが終わったら覚えとけよ。お前とはいつかはっきり決着を付けたいと思っていたところなんだ」
「ま、お前が生きていたら受けて立ってやってもいいぜ」
 走耳は笑いながら前線に戻る雷蛇に呼びかけた。
 しかし、その笑みが凍り付く。
 高いナツメヤシのてっぺんからは、高いところに破城槌を設置した新しい型の攻城塔が、オアシスの壁の上部を次々に打ち砕くのが見えていた。
「しまった、爆花弾を散々使わせて、無くなった頃に本命を出してきたって訳か」
 壊されていく壁の上部を目の当たりにしながら、呆然と勇儀がつぶやいた。
 

「オアシスに向かって来た攻城塔はみな爆破したよ。幻風や玲斗達の奮戦でなんとか敵を防いでいる、こちらはにらみ合いの持久戦だな」
 やつれた顔の美蓮が作戦会議室に戻ってきた。
「だが、もう爆花弾は使い切ってしまった。火薬は山ほどあるが、爆花弾を作るのは時間がかかる。後は手当たり次第、投げられるものを投げるしかないな」
「先ほど伝令が来て、牢獄区域の攻城塔はまだ数機残っているようだ。そこを足がかりに兵士が登って来ているようだが、今のところはなんとか押し返しているらしい」
 麗射がオアシスから飛び出した牢獄区域の地図を眺めながらため息をつく。
「しかし、敵も本命の牢獄の周りには煉州軍の約四分の一、およそ五百人近くの軍勢を集結させているからね。早く、残った攻城塔を潰して足がかりをなくさないと――」
 美蓮の言葉は真珠の塔から駆け戻ってきた物見の叫びに打ち消された。
「牢獄に向かっている攻城塔は今までより作りがしっかりしています。さらに、破城槌の取り付け部位が攻城塔のてっぺんに取り付けられているため、破城槌が壁の上部を狙えるようになっています」
「何ですって」
 オアシスの地形図を眺めていた清那が顔を上げる。清那の動揺の理由がわからない麗射は、美蓮に尋ねた。
「壁の上部に何かあるのか?」
「オアシスを囲む壁の上部は、敵がよじ登りにくいように外側に強く湾曲する形になっているだろ。この形は上部が重いと自重で壊れやすい、だから軽くするように上部になるに従って軽石を多く混ぜているんだ」
「それだけ脆弱――と言う訳か」
 美蓮がうなずく。
「反り返っている上部が崩れれば、侵入しやすくなる。そこからあふれるように敵兵が入ってきては、勇猛な彼らとて持たないだろう」
 清那は増援を指示しようと伝令を振り向いた。
「ちょっと待った。増援の指揮は私にまかせてください」
 勢いよく席を立ったのは、奇併だった。
「何を言っているんだ。君は戦いの経験が少ない。もう少しここでいろいろ学んでから――」
 奇併はなんの躊躇(ちゅうちょ)も無く、麗射の言葉を遮った。
「いえ、このままでは負けるのは時間の問題です。だから、尻拭いをしてあげようと言っているんです」
 その場に居合わせた人々がポカンと口を開ける。
「勇儀には恩があります。私に任せてもらう、でいいですね」
「策はあるのですか?」清那がじっと新参の軍師を見つめる。
「ええ、ぼんやりと。戦は生き物。後は走りながら考えます」
 麗射が清那をチラリと見る。銀髪の軍師の頬は明らかに引きつっている。しかし、彼はあくまで穏やかな口調で返答した。
「それではお手並み拝見としましょう。50人ほど連れて行ってください。危ないと思ったら直ぐに退いてください。50人を無駄死にさせるわけにはいきませんから」
「俺を入れて、51人。ではないのですね」
 肩をすくめた奇併が作戦室を出て行ったのを確かめて、麗射が声を潜めて清那に話しかける。
「大丈夫なのか」
「先日オアシスの戦略について相談しましたが、彼は賢い男です。私とは考え方が違いますが、私では決断できないことをやってくれるかもしれません」
 清那は麗射をまっすぐに見つめる。
「麗射、私は自分の怒りに任せて采配を決することはありません。この局面では先日の失策で心に迷いが生じている私が指揮するよりも、万事冷淡な彼の方がうまくやりおおせる気がするのです。私のこの苛立ちは彼に対する嫉妬かもしれません」
「いずれにせよ俺が信じているのは清那、君だ。君の選択なら尊重しよう」
 麗射はそういうと、会議室正面に設えられたひときわ大きい椅子に身を沈めた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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