第42話 船
文字数 1,686文字
「だめだ、どう言っても聞く耳を持たなかった」
レドウィンも憔悴した顔で戻ってきた。麗射はレドウィンにも説得を頼んだのだが、一度言い出したことは聞かない玲斗は学院生代表の彼が止めるのも振り切って今朝出立してしまったらしい。
「夕陽さんの様子はただ事ではなかった。多分本当に降るんだと思う」
麗射は鬼気迫る夕陽の表情を思い出してつぶやいた。
「困ったことはそれがいつごろかわからないことだ」
レドウィンは頭を抱えた。夕陽の母が危険を感じてからすぐ天変地異が起こることもあったし、しばらく間があくこともあったという。
「呼び戻しに行かないと」
ぽつりと麗射がつぶやく。
「あいつを助けることで、夕陽さんの心に安寧が戻るのなら――」
自分のお節介のせいで、天才画家をあのような状態にしてしまったという負い目が麗射にはある。
「だが、あんな奴を追って、こちらが洪水に巻き込まれてはかなわないぞ」
レドウィンが肩をすくめる
「船を持って行ってはどうだろう。逃げ遅れても船に乗って水を渡ればいい」
「船!? 砂漠に船か」
突拍子もない麗射の言葉にレドウィンは絶句した。
「軽い小型の船を作れそうな奴の心当たりがある」
麗射は部屋を飛び出して行った。レドウィンはその背中に声をかける。
「俺も連れていけ、隊商で育った俺は砂漠に慣れている」
麗射は振り向くとぺこりと頭を下げた。
船を作れそうな奴、すなわち美蓮は麗射の予想通りの場所で見つかった。痩身にも関わらず大食漢の美蓮は食堂でのんびりと好物の酸冷麺をすすっていた。工芸科も夏の課題がなくて暇なのだろう、冷麺の碗がすでに3つ重なっている。
「おい、工芸科。船を作れるか」
「はあ?」
唐突な物言いに、美蓮は口から好物の冷麺をたらしたまま相手を見上げ目を丸くする。
「無理だよ、作ったことがない」
「お前、俺と同郷だろ。波州出身なら船くらい見たことがあるはずだ」
「見ただけで作れるわけないだろ」美蓮はあきれ顔で麗射を見た。
「絵描きの君にはわからないかもしれないけど船は難しいんだよ。材質、形、ちょっとした重心の取り方で沈み方が変わってくるんだ。おまけに推進方法も千差万別、帆の貼り方や――」
「ちょ、ちょっと待て」
だんだん言葉に熱が帯びる美蓮を遮 って麗射は首を振った。何かの拍子に語りだしてしまうと美蓮は止まらなくなってしまうことがある。
「そんな海を渡るような本格的なものではなくていいんだ。浮きに毛が生えたようなもので」
「筏 とか、丸木舟みたいなものか」
なんだ、と拍子抜けした表情の美蓮。
「そうだ、持ち運べるくらいの大きさのごく簡単なものでいい。でも、軽くて沈みにくい船が欲しいんだ」
「はあ?」
眉をひそめる美蓮だが、ちょっと嬉しそうに口元がほころんでいる。工芸科の人間、特にからくりを得意とする連中は、手が器用で無理難題に立ち向かうのが好きな変わり者が多い。ずばりそのたぐいの人間である美蓮は、特にその傾向が強いのを麗射は知っていた。
彼がその気になってきたのを見て取ると麗射は砂漠に豪雨が来そうなことと玲斗が出立してしまったことを説明した。玲斗のためと知って難色を示す美蓮だが、麗射の説得でしぶしぶ船の設計を請け負った。
「それでいつまでだ」
「至急」
「で、材料を買う金は?」
美蓮の言葉に、麗射ははたと行き詰った。
「そうだな、金か――」
麗射は情熱と思いつきだけでそのほかの詰めをしていなかったことに、今更ながら気づいた。美蓮は友人の直情型の性格を熟知しているのか、麗射が金の工面をしていないことをさほど驚かずに話題を前に進めた。
「僕も君も、経済観念はない。僕たちは金があったら芸術のためにあるだけ使いこんでしまう人間だ」
美蓮の言葉に大いに思い当たる節のある麗射は深くうなずく。
「しかし、安心しろ。われらの友人には金の亡者がいる」
「あいつだな」麗射がニヤリと口角を上げる。
お互い名前を言わなくても、金と言って連想するのはただ一人であった。
レドウィンも憔悴した顔で戻ってきた。麗射はレドウィンにも説得を頼んだのだが、一度言い出したことは聞かない玲斗は学院生代表の彼が止めるのも振り切って今朝出立してしまったらしい。
「夕陽さんの様子はただ事ではなかった。多分本当に降るんだと思う」
麗射は鬼気迫る夕陽の表情を思い出してつぶやいた。
「困ったことはそれがいつごろかわからないことだ」
レドウィンは頭を抱えた。夕陽の母が危険を感じてからすぐ天変地異が起こることもあったし、しばらく間があくこともあったという。
「呼び戻しに行かないと」
ぽつりと麗射がつぶやく。
「あいつを助けることで、夕陽さんの心に安寧が戻るのなら――」
自分のお節介のせいで、天才画家をあのような状態にしてしまったという負い目が麗射にはある。
「だが、あんな奴を追って、こちらが洪水に巻き込まれてはかなわないぞ」
レドウィンが肩をすくめる
「船を持って行ってはどうだろう。逃げ遅れても船に乗って水を渡ればいい」
「船!? 砂漠に船か」
突拍子もない麗射の言葉にレドウィンは絶句した。
「軽い小型の船を作れそうな奴の心当たりがある」
麗射は部屋を飛び出して行った。レドウィンはその背中に声をかける。
「俺も連れていけ、隊商で育った俺は砂漠に慣れている」
麗射は振り向くとぺこりと頭を下げた。
船を作れそうな奴、すなわち美蓮は麗射の予想通りの場所で見つかった。痩身にも関わらず大食漢の美蓮は食堂でのんびりと好物の酸冷麺をすすっていた。工芸科も夏の課題がなくて暇なのだろう、冷麺の碗がすでに3つ重なっている。
「おい、工芸科。船を作れるか」
「はあ?」
唐突な物言いに、美蓮は口から好物の冷麺をたらしたまま相手を見上げ目を丸くする。
「無理だよ、作ったことがない」
「お前、俺と同郷だろ。波州出身なら船くらい見たことがあるはずだ」
「見ただけで作れるわけないだろ」美蓮はあきれ顔で麗射を見た。
「絵描きの君にはわからないかもしれないけど船は難しいんだよ。材質、形、ちょっとした重心の取り方で沈み方が変わってくるんだ。おまけに推進方法も千差万別、帆の貼り方や――」
「ちょ、ちょっと待て」
だんだん言葉に熱が帯びる美蓮を
「そんな海を渡るような本格的なものではなくていいんだ。浮きに毛が生えたようなもので」
「
なんだ、と拍子抜けした表情の美蓮。
「そうだ、持ち運べるくらいの大きさのごく簡単なものでいい。でも、軽くて沈みにくい船が欲しいんだ」
「はあ?」
眉をひそめる美蓮だが、ちょっと嬉しそうに口元がほころんでいる。工芸科の人間、特にからくりを得意とする連中は、手が器用で無理難題に立ち向かうのが好きな変わり者が多い。ずばりそのたぐいの人間である美蓮は、特にその傾向が強いのを麗射は知っていた。
彼がその気になってきたのを見て取ると麗射は砂漠に豪雨が来そうなことと玲斗が出立してしまったことを説明した。玲斗のためと知って難色を示す美蓮だが、麗射の説得でしぶしぶ船の設計を請け負った。
「それでいつまでだ」
「至急」
「で、材料を買う金は?」
美蓮の言葉に、麗射ははたと行き詰った。
「そうだな、金か――」
麗射は情熱と思いつきだけでそのほかの詰めをしていなかったことに、今更ながら気づいた。美蓮は友人の直情型の性格を熟知しているのか、麗射が金の工面をしていないことをさほど驚かずに話題を前に進めた。
「僕も君も、経済観念はない。僕たちは金があったら芸術のためにあるだけ使いこんでしまう人間だ」
美蓮の言葉に大いに思い当たる節のある麗射は深くうなずく。
「しかし、安心しろ。われらの友人には金の亡者がいる」
「あいつだな」麗射がニヤリと口角を上げる。
お互い名前を言わなくても、金と言って連想するのはただ一人であった。