第128話 命
文字数 3,965文字
水音の道の水路は斜め上に走っており、底には階段が造られていた。最初こそ水に顎まで漬けてゆかねばならないが、すぐに空気がある細いが通常の通路につながっている。
通路は地下を複雑に蛇行し、延々と続く。
背後からの音に怯えながら、どれほど歩いただろうか。
幸い水には事欠かないが、小さなランプを頼りに暗闇の中を歩き続ける人々は疲労の限界に達していた。花燭が、背負ってきた普通のあめ玉を配る。しかし、それはかえって彼らに飢えを思い出させただけだった。
唐突に、列が止った。
前方からささやき声の伝言が回ってくる。
しかし、何が起こったかは伝言より早く人々に伝わった。
目にしみるような明るい光が、闇を突っ切り人々の目に飛び込んだのである。
「地上だ」
列がゆっくりと動き出した。
それは出口周囲に敵が居ないことを示している。人々の目に生気が戻った。
砂と同色の焼き物でできた蓋を開けて地上に出た人々は、はるか彼方に煌めく真珠の塔を見て、初めて安堵のため息を漏らした。全員が出てきた時、太陽はすでに天高く登っていた。
「敵は追ってくるだろうか」
「ええ、おそらく」
麗射の問いに、清那がうなずく。さっきから彼は視線を外さずにまっすぐに真珠の塔を見つめていた。
「でも、それを遅らせる事ができるかもしれません。太陽の場所から考えると、もうすぐです」
清那は、足元の影を確認する。
「そろそろ時間です」
言葉と共に清那の顔が塔に向けられる。
その時、地響きと、空振が彼らを襲った。
清那の視線の先。
赤、緑、黄色、橙、青、紫
次々と極彩色に包まれながら、真珠の塔が光る。
最後に最上部の真珠が七色に光りながら爆発した。
煌めきながら空中に飛散する真珠。同時に真横に倒れる塔。
そして再び轟音が響く。美術工芸院が火に包まれていた。
「うまく行きましたよ、火翔」
清那の目に涙が浮かぶ。
「こんなに美しいものを見たのは、初めてです。きっと天界からあなたも見ていますよね……」
最後に真珠の塔に向かった清那は、基部のある地下の部屋に貯蔵した火薬に通じる、細い導火線の尖端に火を付けていた。真珠の塔への入り口は簡単には入れないように、錠で固く閉じている。火は3階からゆっくりと導火線を伝い、予定通りの時間に真珠の塔を爆破したのだ。
基部の火薬は美術工芸院中央側に偏らせて置いている。おそらく塔は美術工芸院に向かって倒れたであろう。宝を探す兵達が充満している――。
「さあ、休憩は終わりです。瑠貝が軍を連れてきてくれるまでなんとか逃げ切りましょう」
清那は天空を仰ぐ。
「南はこちらです」
突き抜けるほど青い空。
中天に貼り付いた太陽が容赦なく四方に光の矢を放つ。
それは、ほとんど装備を持たない彼らにとって、過酷な行軍の始まりだった。
炎天下の中、一刻(2時間)で座り込む者が続出した。無理もない。昨日の戦いから一睡もせずにここまで逃げてきたのだ。細身の勇儀も肩からの出血のためか数度倒れている。
「仕方ない、休むか」
最後尾を歩く麗射が恨めしそうに空を見上げる。もう手持ちの水も底を突きかけている。
「敵よりも太陽にとどめを刺されそうだ」
「いえ、残念ながら敵の方が早そうです」
清那はまっすぐに地平線の向こうを指さす。
黒い粒が、砂煙を上げながらこちらに近づいていた。
「煉州軍か。だが数はそんなに多くない」
麗射は遠眼鏡を見ながら眉を吊り上げる。
「ええ、300人前後でしょうか。奇併が牢獄域で結構数を減らしたのと、昨日と今日の爆発が効いたのでしょう」
麗射達の方は約350人。数としてはほぼ互角である。しかし、あの雷蛇でさえ食糧不足でへばっているのだ。まともに戦える者はすでに居なかった。
「敵が来ます、急いでください」
清那が叫ぶ。
黒い点は大きくなって、駱駝の塊として認識されるような大きさになっている。
人々は慌てて、先に進み出した。
「誰か甲冑を貸してください」清那が叫ぶ。
「これを」
兵士の一人が走って戻ってきて、金属でできた自分の胸当てを渡す。
「ありがとう、君はもういいから逃げてください」
清那は素早く身につけると、振り返って矢をつがえる。つがえた手にはすでに次の矢が3本握られていた。
「さあ、麗射。あなたも逃げて。私ができるだけ彼らを食い止めます」
「ちょっと待った。俺をただ飯食いにさせる気かよ」
走耳が清那の右横に立つ。「まだ、今月中は契約上お前さんの護衛だ」
清那を挟んでその横に立つのは幻風。
「こいつだけじゃ心許ない。及ばすながら助っ人を務めさせていただきますぞ」
「爺さん、怪我してるんだろう。余計なお世話だ、とっとと逃げて天寿を全うしろ」
「悪いが、左耳は睦言しか聞けないんじゃよ」
幻風は肩をすくめる。
「爺さんが行ったら、天女も大迷惑だ」
「そうじゃな、ともに天界に行って奥手の坊やに天女の1人くらい紹介してやろうかな」
「だまれっ!」
走耳をからかいながら血のにじんだ左手で弓を握る幻風。軽口とは裏腹にその頬は苦痛にゆがんでいる。
三人の弓が次々に射られ、駱駝の騎手がもんどりをうって投げ出された。
正確な歩射 に、先陣の騎手が手綱を引いて駱駝を止める。
中でも、清那の弓術は群を抜いており、相手が前進を止めたのを良いことに次々と騎手を撃ち抜いた。
だが、それは敵から言えば目障りな射手ということ。
清那の頭部に数本の矢が集中した。
ちょうど、彼の右手は後ろの矢筒から矢を引き抜こうとした所だった。
清那をいくつもの矢が刺し貫く――。
その寸前、麗射が跳躍して、清那を突き飛ばした。
肩、胸、脇腹に矢を立てて、麗射は砂地に倒れ込む。
「清那。もう、俺を置いていくな……」
「麗射っ」
まなじりを決した清那が、瞬く間に射手を数人射貫く。
「しっかりして」
敵がひるんだ一瞬、倒れた麗射を抱き起こすと、かばうように敵に背を向ける。
さらに射かけられる矢は、天青切を握った走耳が前に立ちはだかり切り落とした。
「爺さん、大丈夫か」
「もう、矢がなくなった。お前もか、走耳」
「ああ。天界でまた爺さんの尻拭いかと思うとうんざりするぜ」
目前まで迫った駱駝の騎手が、彼らに向けて弓をつがえる。
二人は、清那と麗射の前に立ち、剣を構える。
「麗射……」
麗射に覆い被さるようにうずくまる清那。
しかし、その時。矢をつがえた敵軍の先鋒が次々に駱駝から落ちていった。彼らの胸を、多数の矢が貫いている。
思わず振り返る清那。
目に入ったのは、視界いっぱいの砂煙。
そして、砂煙の間から水平線を覆い尽くすほどの軍勢が現れた。
前方から押し寄せる軍勢に怖じ気づいたか、目の前の敵軍が反転して逃げていく。
走耳と幻風、そして清那。振り返った彼らが見たのは、大きな旗に波州と大書された大軍だった。
清那の元に、青い小さな鳥がやってきた。
「案内をありがとう、キュリル」
キュリルは清那の腕の中で、苦しげに呼吸する麗射を見て悲しげに鳴いた。
「麗射、大丈夫か」
美蓮が駆け寄ってくる。
「脇腹の矢は厄介だが、なんとかなるじゃろう。肋骨に当たって、矢が肺を貫かなかったのが幸いじゃった」
幻風が大丈夫とばかりにうなずく。
その途端、清那は大きく震えながら堰を切ったように嗚咽を上げ始めた。
一頭の駱駝が近づいてくる。それは、麗射達の前で止った。
「あ、あれは……」麗射を抱きかかえながら清那が目を潤ませる。
美蓮は言葉も出せずに清那にうなずく。
駱駝から、ぎこちない動作で砂まみれの痩せた青年が降りてきた。
青い色の入った黒髪に、似合わない口ひげ。
美蓮が走り出す。「瑠貝っ」
しかし、瑠貝の前で、美蓮はふと足を止めた。沢山の人命を奪ってきた、血まみれの自分に気がついて――。
そして瑠貝もまた、美蓮を見ながら一歩を踏み出せない。
壮絶な体験をしてきた友に比べて、彼の過ごした日々は余りにも安穏としていた。
「皇帝を説得してくれてありがとう、さすが瑠貝だ、なんと礼を言っていいやらわからない、本当に、本当に君たちのおかげで――」
途切れた言葉の代わりに、美蓮の目から滝のように涙が流れる。
「ちがうんだ」瑠貝は目をつり上げて大きく首をふる。
「あの皇帝の野郎、ジェズムや俺がどれだけ説得しても、全く聞く耳を持たないんだ。というか、理解できないんだよ、あいつにどんなに有利な条件を出しても決断できずにぼーっとしてるんだ」
「え、じゃあこの軍勢は?」
美蓮は涙に濡れた顔を上げて、頑丈な装備に身を固めたいかにも精鋭といった雰囲気の兵士達を見回す。
「私兵だよ、私兵。俺が雇っているんだ」
「これ全部、君が――」
「ああ。ジェズムの野郎、最近慈善事業に目覚めやがって、金持ってないんだ」
絨毯を引いたかのように砂漠を埋め尽くした軍隊は、この上なく壮麗で精悍。装備も含めて州軍以外には考えられない規模であった。おそらく膨大な金額が失われたことだろう。
「ご、ごめん……」
美蓮は言葉を失い、立ち尽くす。
気まずい沈黙を破るように、瑠貝が怒鳴った。
「おい、どうしてくれるんだ、これで俺は宿無しの一文無しだよっ。どうしてくれるんだっ」
つり上がった瑠貝の目、しかし口元は微笑むようにゆがんでいる。
「君にとっては、自分の命より大切な金なのに――」
「その通りだ、馬鹿野郎。で、でもな、心からの友人は金では買えないんだよ」
こらえきれずに瑠貝は美蓮に抱きつく。
「大切なのは命だ。命が一番大切なんだよ。良かった、無事で良かった」
砂漠に響き渡る鼻声。瑠貝の真っ赤な目に涙があふれて、ぼろぼろと落ち始めた。
攻防編 了
通路は地下を複雑に蛇行し、延々と続く。
背後からの音に怯えながら、どれほど歩いただろうか。
幸い水には事欠かないが、小さなランプを頼りに暗闇の中を歩き続ける人々は疲労の限界に達していた。花燭が、背負ってきた普通のあめ玉を配る。しかし、それはかえって彼らに飢えを思い出させただけだった。
唐突に、列が止った。
前方からささやき声の伝言が回ってくる。
しかし、何が起こったかは伝言より早く人々に伝わった。
目にしみるような明るい光が、闇を突っ切り人々の目に飛び込んだのである。
「地上だ」
列がゆっくりと動き出した。
それは出口周囲に敵が居ないことを示している。人々の目に生気が戻った。
砂と同色の焼き物でできた蓋を開けて地上に出た人々は、はるか彼方に煌めく真珠の塔を見て、初めて安堵のため息を漏らした。全員が出てきた時、太陽はすでに天高く登っていた。
「敵は追ってくるだろうか」
「ええ、おそらく」
麗射の問いに、清那がうなずく。さっきから彼は視線を外さずにまっすぐに真珠の塔を見つめていた。
「でも、それを遅らせる事ができるかもしれません。太陽の場所から考えると、もうすぐです」
清那は、足元の影を確認する。
「そろそろ時間です」
言葉と共に清那の顔が塔に向けられる。
その時、地響きと、空振が彼らを襲った。
清那の視線の先。
赤、緑、黄色、橙、青、紫
次々と極彩色に包まれながら、真珠の塔が光る。
最後に最上部の真珠が七色に光りながら爆発した。
煌めきながら空中に飛散する真珠。同時に真横に倒れる塔。
そして再び轟音が響く。美術工芸院が火に包まれていた。
「うまく行きましたよ、火翔」
清那の目に涙が浮かぶ。
「こんなに美しいものを見たのは、初めてです。きっと天界からあなたも見ていますよね……」
最後に真珠の塔に向かった清那は、基部のある地下の部屋に貯蔵した火薬に通じる、細い導火線の尖端に火を付けていた。真珠の塔への入り口は簡単には入れないように、錠で固く閉じている。火は3階からゆっくりと導火線を伝い、予定通りの時間に真珠の塔を爆破したのだ。
基部の火薬は美術工芸院中央側に偏らせて置いている。おそらく塔は美術工芸院に向かって倒れたであろう。宝を探す兵達が充満している――。
「さあ、休憩は終わりです。瑠貝が軍を連れてきてくれるまでなんとか逃げ切りましょう」
清那は天空を仰ぐ。
「南はこちらです」
突き抜けるほど青い空。
中天に貼り付いた太陽が容赦なく四方に光の矢を放つ。
それは、ほとんど装備を持たない彼らにとって、過酷な行軍の始まりだった。
炎天下の中、一刻(2時間)で座り込む者が続出した。無理もない。昨日の戦いから一睡もせずにここまで逃げてきたのだ。細身の勇儀も肩からの出血のためか数度倒れている。
「仕方ない、休むか」
最後尾を歩く麗射が恨めしそうに空を見上げる。もう手持ちの水も底を突きかけている。
「敵よりも太陽にとどめを刺されそうだ」
「いえ、残念ながら敵の方が早そうです」
清那はまっすぐに地平線の向こうを指さす。
黒い粒が、砂煙を上げながらこちらに近づいていた。
「煉州軍か。だが数はそんなに多くない」
麗射は遠眼鏡を見ながら眉を吊り上げる。
「ええ、300人前後でしょうか。奇併が牢獄域で結構数を減らしたのと、昨日と今日の爆発が効いたのでしょう」
麗射達の方は約350人。数としてはほぼ互角である。しかし、あの雷蛇でさえ食糧不足でへばっているのだ。まともに戦える者はすでに居なかった。
「敵が来ます、急いでください」
清那が叫ぶ。
黒い点は大きくなって、駱駝の塊として認識されるような大きさになっている。
人々は慌てて、先に進み出した。
「誰か甲冑を貸してください」清那が叫ぶ。
「これを」
兵士の一人が走って戻ってきて、金属でできた自分の胸当てを渡す。
「ありがとう、君はもういいから逃げてください」
清那は素早く身につけると、振り返って矢をつがえる。つがえた手にはすでに次の矢が3本握られていた。
「さあ、麗射。あなたも逃げて。私ができるだけ彼らを食い止めます」
「ちょっと待った。俺をただ飯食いにさせる気かよ」
走耳が清那の右横に立つ。「まだ、今月中は契約上お前さんの護衛だ」
清那を挟んでその横に立つのは幻風。
「こいつだけじゃ心許ない。及ばすながら助っ人を務めさせていただきますぞ」
「爺さん、怪我してるんだろう。余計なお世話だ、とっとと逃げて天寿を全うしろ」
「悪いが、左耳は睦言しか聞けないんじゃよ」
幻風は肩をすくめる。
「爺さんが行ったら、天女も大迷惑だ」
「そうじゃな、ともに天界に行って奥手の坊やに天女の1人くらい紹介してやろうかな」
「だまれっ!」
走耳をからかいながら血のにじんだ左手で弓を握る幻風。軽口とは裏腹にその頬は苦痛にゆがんでいる。
三人の弓が次々に射られ、駱駝の騎手がもんどりをうって投げ出された。
正確な
中でも、清那の弓術は群を抜いており、相手が前進を止めたのを良いことに次々と騎手を撃ち抜いた。
だが、それは敵から言えば目障りな射手ということ。
清那の頭部に数本の矢が集中した。
ちょうど、彼の右手は後ろの矢筒から矢を引き抜こうとした所だった。
清那をいくつもの矢が刺し貫く――。
その寸前、麗射が跳躍して、清那を突き飛ばした。
肩、胸、脇腹に矢を立てて、麗射は砂地に倒れ込む。
「清那。もう、俺を置いていくな……」
「麗射っ」
まなじりを決した清那が、瞬く間に射手を数人射貫く。
「しっかりして」
敵がひるんだ一瞬、倒れた麗射を抱き起こすと、かばうように敵に背を向ける。
さらに射かけられる矢は、天青切を握った走耳が前に立ちはだかり切り落とした。
「爺さん、大丈夫か」
「もう、矢がなくなった。お前もか、走耳」
「ああ。天界でまた爺さんの尻拭いかと思うとうんざりするぜ」
目前まで迫った駱駝の騎手が、彼らに向けて弓をつがえる。
二人は、清那と麗射の前に立ち、剣を構える。
「麗射……」
麗射に覆い被さるようにうずくまる清那。
しかし、その時。矢をつがえた敵軍の先鋒が次々に駱駝から落ちていった。彼らの胸を、多数の矢が貫いている。
思わず振り返る清那。
目に入ったのは、視界いっぱいの砂煙。
そして、砂煙の間から水平線を覆い尽くすほどの軍勢が現れた。
前方から押し寄せる軍勢に怖じ気づいたか、目の前の敵軍が反転して逃げていく。
走耳と幻風、そして清那。振り返った彼らが見たのは、大きな旗に波州と大書された大軍だった。
清那の元に、青い小さな鳥がやってきた。
「案内をありがとう、キュリル」
キュリルは清那の腕の中で、苦しげに呼吸する麗射を見て悲しげに鳴いた。
「麗射、大丈夫か」
美蓮が駆け寄ってくる。
「脇腹の矢は厄介だが、なんとかなるじゃろう。肋骨に当たって、矢が肺を貫かなかったのが幸いじゃった」
幻風が大丈夫とばかりにうなずく。
その途端、清那は大きく震えながら堰を切ったように嗚咽を上げ始めた。
一頭の駱駝が近づいてくる。それは、麗射達の前で止った。
「あ、あれは……」麗射を抱きかかえながら清那が目を潤ませる。
美蓮は言葉も出せずに清那にうなずく。
駱駝から、ぎこちない動作で砂まみれの痩せた青年が降りてきた。
青い色の入った黒髪に、似合わない口ひげ。
美蓮が走り出す。「瑠貝っ」
しかし、瑠貝の前で、美蓮はふと足を止めた。沢山の人命を奪ってきた、血まみれの自分に気がついて――。
そして瑠貝もまた、美蓮を見ながら一歩を踏み出せない。
壮絶な体験をしてきた友に比べて、彼の過ごした日々は余りにも安穏としていた。
「皇帝を説得してくれてありがとう、さすが瑠貝だ、なんと礼を言っていいやらわからない、本当に、本当に君たちのおかげで――」
途切れた言葉の代わりに、美蓮の目から滝のように涙が流れる。
「ちがうんだ」瑠貝は目をつり上げて大きく首をふる。
「あの皇帝の野郎、ジェズムや俺がどれだけ説得しても、全く聞く耳を持たないんだ。というか、理解できないんだよ、あいつにどんなに有利な条件を出しても決断できずにぼーっとしてるんだ」
「え、じゃあこの軍勢は?」
美蓮は涙に濡れた顔を上げて、頑丈な装備に身を固めたいかにも精鋭といった雰囲気の兵士達を見回す。
「私兵だよ、私兵。俺が雇っているんだ」
「これ全部、君が――」
「ああ。ジェズムの野郎、最近慈善事業に目覚めやがって、金持ってないんだ」
絨毯を引いたかのように砂漠を埋め尽くした軍隊は、この上なく壮麗で精悍。装備も含めて州軍以外には考えられない規模であった。おそらく膨大な金額が失われたことだろう。
「ご、ごめん……」
美蓮は言葉を失い、立ち尽くす。
気まずい沈黙を破るように、瑠貝が怒鳴った。
「おい、どうしてくれるんだ、これで俺は宿無しの一文無しだよっ。どうしてくれるんだっ」
つり上がった瑠貝の目、しかし口元は微笑むようにゆがんでいる。
「君にとっては、自分の命より大切な金なのに――」
「その通りだ、馬鹿野郎。で、でもな、心からの友人は金では買えないんだよ」
こらえきれずに瑠貝は美蓮に抱きつく。
「大切なのは命だ。命が一番大切なんだよ。良かった、無事で良かった」
砂漠に響き渡る鼻声。瑠貝の真っ赤な目に涙があふれて、ぼろぼろと落ち始めた。
攻防編 了