第23話 獄との別れ
文字数 2,780文字
麗射が太陽の夢を見てから数日後。
ナツメヤシや新鮮な畑の野菜も彼に活力をもたらしてくれたのか、麗射の熱もようやく収まった。げっそりとやつれた麗射を、ある日勇儀が見舞った。しばらく姿を見せなかった彼だが、結局処罰もなくそのままの地位で働いていけることになったらしい。
「私は卑怯者だ。麗射、私を恨んでくれ」
鉄格子の向こうで、彼はぼろぼろと涙を流して何度も頭を下げた。
「気にするな、兄貴も良くなっているし、お前さんだって年老いた両親と、兄さんが残した小さな子供たちを養わないといけないんだろう。兄貴もわかっているさ」
ぐったりと横たわる麗射の代わりに雷蛇が返事を返す。「な、兄貴」
「ああ」すっかり舎弟気取りの雷蛇に苦笑しながら麗射はうなずいた。
「新しい獄長が叡州 から派遣されてきた、なんでも叡州の使者としてここにやってきたらしいが元の獄長が脱獄の一件で辞任してしまったので、とりあえずその後釜に据えられてしまったらしい。地塩は獄長から走耳の一件で口止め料をもらっていたことがばれて、罷免になった」
そこまで告げると、勇儀が俯いた。
「首謀者の私はのうのうとここに居るというのに――」
「お前の処罰はもう終わっているぜ。兄貴に焼刻を入れたのは、お前にとっては一番つらい罰だっただろう」腕組みをして雷蛇が言う。「もう、気にするな」
「雷蛇、それは俺の台詞だ」弱弱しい声で麗射がつっこむ。
牢の中には久しぶりに笑い声が広がった。
「麗射、君は傷が癒えたら、釈放だそうだ」
笑いが収まってから、勇儀が麗射に声をかける。
「オアシス追放ではないのか」誰かが声を上げる。
「ああ、叡州から新しく来られた獄長殿からの通達だ」
その言葉に雷蛇が突然泣き声を上げた。
「さ、さみしいよ、兄貴。行かないでくれ。ずっとずっと死ぬまで俺と一緒にここにいてくれよ」
――それは、ありがた迷惑だろ。
ここに走耳がいたらきっとそんな言葉をもらすだろう。麗射は微笑みを浮かべた。走耳や氷炎の噂は聞かない。うまく逃げおおせていればいいのだが。
それにしても麗射の砂漠追放が、オアシス内への釈放に減刑されたのはなぜだろう。脱獄を手伝った罪でむしろ刑が重くなって良いところなのに。麗射は首をかしげる。
しかし、衰弱した今の彼にはそれ以上考える余裕はなかった。
「今日の労役では、兄貴にとびっきりの赤茄子をもいでくる。ここの作物を食べられるのも、もう少しだからな。娑婆 では食えないぜ、こんな上物」
かすむ意識の中で、雷蛇の声が遠くに聞こえた。
牢獄の中では平穏な日々が過ぎていった。麗射の傷跡は順調に回復し、労役にも参加するようになった。
「傷も癒えて、そろそろ兄貴ともお別れか」
幻風の代わりにナツメヤシを枝からもぐ軽作業をしている麗射を見て、雷蛇は悲しそうにつぶやいた。雷蛇は最近売り物として市場に出すことになったナツメヤシの葉を使ったかご編みに挑戦しているのだが、細かい作業は嫌いらしく、ゆがんだかごには小さいものなら転げ落ちそうな大きな穴がいくつも開いていた。
「真面目に勤めていれば、きっと減刑になって出られるさ」
兄貴分がようやく板についてきた麗射は肩をたたく。雷蛇は透き通った赤茶色の目に涙を貯めてうなずいた。
そこへ勇儀が微笑みながらやってきた。
「麗射、明日に決まった」
ああ、釈放か。麗射は長かった4ヶ月あまりの日々に思いをはせる、と同時に今の彼にはこれからどうすればいいのかという大きな不安がのしかかっていた。推薦状もない、前科者の彼が来年の美術工芸院に受験できるのだろうか、よしんば受験できるとしてもそれまでの生活費はどうすればいいのか。どこかに働き口はあるだろうか。
釈放が決まってから、麗射の心には困惑が広がっていた。
その夜は、牢内に畑の恵みが並んだ。勇儀たちからの差し入れもあり、牢内では見たこともないほどの豪華な食事となった。
「あんたを最初見た時には妙な奴だと思ったぜ、美だと芸術だとか叫んでな」
誰かの言葉に皆が笑い転げる。
小競り合い、そして畑作、雷蛇との闘争。様々な思い出が語られ、そして苦い思い出も笑いに変わっていった。
「兄貴、生きてまた会おうぜ」雷蛇が叫ぶ。
「そりゃ、また兄貴に罪を犯せってことか」誰かが茶々を入れる。
「馬鹿野郎、叡州公 が代替わりしたら恩赦もあろうってもんだ」
「そりゃ何十年後だよ、雷蛇」
「うるせえ、俺は生きてまたお天道様の元で兄貴に会うんだ」
「俺も頑張って生き抜くから、また必ず会おう雷蛇」
麗射が雷蛇の肩を叩く。
「兄貴~~っ」
麗射の言葉に、雷蛇が人目もはばからず号泣し夜が更けていった。
翌朝、赤い目の囚人達に見送られながら、囚人服に代わって渡された麻の上着とズボンをはいて小ざっぱりした麗射は勇儀によって牢から連れ出された。
「これを渡さないと」
麗射に渡されたのは青く染められた囚人服だった。
「氷炎も喜んでいたな、その作品を見て――」
勇儀の微笑みに、麗射はそっとうなずいた。
「新しい獄長が出獄前に渡すものがあると言っておられる」
麗射が案内されたのは、入獄初日の取り調べを受けたあの部屋だった。
「君が麗射だな」
おそらくこれが獄長としての制服だったのだろうか、前の獄長と同じ模様の錦糸の縫い取りの入った厚手のマントを羽織った細身の男が立って麗射を出迎えた。薄紫色の髪と琥珀色の瞳、叡州から派遣された官吏のようだ。
「噂はかねがね聞いている、まあ座り給え」
座るのは木机の前の同じ椅子だが、最初に尋問を受けた時とは全く違う扱いに麗射は少なからず戸惑っていた。
「なんでも、大作を仕上げたそうじゃないか。その代償でひどい目にあったようだが」
「あの壁画のことですか?」
すでに壊された作品の話が出るとは思ってもみなかった麗射は、目を丸くした。
「街は噂で持ちきりだったが、肝心の作者が行方不明ときている。探してみれば、落描きの罪で入獄中。美術工芸院、いや公子もやきもきしたようだが」
言われている意味がわからず麗射は眉をひそめる。やきもき? それに公子とは誰だ。
「警備兵は確かに美術工芸院の下部組織だが、お堅い武官と奔放な芸術家ではそりがあうはずもなく、あまり美術工芸院に良い感情は持っていない。服役についても結構もめたようだが、警備側の『前例を作ると今後の治安維持にかかわる』という言葉に学院側が押し切られたようだ」
きょとんとする麗射に、琥珀色の瞳の武官はやさしく微笑みかけた。
「言っておくが、君がこれから行くのは特別な場所だ」
「え」
「美術工芸院が、君に来院を求めている」
ナツメヤシや新鮮な畑の野菜も彼に活力をもたらしてくれたのか、麗射の熱もようやく収まった。げっそりとやつれた麗射を、ある日勇儀が見舞った。しばらく姿を見せなかった彼だが、結局処罰もなくそのままの地位で働いていけることになったらしい。
「私は卑怯者だ。麗射、私を恨んでくれ」
鉄格子の向こうで、彼はぼろぼろと涙を流して何度も頭を下げた。
「気にするな、兄貴も良くなっているし、お前さんだって年老いた両親と、兄さんが残した小さな子供たちを養わないといけないんだろう。兄貴もわかっているさ」
ぐったりと横たわる麗射の代わりに雷蛇が返事を返す。「な、兄貴」
「ああ」すっかり舎弟気取りの雷蛇に苦笑しながら麗射はうなずいた。
「新しい獄長が
そこまで告げると、勇儀が俯いた。
「首謀者の私はのうのうとここに居るというのに――」
「お前の処罰はもう終わっているぜ。兄貴に焼刻を入れたのは、お前にとっては一番つらい罰だっただろう」腕組みをして雷蛇が言う。「もう、気にするな」
「雷蛇、それは俺の台詞だ」弱弱しい声で麗射がつっこむ。
牢の中には久しぶりに笑い声が広がった。
「麗射、君は傷が癒えたら、釈放だそうだ」
笑いが収まってから、勇儀が麗射に声をかける。
「オアシス追放ではないのか」誰かが声を上げる。
「ああ、叡州から新しく来られた獄長殿からの通達だ」
その言葉に雷蛇が突然泣き声を上げた。
「さ、さみしいよ、兄貴。行かないでくれ。ずっとずっと死ぬまで俺と一緒にここにいてくれよ」
――それは、ありがた迷惑だろ。
ここに走耳がいたらきっとそんな言葉をもらすだろう。麗射は微笑みを浮かべた。走耳や氷炎の噂は聞かない。うまく逃げおおせていればいいのだが。
それにしても麗射の砂漠追放が、オアシス内への釈放に減刑されたのはなぜだろう。脱獄を手伝った罪でむしろ刑が重くなって良いところなのに。麗射は首をかしげる。
しかし、衰弱した今の彼にはそれ以上考える余裕はなかった。
「今日の労役では、兄貴にとびっきりの赤茄子をもいでくる。ここの作物を食べられるのも、もう少しだからな。
かすむ意識の中で、雷蛇の声が遠くに聞こえた。
牢獄の中では平穏な日々が過ぎていった。麗射の傷跡は順調に回復し、労役にも参加するようになった。
「傷も癒えて、そろそろ兄貴ともお別れか」
幻風の代わりにナツメヤシを枝からもぐ軽作業をしている麗射を見て、雷蛇は悲しそうにつぶやいた。雷蛇は最近売り物として市場に出すことになったナツメヤシの葉を使ったかご編みに挑戦しているのだが、細かい作業は嫌いらしく、ゆがんだかごには小さいものなら転げ落ちそうな大きな穴がいくつも開いていた。
「真面目に勤めていれば、きっと減刑になって出られるさ」
兄貴分がようやく板についてきた麗射は肩をたたく。雷蛇は透き通った赤茶色の目に涙を貯めてうなずいた。
そこへ勇儀が微笑みながらやってきた。
「麗射、明日に決まった」
ああ、釈放か。麗射は長かった4ヶ月あまりの日々に思いをはせる、と同時に今の彼にはこれからどうすればいいのかという大きな不安がのしかかっていた。推薦状もない、前科者の彼が来年の美術工芸院に受験できるのだろうか、よしんば受験できるとしてもそれまでの生活費はどうすればいいのか。どこかに働き口はあるだろうか。
釈放が決まってから、麗射の心には困惑が広がっていた。
その夜は、牢内に畑の恵みが並んだ。勇儀たちからの差し入れもあり、牢内では見たこともないほどの豪華な食事となった。
「あんたを最初見た時には妙な奴だと思ったぜ、美だと芸術だとか叫んでな」
誰かの言葉に皆が笑い転げる。
小競り合い、そして畑作、雷蛇との闘争。様々な思い出が語られ、そして苦い思い出も笑いに変わっていった。
「兄貴、生きてまた会おうぜ」雷蛇が叫ぶ。
「そりゃ、また兄貴に罪を犯せってことか」誰かが茶々を入れる。
「馬鹿野郎、
「そりゃ何十年後だよ、雷蛇」
「うるせえ、俺は生きてまたお天道様の元で兄貴に会うんだ」
「俺も頑張って生き抜くから、また必ず会おう雷蛇」
麗射が雷蛇の肩を叩く。
「兄貴~~っ」
麗射の言葉に、雷蛇が人目もはばからず号泣し夜が更けていった。
翌朝、赤い目の囚人達に見送られながら、囚人服に代わって渡された麻の上着とズボンをはいて小ざっぱりした麗射は勇儀によって牢から連れ出された。
「これを渡さないと」
麗射に渡されたのは青く染められた囚人服だった。
「氷炎も喜んでいたな、その作品を見て――」
勇儀の微笑みに、麗射はそっとうなずいた。
「新しい獄長が出獄前に渡すものがあると言っておられる」
麗射が案内されたのは、入獄初日の取り調べを受けたあの部屋だった。
「君が麗射だな」
おそらくこれが獄長としての制服だったのだろうか、前の獄長と同じ模様の錦糸の縫い取りの入った厚手のマントを羽織った細身の男が立って麗射を出迎えた。薄紫色の髪と琥珀色の瞳、叡州から派遣された官吏のようだ。
「噂はかねがね聞いている、まあ座り給え」
座るのは木机の前の同じ椅子だが、最初に尋問を受けた時とは全く違う扱いに麗射は少なからず戸惑っていた。
「なんでも、大作を仕上げたそうじゃないか。その代償でひどい目にあったようだが」
「あの壁画のことですか?」
すでに壊された作品の話が出るとは思ってもみなかった麗射は、目を丸くした。
「街は噂で持ちきりだったが、肝心の作者が行方不明ときている。探してみれば、落描きの罪で入獄中。美術工芸院、いや公子もやきもきしたようだが」
言われている意味がわからず麗射は眉をひそめる。やきもき? それに公子とは誰だ。
「警備兵は確かに美術工芸院の下部組織だが、お堅い武官と奔放な芸術家ではそりがあうはずもなく、あまり美術工芸院に良い感情は持っていない。服役についても結構もめたようだが、警備側の『前例を作ると今後の治安維持にかかわる』という言葉に学院側が押し切られたようだ」
きょとんとする麗射に、琥珀色の瞳の武官はやさしく微笑みかけた。
「言っておくが、君がこれから行くのは特別な場所だ」
「え」
「美術工芸院が、君に来院を求めている」