第90話 演説会
文字数 4,283文字
美術工芸院の鐘楼の鐘が二つ鳴った。それを聞くと、美蓮がどんぶりから顔を上げる。
「ああ、どんぶりに顔を埋めて至福の時に溺れていたいのは山々だけど、そろそろ行かなきゃ。瑠貝が劇薬を使えるような工房を貸りてくれるって言ってたから」
美蓮が清那にちらりと視線を送る。心得ていますとばかりに清那も微笑み返す。彼は二階から細長い包みを持ってきた。
「走耳から、存分にお使いくださいとの事でした」
清那は美蓮に包みを差し出した。
「刀身だけ抜いて包んでいます。恐ろしく切れる上に両刃ですから、くれぐれも気をつけてお使いください」
「なんだよ、それ」
話に入れずに麗射が口をとがらす。
「僕らのせいで、螺星 さんの繊細な作品が壊れたじゃないか。なんとか固い焼き物が作れないかと考えていたら、ふとお前の話に出てきたこの『天青切 』のことを思い出したんだよ」
美蓮はそっと巻いてある布をといた。現れた青い剣がキラキラと光る。一同はその美しさに思わずため息を漏らした。
「これは空から落ちた龍を哀れんで天から使わされた天人が作ったと言われる剣だろ、この組成が知りたいんだ。この色はさ、龍が砕け散った場所と言われる青砂漠の色と同じだ。だから、砂漠の砂を元にどうにかしてこの堅い剣と同じ組成を見つけ出せれば、螺星さんにお詫びができると思ったんだ」
「でも、どうやって」今まで会話に入らず、火薬の本を読んでいた火翔が顔を上げて尋ねる。
しかし、麗射と清那からちらりと睨まれて、彼ははっと手に口を当てた。
時すでに遅し。
美蓮は、はち切れんばかりの笑みを浮かべている。
「よくぞ聞いてくれた、火翔。物質によって比重が決まっているのは知っているな。この刀剣の重さを竿秤 で測った後で、今度は水に沈めて重さを量ればその差を利用して比重が出る。青砂になにか混ぜてあるのか否か、後は結果を見て青砂にいろいろな鉱物を混ぜて……」
誰も話す相手が居なかったのだろう、美蓮はすでに麗射達の理解を超えた理論を延々と話し続けた。
「おい、美蓮。もう行かないといけないんじゃないのか」
「で、銀砂と青砂だが、重液 を使って……」
これっぽっちも話を止める気は無さそうだ。美蓮は、興に乗れば周りなど見えなくなる。
「牙蘭から、その剣を作るときに天人が地獄の業火で焼いたという伝説を聞いたことがあります」
「高温の炉を作る必要がありますね」
清那の言葉に、美蓮は鼻を膨らませ、目に炎をたぎらせた。
「図書館の工芸関連の技術書を当たってみます。今は失われた古 の技術の中で何か使えるものがあるかもしれません」
「な、火翔。この学院はヘンな奴の集まりだろう」ため息と共に麗射が漏らす。
火翔は嬉しそうにうなずくと口を開いた。
「美蓮、是非僕もその実験に混ぜてくれ」
麗射と清那は肩をすくめた。
その時。激しくドアを叩く音がした。待ちきれないと見えて、ドアを蹴飛ばす音もする。
「おい、お前ら居るのか? 居るんなら空けてくれ」
開いたドアと共に飛び込んできたのは髪を振り乱した瑠貝であった。
「あ、今から行こうと思ってたんだよ」
しかし、美蓮の言葉は耳に入らない様子で、瑠貝は一直線に麗射に近づいた。
「おい、追加だ。追加購入するぞ。今しなきゃ間に合わないんだ」
「はあ?」四人は怪訝な顔で突然の闖入者を見つめる。
「決まってるじゃないか、追加だ、火薬と鉱石の」
「瑠貝、落ち着けよ。結論に至った根拠を話せ」
美蓮が友人をいさめる。少し我に返ったのか荒かった息を整えて瑠貝が話し始めた。
「さっきから大騒ぎなんだよ、学院に人が押し寄せて。あの夜、打ち上がった爆花が2階建ての家からは見えて、その夕暮れ色の火花がえらくきれいだったと評判になっていたらしい。でもそれが禁止になったという噂が流れて、もう一度あの爆発を見せろと大騒ぎになっている。今、学院長が対応しているが、皆の剣幕におろおろしている。きっとこれはまた爆花のお許しが出るに違いない」
瑠貝は麗射に額がくっつくぐらいの近くに顔を寄せ、地を這うような低い声で脅した。
「いいか。これで終わったらこっちは大損なんだ。下手すると俺が夜逃げする事態になりかねん。卒展まで日数がない。さっさと火薬と鉱石を追加購入して、爆花を作れ、いいな」
「しかし、もし爆花の禁止が解けなかったら」
瑠貝は切れ長の目の下に黒い墨を塗ったような鬼気迫る表情で迫る。
「ここで引いたらすべてが水の泡だ。負けた賭けの次は倍の金を張れというのが俺の一族の家訓だ。大丈夫。俺が見るに、蛮豊は肝が据わっているように見えて実は日和見の小心者だ、爆花は許可される」
「でも、俺たちが爆花を打ち上げたとして、どうやって儲けるんだ?」
血走った瞳が不敵な光を放つ。
「それは、俺に任せておけ。押しかけた人々を見て、俺の鼻が金の匂いを嗅ぎつけたのさ」
にやりと口角を上げると、金の亡者は鼻をうごめかした。
「しかし、火薬を爆発させた犯人がわからないことには、また同じ事が繰り返される可能性があるが」
「どうせ、玲斗の一派だろ」吐き捨てるように瑠貝が言う。「警備兵を金で釣ったのは明白だ」
「しかし、証拠がありません」清那が目を伏せる。「あの日以来、厨房の者と警備兵が一人ずつ失踪したらしいのですが、警備隊はそれについてだんまりを決め込んでいます。彼らと玲斗の関係も明らかではありませんし。火の不始末が原因だというのがもっぱらの噂になっています。今のところ打つ手が――」
「いや」
美蓮がふと顔を上げた。
「たき火と火矢の痕があったし、犯人達はあの日砂漠に居たのは間違いない。奴らは砂漠からあの爆花を見たはずだ。と、なると」
美蓮は四人を見回した。
「まだ、芸術の神は我々を見捨ててないかも知れない。勝負は、立候補者演説会だ」
今回の学院生代表選挙は異例中の異例であった。主要候補が1回生の二人、なんとその中の一人は停学中という前代未聞の事態である。
「卒業生の票を集めようとしたんだが、卒展の作品が壊れたこともあって、うまくいかなかった」
選挙演説のため、久しぶりに学院内に足を踏み入れた麗射にレドウィンはすまなそうに頭を下げた。
「玲斗の配下が金を配っているらしい。普通ならそれぐらいでお前の人気が落ちることはないのだが、先日の爆発で条件は一気に厳しくなった」
「ご尽力ありがとうございます。選挙に落ちても気になさらないでください。放校になる訳ではないし」麗射は白い歯を見せて笑った。「でも、あなたにご推薦をいただいたんだから、最後まであきらめずに頑張りますよ」
「その意気だ」嬉しそうにレドウィンは肩を叩いた。「学院は、芸術を志す者にとって心の支えだ。これからどんなことが起こるかもしれないが『芸術に対し常に真摯であれ』という学院の精神を守り抜いてくれ」
レドウィンの目をまっすぐに見返すと、麗射はしっかりとうなずいた。
講堂は、美術工芸研鑽学院が威信をかけて建築した当代一の建築物である。最高の技術と莫大な財力をつぎ込み、天井画はもちろん、窓枠までもがその当時の粋を極めて作られている。そのあまりにも壮麗な美しさは、ここを初めて訪れた誰もが息を飲んだまま息をするのを忘れる程であった。
昼食後、午後の始業の鐘とともに、立候補者とその応援演説者は磨き抜かれた講堂の舞台に上がって、背もたれの付いた豪奢な椅子に座る。玲斗と順正は隣に座った麗射達にチラリと侮蔑の視線を送った後に、薄笑いを浮かべた。
因縁の対決とあって、講堂には学院生達が立ったままひしめき合い、息苦しいような熱気が充満している。しきたりでは、まずは候補者が話し、その後に応援演説者が話す事になっていた。立候補順に候補者と応援演説者が数人ずつ演説を行ったが、可もなく不可もない出来で、会場はおとなしく彼らの言葉を拝聴した。
そして、とうとう演壇に麗射が登場した。麗射の応援演説者として横に付き添っているのは、レドウィンではなくてこげ茶色の巻き毛を美しく波打たせた美蓮だった。
途端に湧き上がる怒号と、同じくらいの応援。学院に来てすぐの四面楚歌の状態とは違って、会場の中には根強い麗射贔屓 の者がまだ多数いることを伺わせた。
「皆さん、先日の爆発事故は本当にすみませんでした。爆発を防ぐことができず申し訳ありません」
麗射とともに、後ろに控えた美蓮も深々と頭を下げる。会場の怒号はひときわおおきくなり、麗射の頭に腐ったオレンジが投げられた。怒りを受け止めるように目を伏せて、麗射は袖でオレンジの汁を拭う。
麗射は大きく深呼吸すると口を開いた。
「俺は、波州の田舎の出身だ。美術の勉強もまともにしたことがなかった。でも、絵を描きたい、その一心で金を貯めて死ぬ思いでここにやってきた。みんなも知っているとおり、美術工芸院の壁に落書きをしたことで投獄されたけど、正気を失いそうな牢獄の中で、俺を正気につなぎ止めたのは芸術だった。いつも心に美があることが、俺を人間にしていた。芸術は素晴らしい、金があってもなくても、美はそこかしこから降り注ぐ。俺は美の殿堂であるここが好きだ。ここでもっと美を学びたい。そして……」
麗射は天井画を仰ぎ見た。そこには青い龍が天空から落ちてきた寓話に始まって、オアシスの戦、そして美術工芸院創立譚までもが美しい色彩で描かれていた。考え抜かれた色は、まるで平坦な天井に凹凸があるかのように立体感を出している。今ですら再現が難しい絶妙な色彩配置だ。
天井画には、救いをもたらす女神とともに戦で人々がむごい死を迎える様が描かれていた。
麗射はため息をつくと、口を開いた。
「俺は煉州にいた。煉州で反乱軍と王室軍、両方の陣営を見てきた。先日、民衆による蜂起が起こったが、煉州の戦は多分煉州だけでは終わらない。近隣の国、そしてこのオアシスにも飛び火するだろう。その時、この美の殿堂を、いや、オアシスをどうするか。これから考えなければならない。俺は学院生代表となり、命を賭して自分が得た煉州の情報を元に真珠の都にいる人々を守るつもりだ。俺は、ここを、いや、芸術を心から愛しているから……」
麗射が一礼して席に戻る。いつしか怒号は止んでいた。
芸術作品を作る事にのめり込んでいた学院生達は、砂漠を隔てた遠い煉州の内乱の火の粉が遅かれ早かれこの美の砦にも降りかかることを初めて認識したようだった。
静かに拍手が湧き上がる。
「おい、もっと他に言うことがあるんじゃないのかよ。この爆発魔」
玲斗の応援演説者、順正が席を蹴って立ち上がった。
「ああ、どんぶりに顔を埋めて至福の時に溺れていたいのは山々だけど、そろそろ行かなきゃ。瑠貝が劇薬を使えるような工房を貸りてくれるって言ってたから」
美蓮が清那にちらりと視線を送る。心得ていますとばかりに清那も微笑み返す。彼は二階から細長い包みを持ってきた。
「走耳から、存分にお使いくださいとの事でした」
清那は美蓮に包みを差し出した。
「刀身だけ抜いて包んでいます。恐ろしく切れる上に両刃ですから、くれぐれも気をつけてお使いください」
「なんだよ、それ」
話に入れずに麗射が口をとがらす。
「僕らのせいで、
美蓮はそっと巻いてある布をといた。現れた青い剣がキラキラと光る。一同はその美しさに思わずため息を漏らした。
「これは空から落ちた龍を哀れんで天から使わされた天人が作ったと言われる剣だろ、この組成が知りたいんだ。この色はさ、龍が砕け散った場所と言われる青砂漠の色と同じだ。だから、砂漠の砂を元にどうにかしてこの堅い剣と同じ組成を見つけ出せれば、螺星さんにお詫びができると思ったんだ」
「でも、どうやって」今まで会話に入らず、火薬の本を読んでいた火翔が顔を上げて尋ねる。
しかし、麗射と清那からちらりと睨まれて、彼ははっと手に口を当てた。
時すでに遅し。
美蓮は、はち切れんばかりの笑みを浮かべている。
「よくぞ聞いてくれた、火翔。物質によって比重が決まっているのは知っているな。この刀剣の重さを
誰も話す相手が居なかったのだろう、美蓮はすでに麗射達の理解を超えた理論を延々と話し続けた。
「おい、美蓮。もう行かないといけないんじゃないのか」
「で、銀砂と青砂だが、
これっぽっちも話を止める気は無さそうだ。美蓮は、興に乗れば周りなど見えなくなる。
「牙蘭から、その剣を作るときに天人が地獄の業火で焼いたという伝説を聞いたことがあります」
「高温の炉を作る必要がありますね」
清那の言葉に、美蓮は鼻を膨らませ、目に炎をたぎらせた。
「図書館の工芸関連の技術書を当たってみます。今は失われた
「な、火翔。この学院はヘンな奴の集まりだろう」ため息と共に麗射が漏らす。
火翔は嬉しそうにうなずくと口を開いた。
「美蓮、是非僕もその実験に混ぜてくれ」
麗射と清那は肩をすくめた。
その時。激しくドアを叩く音がした。待ちきれないと見えて、ドアを蹴飛ばす音もする。
「おい、お前ら居るのか? 居るんなら空けてくれ」
開いたドアと共に飛び込んできたのは髪を振り乱した瑠貝であった。
「あ、今から行こうと思ってたんだよ」
しかし、美蓮の言葉は耳に入らない様子で、瑠貝は一直線に麗射に近づいた。
「おい、追加だ。追加購入するぞ。今しなきゃ間に合わないんだ」
「はあ?」四人は怪訝な顔で突然の闖入者を見つめる。
「決まってるじゃないか、追加だ、火薬と鉱石の」
「瑠貝、落ち着けよ。結論に至った根拠を話せ」
美蓮が友人をいさめる。少し我に返ったのか荒かった息を整えて瑠貝が話し始めた。
「さっきから大騒ぎなんだよ、学院に人が押し寄せて。あの夜、打ち上がった爆花が2階建ての家からは見えて、その夕暮れ色の火花がえらくきれいだったと評判になっていたらしい。でもそれが禁止になったという噂が流れて、もう一度あの爆発を見せろと大騒ぎになっている。今、学院長が対応しているが、皆の剣幕におろおろしている。きっとこれはまた爆花のお許しが出るに違いない」
瑠貝は麗射に額がくっつくぐらいの近くに顔を寄せ、地を這うような低い声で脅した。
「いいか。これで終わったらこっちは大損なんだ。下手すると俺が夜逃げする事態になりかねん。卒展まで日数がない。さっさと火薬と鉱石を追加購入して、爆花を作れ、いいな」
「しかし、もし爆花の禁止が解けなかったら」
瑠貝は切れ長の目の下に黒い墨を塗ったような鬼気迫る表情で迫る。
「ここで引いたらすべてが水の泡だ。負けた賭けの次は倍の金を張れというのが俺の一族の家訓だ。大丈夫。俺が見るに、蛮豊は肝が据わっているように見えて実は日和見の小心者だ、爆花は許可される」
「でも、俺たちが爆花を打ち上げたとして、どうやって儲けるんだ?」
血走った瞳が不敵な光を放つ。
「それは、俺に任せておけ。押しかけた人々を見て、俺の鼻が金の匂いを嗅ぎつけたのさ」
にやりと口角を上げると、金の亡者は鼻をうごめかした。
「しかし、火薬を爆発させた犯人がわからないことには、また同じ事が繰り返される可能性があるが」
「どうせ、玲斗の一派だろ」吐き捨てるように瑠貝が言う。「警備兵を金で釣ったのは明白だ」
「しかし、証拠がありません」清那が目を伏せる。「あの日以来、厨房の者と警備兵が一人ずつ失踪したらしいのですが、警備隊はそれについてだんまりを決め込んでいます。彼らと玲斗の関係も明らかではありませんし。火の不始末が原因だというのがもっぱらの噂になっています。今のところ打つ手が――」
「いや」
美蓮がふと顔を上げた。
「たき火と火矢の痕があったし、犯人達はあの日砂漠に居たのは間違いない。奴らは砂漠からあの爆花を見たはずだ。と、なると」
美蓮は四人を見回した。
「まだ、芸術の神は我々を見捨ててないかも知れない。勝負は、立候補者演説会だ」
今回の学院生代表選挙は異例中の異例であった。主要候補が1回生の二人、なんとその中の一人は停学中という前代未聞の事態である。
「卒業生の票を集めようとしたんだが、卒展の作品が壊れたこともあって、うまくいかなかった」
選挙演説のため、久しぶりに学院内に足を踏み入れた麗射にレドウィンはすまなそうに頭を下げた。
「玲斗の配下が金を配っているらしい。普通ならそれぐらいでお前の人気が落ちることはないのだが、先日の爆発で条件は一気に厳しくなった」
「ご尽力ありがとうございます。選挙に落ちても気になさらないでください。放校になる訳ではないし」麗射は白い歯を見せて笑った。「でも、あなたにご推薦をいただいたんだから、最後まであきらめずに頑張りますよ」
「その意気だ」嬉しそうにレドウィンは肩を叩いた。「学院は、芸術を志す者にとって心の支えだ。これからどんなことが起こるかもしれないが『芸術に対し常に真摯であれ』という学院の精神を守り抜いてくれ」
レドウィンの目をまっすぐに見返すと、麗射はしっかりとうなずいた。
講堂は、美術工芸研鑽学院が威信をかけて建築した当代一の建築物である。最高の技術と莫大な財力をつぎ込み、天井画はもちろん、窓枠までもがその当時の粋を極めて作られている。そのあまりにも壮麗な美しさは、ここを初めて訪れた誰もが息を飲んだまま息をするのを忘れる程であった。
昼食後、午後の始業の鐘とともに、立候補者とその応援演説者は磨き抜かれた講堂の舞台に上がって、背もたれの付いた豪奢な椅子に座る。玲斗と順正は隣に座った麗射達にチラリと侮蔑の視線を送った後に、薄笑いを浮かべた。
因縁の対決とあって、講堂には学院生達が立ったままひしめき合い、息苦しいような熱気が充満している。しきたりでは、まずは候補者が話し、その後に応援演説者が話す事になっていた。立候補順に候補者と応援演説者が数人ずつ演説を行ったが、可もなく不可もない出来で、会場はおとなしく彼らの言葉を拝聴した。
そして、とうとう演壇に麗射が登場した。麗射の応援演説者として横に付き添っているのは、レドウィンではなくてこげ茶色の巻き毛を美しく波打たせた美蓮だった。
途端に湧き上がる怒号と、同じくらいの応援。学院に来てすぐの四面楚歌の状態とは違って、会場の中には根強い麗射
「皆さん、先日の爆発事故は本当にすみませんでした。爆発を防ぐことができず申し訳ありません」
麗射とともに、後ろに控えた美蓮も深々と頭を下げる。会場の怒号はひときわおおきくなり、麗射の頭に腐ったオレンジが投げられた。怒りを受け止めるように目を伏せて、麗射は袖でオレンジの汁を拭う。
麗射は大きく深呼吸すると口を開いた。
「俺は、波州の田舎の出身だ。美術の勉強もまともにしたことがなかった。でも、絵を描きたい、その一心で金を貯めて死ぬ思いでここにやってきた。みんなも知っているとおり、美術工芸院の壁に落書きをしたことで投獄されたけど、正気を失いそうな牢獄の中で、俺を正気につなぎ止めたのは芸術だった。いつも心に美があることが、俺を人間にしていた。芸術は素晴らしい、金があってもなくても、美はそこかしこから降り注ぐ。俺は美の殿堂であるここが好きだ。ここでもっと美を学びたい。そして……」
麗射は天井画を仰ぎ見た。そこには青い龍が天空から落ちてきた寓話に始まって、オアシスの戦、そして美術工芸院創立譚までもが美しい色彩で描かれていた。考え抜かれた色は、まるで平坦な天井に凹凸があるかのように立体感を出している。今ですら再現が難しい絶妙な色彩配置だ。
天井画には、救いをもたらす女神とともに戦で人々がむごい死を迎える様が描かれていた。
麗射はため息をつくと、口を開いた。
「俺は煉州にいた。煉州で反乱軍と王室軍、両方の陣営を見てきた。先日、民衆による蜂起が起こったが、煉州の戦は多分煉州だけでは終わらない。近隣の国、そしてこのオアシスにも飛び火するだろう。その時、この美の殿堂を、いや、オアシスをどうするか。これから考えなければならない。俺は学院生代表となり、命を賭して自分が得た煉州の情報を元に真珠の都にいる人々を守るつもりだ。俺は、ここを、いや、芸術を心から愛しているから……」
麗射が一礼して席に戻る。いつしか怒号は止んでいた。
芸術作品を作る事にのめり込んでいた学院生達は、砂漠を隔てた遠い煉州の内乱の火の粉が遅かれ早かれこの美の砦にも降りかかることを初めて認識したようだった。
静かに拍手が湧き上がる。
「おい、もっと他に言うことがあるんじゃないのかよ。この爆発魔」
玲斗の応援演説者、順正が席を蹴って立ち上がった。