第7話 走耳と幻風

文字数 3,715文字

 その日から麗射もさっそく労務に駆り出された。二十人近い囚人は逃亡を防ぐため鎖で両足をつながれると数人ずつの集団に分けられた。そして数人の獄吏が付いて牢獄の外にある農場に連れていかれる。
 話によれば牢獄はオアシスの北西に瘤のように飛び出して作られているようであった。瘤の中でも一番オアシスと離れているところに牢獄があり、オアシスとの境は番人の常駐する頑丈な扉で境されている。
 牢獄の外には高い柵を巡らせた大きな畑があり、囚人たちは毎日そこでの労働が強制されていた。
 彼らの統率をする獄吏は大きな刀を下げているが、麗射たちが持っているのは木でできた鍬と棒きれだけ。後は手を使えということだろう、きつい日差しの下で固まった土を耕すにはあまりにも貧弱な道具であった。
「今から一日中、炎天下の中で働きづめさ。徐春を越えたからこれからますます暑くなる。うまいことさぼらないと、死んじまうぞ」
 同じ集団になった金色に近い薄茶色の髪をした細身の若い男、走耳(そうじ)が肩をすくめた。彼は、麗射が入獄したときに、壁が話したかと錯覚するくらい存在感のなかった男である。目、口、鼻、どれをとっても可もなく不可もなく。しかし不可のない造作が寄り集まって、顔立ちはなかなか端正に仕上がっている。ぽつぽつと話す内容から推測すると、走耳はどうやらコソ泥を生業としていたようだが、その人目を引かない特異な佇まいが大いに役立つのだろう。
「一匹オオカミだったんだが、何を血迷ったか、集団でやる仕事に誘われてよ」
 昔なじみの縁もあって断り切れずにしばらく集団で稼いでいたが、仲間のドジのとばっちりを受けてお縄になったと、走耳はぼそぼそと麗射に語った。ちんぴらどもはすぐ開放されたが、彼は宝の隠し場所をすべて吐いていないという疑いで刑期が終えているにも関わらず、すでにひと月も拘束されているらしい。
「自分の宝の隠し場所ならいざ知らず、人のまで吐けるかよ」
 走る耳という名前の通り、広範な情報を持つ彼が仲間の隠した宝の情報も得ているのではないかと獄吏達は疑っている。情報とともに釈放をほのめかされているようだが、走耳は沈黙を守っているらしい。犯罪者のくせになかなか義理堅い男だ、と麗射は妙に感心した。
「ようし、止まれ」
 獄吏は囚人どもの列を止まらせる。重い鎖で両足をつないだまま、囚人たちはのろのろといつもの持ち場に散っていった。
 小麦やサトウキビを植える畑もあるが、広い農園のほとんどはナツメヤシで占められていた。
「俺たちはナツメヤシの実の収穫だ」
 走耳に促されて、麗射は水路の左手に広がるナツメヤシ園に向かった。
 ナツメヤシは背の高いごつごつとした木で、てっぺんから放射状に長細い葉っぱが広がっている、葉の根元からいくつにも実のついた房が枝分かれしておりそれぞれの房にはびっしりと見覚えのある小さな赤い実がなっていた。ナツメヤシは広沙州を中心にしたこの一帯の特産で、甘くて日持ちもいい乾燥したナツメヤシは砂漠の主食と言っても過言ではない。麗射も砂漠を干からびたこの実をかじりながら生き抜いてきた。
「まだ春になったばかりなのに実がなるのか」
 麗射は驚いて走耳に尋ねる。故郷でもナツメヤシは見たことがあるが、普通は秋にしか実がならない。
「この青銀砂漠のナツメヤシは年中実をつけるんだ。ほら、まだ花房の木もあるだろ。木によって収穫時期が違うんだ。そういう種類なのか、何かが違うのかよく知らないけどね」
 近寄ってきた獄吏が走耳に何か言うと、彼の両足をつなぐ鎖の鍵穴に鍵を突っ込んだ。そして躊躇なく彼に先を丸くした剪定鋏を渡す。いつも彼の役割なのだろう、自由の身になった走耳はそれを腰帯に挟むと節くれだったナツメヤシの幹にしがみつき、自分の身長の5倍はあろうかという木をスルスルと登っていった。それにしても拘束を解かれ、鋏まで渡されるとは走耳は相当獄吏に信頼されているようだ。
「まるで猿だな」
 彼のあまりの身軽さに麗射は目を丸くしてつぶやいた。
 走耳は赤い実が鈴なりになった房を切り取るとある程度まで下に担ぎ下ろす。
「おい、ここから投げるぞ」
 声と共に房が投げ落とされた。
 麗射はそれを受け取りにナツメヤシの根元によろよろとおぼつかない足取りで近づく。無理もない、銀嶺の雫で水を飲んでから後、ほとんど飲まず食わずなのだ。労務に駆り出される前に金髪の獄吏が水をくれたが、限界に近い体には焼け石に水であった。
「気を付けろ、今までに切り落とした棘がそこいらに散らばってるぞ」
 走耳が麗射に叫んだ。
「ここのナツメヤシの葉の付け根には毒のある棘があるから、奴は邪魔になる棘を切りおとしてから実のついた房を回収しているんだ」
 いつの間にか近くにいた痩せた白髪の男が麗射に話しかける。先ほど牢で横に座っていた老人だ。
 足元に散らばった15cmくらいの鋭い棘をつまみ上げて老人は麗射の鼻先に突き出した。
「この砂漠のナツメヤシの毒はきつい、棘が刺さると激痛が走り、後々化膿して厄介だぞ」
 そういうと彼は地面に落とされた赤い実がたわわになった房をうんしょとばかりに持ち上げた。細い体躯に似合わず、老人はよろめきもせず房を運んでいく。麗射もあわてて他の房を担いで後を追った。
「走耳は信頼されているんですね」
「そう見えるか?」
 老人は肩をすくめた。
「武器にもなる鋏を持ってちょっとでも逃亡のそぶりを見せたら、否応なく切り殺されても文句は言えない。自由にされているっていうのは、それなりの危険を帯びているってことだ」
 そう言って木陰に房を下ろすと、老人は腰を掛けて広げていた麻袋に枝からちぎった実を入れていった。手慣れた様子からみるとそれがいつもの彼の仕事のようだった。
「まあ、あいつも馬鹿じゃないからそれぐらいとっくに承知だがな」
 麗射が老人の横に座って実をちぎりだしたのを見て、のっぺりした顔のくせに吊り上がった目だけが妙にギラギラした茶色いちぢれ毛の獄吏が麗射の腰を蹴っ飛ばした。
「馬鹿野郎、それは爺いの仕事だ。お前は、あの束をこっちに運べ」
 ふと見ると、走耳の切った実のついた房が山になっている。房は結構な重量であった。鎖のついた足は歩幅が制限され、落ちて来る房を拾っては老人の元まで運ぶのは一苦労である。
 容赦なく照り付ける日差しの中で、麗射はナツメヤシの木と日陰を休むことなく往復した。頑健な彼だが体力も限界を超えている。視界は次第に薄れ、思考もぼんやりとかすみ始める。
 足が止まって、持っていた房が地面に落ちた。
「この怠け者が」
 ちぢれ毛の獄吏が鞭を振り上げて、とうとう座り込んでしまった麗射を脅す。
そう言われても、ここ2~3日ほとんど物を食べていないのである。もう振り絞っても力が出ない。
 脅しても立ち上がらないとわかった後、獄吏は容赦なく鞭を麗射に振り下ろした。
 立ち上がる気力もなく、腕で頭をかばって地面をただごろごろと転がる麗射。回転する視界の中に、囚人たちが映る。鞭での打擲(ちょうちゃく)などいつものことなのか、麗射を気にする様子はなく皆各自の仕事をこなしていた。
「おい、やめろ」
 止めたのは、先ほど水をくれた若い金髪の獄吏だった。
「新入りだし、なんでも砂漠をさまよってこのオアシスに来たばかりのようだ。もう体が動かないんだろう。こいつは放っておけ」
 金髪の獄吏はリーダー格なのだろう。ちぢれ毛の男は舌打ちをし、仕上げとばかりに麗射を蹴り上げると、どこかに行ってしまった。
「大丈夫かい、若いの」
 獄吏達が目を離したすきに、先ほどの老人が声をかけてきた。
「あ、ああ」声は出るが、めまいで体が動かない。「ここしばらく満足に食ってないから」
 視界が暗くなり、麗射は急速に地面の中に吸い込まれていくような感覚にとらわれた。
 老人はかがむとそっと麗射の口に何か固形物を押し込む。
「種は抜いてある、早く飲み込め」
 舌で押すと、口の中にねっとりとした甘みが広がった。潰れてカラカラの上あごにくっついたその甘いものは、以前どこかの祝いの席で食べた黒砂糖を使った豆餡にそっくりな味だった。
「これはナツメヤシの実か?」
 隊商との旅で齧っていたのはもっと固かったが、これは口の中で転がしているだけでとろけていく。乾燥させた実とはまったく別の食べ物かと思わせるほど柔らかくて美味い。
「ああ、これは生乾きの実だ。乾燥しきったのとは別もんだろう」
 好々爺の顔つきだがどことなく目だけが鋭い白髪の老人は、素早く左右に視線を走らせ黙っておけとばかりに自分の口を手で覆い隠した。
 どこかに隠し持っていた実を麗射に恵んでくれたらしい。
 口の中に広がった甘みがそのまま頭の中にまで染み渡っていくようだ。目の前の霧が見る見るうちに晴れわたるのを実感して麗射は驚いた。
「わしら砂の民はこの実に生かされているんじゃ」
 もっと食えとばかりに、老人は麗射にこっそりとナツメヤシの実を渡した。
「助かりました、ご老人。あなたのお名前は」
幻風(げんふう)、しがない占い師だ」
 兵士に気づかれるのを恐れてか、老人はわずかに目くばせをするとそそくさとその場を立ち去った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み