第62話 白砂村

文字数 5,252文字

 翌朝、麗射は清那の駆る馬車で烈望(れつぼう)郡を目指した。途中、温泉の出る湯然(ゆぜん)という街で一泊し、疲労の溜まった馬を交換。そして次の日には火見(ひみ)という村の粗末な宿に泊まった。烈望に近づくにつれ、火山を思わせる地名が多くなる。
「貴石は火山の贈り物です」美術工芸学院で聞いた講義の一節が麗射の頭に蘇った。
 四日目の夕方、彼らはやっと烈望郡に入ることができた。
 銀色の髪をたてがみのようになびかせて馬車を走らせながら、清那が声を上げる。
「烈望郡は以前、美術工芸院での鉱石実習が行われていたところです。私は訪れたことはありませんが、学院で数度地図を見たことがありだいたいの地形は頭に入っています。ずいぶん昔に爆発したと言われる烈火山を望み、ほとんどは水はけのよい白い急峻な台地で覆われています。白砂大地が途絶えたあたりにある切り立った山が久光山です」
 数度地図を見ただけで地形を覚えるのか。暗記が苦手な麗射は苦笑いし、向かい風に逆らいながら叫ぶ。
「久光山には行かないよ、七色洞で顔料にできそうな石を探しておとなしく帰る」
 七色洞ではそこいらに散らばる石くずでさえも、発色の良い画材が作れると聞く。麗射はせっかく煉州に来たのだから、画材屋には無い独自の色を探したいと思っていた。さすがに公子を連れている今、氷炎に会うのはあきらめている。
「今の状況で氷炎探しは、子連れでは危険すぎる」
「子供ですって」
 いつもより一回り高い声。背中を向けているが、ふくれっ面の顔が見えるようだ。
「あなたは行き当たりばったりで、放っておくといつも引き寄せられるように危ない方に行ってしまいます。私よりずっとずっと子供っぽいくせに」
 風に流れて耳に届く文句を聞きながら、麗射は馬車の窓から外を眺める。
 上り坂が増え、馬車の速度もめっきり落ちてきた。時折切り立った断崖が見えるが、黒い表土が削られた部分が白く浮かび上がっている。ここいらは昔爆発した烈火山の灰がたまってできた台地であろう。
 この白い台地を突っ切ってさらに東に行くとまた地勢が変わって、切り立った山が連なってくる。七色洞はその山地の入り口にあり、レドウィンによれば瑪瑙のような筋の入った奇岩の群れが連なる七色洞は風光明媚の極地で、玉をはじめとする貴石の産地ということを差し引いても十分訪れる価値はあるとのことだった。
「七色洞には馬車ではいけません。今日はこのあたりで宿を探しましょう」
 清那の言葉に麗射は我に返る。
 さすがにここまで街から離れると宿屋も見当たらない。二人は閑散とした畑の道を馬車で進んだ。台地には畑が作られ、背の低いツル植物が植えられていた。この台地では米は作れないため、甘芋が特産だと昨日の宿屋の親父が話していたのを麗射は思い出した。
 数人の農夫が子供たちを連れて芋の収穫をしている。彼らは都の金髪碧眼の人々とは違い、茶色と金色の中間くらいの薄茶色の髪をしていた。麗射はふと同じ色の髪をした走耳の事を思い出した。彼はこの人たちと同じ血統の一族なのかもしれなかった。
 麗射は近隣の宿について尋ねるため、馬車を降りた。
 知らない人間が近寄ってくるのを見ると子供たちはいっせいに親の背中に隠れる。それでも興味があるのか、顔だけ出してじっと麗射の方を見ている子もいる。どこでも子供の反応は同じだ。故郷の村の子供たちのことを思い出して麗射は思わず笑顔になった。
「こんにちは、ここらに宿はありますか?」
 麗射の言葉を聞くと、子供たちは大きな笑い声を立てた。
 砂漠を挟む三州はほぼ同じ系統の言語であり言葉が全く通じないという事はない。だが、地域によってはかなり言葉の変化が激しく、互いの言語が強く訛っているように感じられる事が多かった。
「黒い髪の人、どこから来なすったかね」
 額に幾重もの皺がある老人が前に進み出た。
「波州から、参りました。俺は麗射と言って、画家の卵です。実は七色洞で画材の原料となる色石を採掘したくてここに――」
 言葉の途中で老人は首を振った。
「やめときなさい、最近はこの近くまで時々反乱軍が出没し若い男を拉致して無理やり民兵にしているらしい」
「ここまで勢力が及んでいるんですか」
 久光山からここまではかなり離れている。都で聞いた話とはずいぶん違うと麗射は目を丸くした。
「わしらも困っているんだ。いつ何時反乱軍が押し寄せてくるかもしれないが、先祖代々の田畑を手放すわけにはいかんからな。王にも逆らえないが、かといって反乱軍にもたてつくわけにはいかん」
「すみません、どうしても七色洞に行きたいので、どなたか一夜の宿をお貸し願えませんか」
 皆が顔を見合わせる。それは当たり前であろう、麗射は今日あったばかりのどこの馬の骨ともわからない人間だ。
「仕方ない、それではここらへんで野宿できそうな場所はありますか?」
 麗射の言葉に、老人が顔をしかめる。深いしわがゆがんだ地層のようにくっきりと浮き出た。
「わしはここ白砂村(しらすなむら)村長の玄葉(げんよう)だ。狼が出ることがあるから、野宿はお勧めしない。わしの家の物置で良ければお貸ししよう」
 村長の案内で麗射と清那は馬車を村長の家に回した。村長の家は小さな村の奥まった一角にあり、彼は村人全員が入れそうな炉端に二人を案内した。
「えらく立派な馬車だが、お前さんは波州の貴族か何かかね」
「いえ、ただの絵描きですが、縁あってこの州に参りました。せっかく砂漠をこえて煉州に来たのであれば、名物である鉱石を採取しない手はないと思いやってきた次第です」
「いや、それは止めた方がいい」
 玄葉は口をへの字に結んで首を横に振った。
「なあ、清那。もう諦めよう。今夜ここに泊まってから帰ろう。そうすればアイゲル達の出立にも十分間に合うだろうし」
 懇願に近い口調で話しかける麗射だが、清那はそっぽを向いて聞こえないふりをしている。
「さあさあ、せめてものお膳をどうぞ召し上がってくださいまし」
 村長の妻らしき老婆が、これまた皺の深く刻まれた顔に微笑みを浮かべながら食べ物の入った膳を持ってきた。
「御覧の通り、狭い平地に畑を作ってほそぼそと暮らしている貧しい村です。ろくなおもてなしもできずすみませんねえ」
 膳には、芋の入った汁椀と芋の茎を湯がいたものが盛られた皿が乗っていた。
「さあ、遠慮なく」
「ああ、滋味深い。疲れがとれます」
 清那は上品な所作で芋汁を口に含むと、深く頭を下げた。薄味の汁は湯に近く、芋も味気ない。芋の茎は多少ましで、かみしめると味のある汁が口に広がった。この料理を美味いとほめて、わざとらしくないだろうか。麗射は謝辞を探すがうまい言葉が見つからずに沈黙する。こんな時には公子の身についたさりげない所作がうらやましい。
 よそからの客人が珍しいのか、いつの間にか広間には村人が三三五五に集まってきて二人を取り囲んで見つめていた。
「皆さんは玉を堀りに行ったことはありますか?」
 麗射の問いに、腕組みをした村長が首を振った。
「あれは堅気の人間がする仕事ではない。掘ったからと言って、すぐに金になる石が採れるとは限らないし、おまけに貴石堀りを生業にしようと思えば、組合の元締めに相当な金子を払うか、数年のただ働きを契約して奴隷のような扱いを受けながら働くかのどちらかだ。望んでなる若者はいない」
「美術工芸学院でもたまに貴石を掘りに来ていたようですが」
 老人は鼻で笑い飛ばすと、肩をすくめた。
「ああ、話には聞いたことがある。芸術家のお坊ちゃんたちが、七色洞で石を集めていると。でも、実際は金にもならないくず石が捨ててある場所から石を拾っているだけの事なんだ。元締めたちもさすがにそんなくず石は御目こぼしだ」
 艱難辛苦の果てに貴石の採掘をし、自分だけの顔料を調合するという冒険的行事と思われていた「顔料実習」が地元の者たちからはあざ笑われていたとは。少なからず衝撃を受けて、麗射は黙り込んでしまった。
「七色洞の近くまで反乱軍が侵攻していると聞きました。やはり掘りに行くのは危険でしょうか?」
 清那の問いに、玄葉は腕組みをして顔を傾げた。
「噂だが、七色洞周辺で若い者のかどわかしが起こっているようだ。反乱軍の奴らは捕まえた若者どもを洗脳し、兵士に仕立て上げているらしい。反乱軍には氷炎という口の立つ扇動者がいるからな」
「氷炎ですって」
 麗射が会話に飛び込む。
「今も彼が反乱軍を率いているんですか」
「以前はそうだったが、今は違うらしい」
 沈黙を保っていた麗射の突然の食いつきに老人は目を丸くする。
「今は斬常(ざんじょう)とやら言う男が頭のようだ」
「そういえば盗賊上がりのならず者、ってレドウィンが言っていたな――。学者肌の氷炎とうまくやっていけてるのだろうか」
 麗射の独り言に、老人がぎろりと視線を向ける。
「ならず者――か。確かに斬常は出自もわからぬ男だが、金髪碧眼の美丈夫で、おまけに頭も切れる。部下たちからは天から煉州の希望を託された『希託者(きたくしゃ)』としてあがめられているらしい。彼自身も前王朝の末裔を略奪に近い方法で(めと)ってからは、自らを正当な煉州の後継者だと主張しているようだ」
「前王朝?」
 麗射の脳裏に走耳の姿がよぎる。
「興味がおありかな」老人は茶碗の水をすすると話し始めた。
「良政をひき長く続いた前王朝だったが、さすがに末期には腐敗が横行し政治は乱れた。そのため民意は離れ、それに乗じた今の煉州王家が王権を奪い取ったのだ。しかし、民衆の期待に反し彼らは権力を握ると税を引き上げ、放蕩三昧を始めた。今の煉州王家は二代目だが、現王は特にその傾向がひどく、困窮した民衆は反乱軍に心を寄せつつある」
「やはり他州の歴史など面白くもない話だったかな」
 老人が黙りこくってしまった麗射を覗き込む。
「い、いえ。興味深く聞かせていただきました。実は前王朝の末裔という男を知っているので」
 ほう、と老人は眉を吊り上げた。
「前王朝の末裔たちはひどい狩りにあってな、今はほとんど生き残っていないはずだ。他でもない我が村の民も、もとはと言えば王家と同じ民族であったがその血筋が災いして今ではこんな寒村に閉じ込められている」
 走耳は多くを語らなかったが、気配を消し四六時中耳目をそばだてているような彼の生き方の裏にはどんな辛い経験が潜んでいたのであろう。麗射の脳裏にはいつも冷笑を浮かべて、物事を斜めに見ている走耳の姿が浮かんでいた。
 そういえば、ジェズムの隊商から姿を消した彼はどうしたのだろう。
 もしかして煉州に戻ったとか――。
「今も反乱軍の本拠地は久光山にあるんでしょうか」
「ああ。しかしお主、えらく反乱軍の動向を気になさるな」
「あ、いえ……」
 麗射にとっては師と仰ぐ氷炎の状況を知りたいだけなのだが、人によって反乱軍、王権派に分かれる微妙な話題な話題である。これで凱斗(がいと)の館で気まずくなったことを思い出し、麗射は慌てて口を閉じた。
「体に染み入る温かい食事、ごちそうになりました」
 口元に絹の布をそっと当て、清那が頭を下げる。
「しかしお前さん、従者にしては立ち居振る舞いが洗練されているな」
 清那を見て、老人が目を細めた。
「彼は美術工芸学院の講師なのです、俺の従者ではありません」
 麗射の言葉に老人はうなずいたが、額に皺を寄せて忠告した。
「気をつけなさい、反乱軍は若い男たちを拉致して仲間に加えているらしいぞ。おまけにならず者の集まりだ、娘ばかりではなくきれいな少年も狙われることが多い」
「それはまずい、さっさと引き返そう」
 麗射の血相が変わる。群衆の中でも清那の美貌は花が開いたように目立つ。
 しかし清那は顔色一つ変えずに首を横に振った。
「七色洞にはそんなに長居するわけではありません、玉の欠片を拾ったらすぐ帰ってきますから心配なさらずに。この麗射は稀代の天才なのです、新たな色彩を手に入れたらどんな芸術を花開かせてくれるか、私は今から楽しみで仕方ありません」
「おい、それは買いかぶりすぎだ」
 清那の言葉に、傍らの麗射は慌ててかぶりを振った。
「おお、食後の芋づる茶ができたようだ、飲みなさい」
 ふたりは村の若者から独特の香りの立ち上る湯のみを渡された。
「この茶には滋養があってな、ここらの者は農繁期には一日中飲んでおる」
 村人たちにも芋づる茶は配られており、夜が更けるまで麗射と村人たちは和気あいあいと語らった。皆純朴な人々で、麗射の話す波州の海辺の暮らしなどに目を輝かせた。酒は出なかったが、芋づる茶を酌み交わすのがしきたりらしく、二人は芋づる茶を勧められるままに何杯も干した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み