第65話 天地争

文字数 3,366文字

「これは知っているな」
 斬常の合図で兵士が二人の前のテーブルに盤を広げた。
天地争(てんちそう)……」
 清那のつぶやきに、にやりと笑みを浮かべて斬常は頷くと円筒を一つ清那の方に押しやった。
「祖父君の一派はこの天地争を軍学の鍛錬に使うと聞いた。確かに駒の自由度があり、いろいろな戦術を試すことができる。駒の位置で陣地が変わり、状況によって駒の能力も変わる。一つとして正解のない、研ぎ澄まされた知性を必要とする玩具だ」
 斬常は円筒のふたを開け、ざらりと動物の骨と玉で作られた駒を出す。駒はつややかに光り、盤の上に散らばった。
 天地争は、「天統」「地統」に分かれて駒を取り合い、最終的に相手の「天統」または「地統」の駒を取った方が勝ちとなる。並べるところから手合わせが始まり、駒が次に着地できる範囲に相手の駒が入った場合、相手の駒をとることができる。単純だが、駒の動きがそれぞれ違っており、敵陣では相手の駒より自分の駒が強くなければ相手の駒を奪取できず、相手の駒を取った場合に自分の駒の能力が変わる事もあり、遊ぶにはなかなか複雑な思考を必要とした。
「さあ、お手並みを拝見といこう、公子」
 天と書かれた駒を手に取ると、斬常は軽く放り上げるとそのまま掌で受けて盤に伏せた。「さあ、選びたまえ」
 相手の言うなりになるのは清那の本意ではないが、これは本性のわからぬ反乱軍の長がどれほどの力量の持ち主か推し量るまたとない機会であった。しかし、同時に自分の能力だけではなく内面までさらけ出す可能性もある、諸刃の剣でもある。
「表」
 絞り出すような声で清那が答える。
 斬常の手が離れると、盤上には青い玉の駒が「天」と書かれた面を上にして横たわっていた。
「なかなかよい目をしておられる。公子が天統(てんとう)だ」
 上機嫌でそう言うと、斬常は「地」と書かれた駒を盤の端の方に置くと、その周りに「龍」「船」を配置した。天地争は負けた者から布陣を始めるのが決まりとなっている。
 目で促されて清那も駒の入った入れ物のふたを取る。一番手前の列の中央に「天」と書かれた駒を置き、「船」と「龍」を斜め前に配置した。
「公子は王道を望まれるか」
 薄笑いを浮かべながら斬常は次に「将」と「士」の駒を「龍」「船」の前に置いた。清那もそれに続く。
 この「天地争」という遊びは起源がわからないほど昔から伝えられている。細部に違いはあるが、ほぼ同じ駒と遊び方が三州のすべてに伝わっていることから、古代からの三州のつながりを示す証拠として挙げられることもあるほどだ。
 ふたりが置いた5枚の駒「天または地」「龍」「船」「将」「士」は玉で作られており、玉符(ぎょくふ)と呼ばれている。この5枚をつないだところが自陣となる。敵陣では相手の駒と自分の駒が相対した時、敵の駒を取れるのは自分の駒が強い時にのみに限られる。自陣でも敵陣でもない場所と、両陣が重なった部分は中立であり、ここでは駒の強さは関係せず射程に入れた駒が、相手の駒を取ることができた。
 駒の強さは「天または地」「龍」「船」「将」「士」「砂人」の順に強く、駒はそれぞれ動く範囲や枚数も異なっている。このほかに随時投入できる時駒(ときごま)と呼ばれる「導師(どうし)」「風」「岩」があり、これもそれぞれ独特の働きを持っている。「岩」は相手の攻撃を一回のみ封じ、「風」は影響範囲に相手の「天」「地」の駒が入っていない時に限られるが、正面にある相手の駒3枚を3列下げることができる。それに伴って後ろの駒も下がらざる負えないのだが、下がった駒たちはマスが無い場合には駒は盤上から一旦除けて、5手後から使用できる決まりであった。「岩」と「風」はそれぞれ一回しか効力を発揮できず、効力を使った後は盤上から去る。それに比べ「導師」は投入後ずっと使える駒で、「導師」は砂人と同じ強さしかないが、駒を取ることでその力を得る「憑依(ひょうい)」という使い方ができた。憑依すると3駒四方、2手だけ相手のいないマスに限り自由に動けるという特例があった。
 斬常の攻めは怒涛のように早く、時々清那の予想を超えた手を打ってくる。
 清那は頭のすべてを盤上に集中する。周りの音が徐々に消えていき、清那の頭の中で盤の上の駒の形が消え、ぼわりと浮かぶ霧の集まったような球形に形を変えた。強い駒は大きな赤い色、弱い駒は薄い色、危機的な駒は青く染まっている。相手の手によって頭の中の霧玉たちはまるで生きているかのように次々と動き、清那に対局の大勢を教えた。
 彼は鋭い斬常の手をかわし、最善手を針に糸を通すような正確さで見抜き、指していく。
 攻め入っていた斬常の陣はじわじわと清那に押されていった。
 もう少し陣を広げ、風駒で風穴を開ければ、そこから突破口ができるはず。相手の駒はこれを防ぐことができない。いくつかの攻め方からまず一つの可能性を導き出し、清那の口元がかすかにほころんだ。
 その時。
 斬常が主戦場から離れた自陣で導師駒を投入した。
 導師駒は憑依と言って(ほふ)った駒を上に乗せ、その力を得ることができるが、それまでは動かしにくく弱い駒である。清那の駒を屠るのはどう考えても無理で、その間に清那の攻めで斬常の地統を取る方が先だと思われた。清那の頭はここで相手が導師を投入しても戦況に変化はないと告げていた。
 それから数手ずつ、清那の優勢がほぼ決まりかけたと思われたころ。
「憑依」
 口元ににやりと笑いを浮かべた斬常が導師駒を動かす。
「あ……っ」
 清那が思わず息を飲む。
 導師駒が動きその背中に乗せたのは、他でもない斬常自身の駒「龍」であった。「龍」が消えれば、玉駒の残りは4枚。自陣が大幅に縮小する捨て身の一手。
 清那の顔が蒼白となる。
 確かに自分の駒が進路上にあってどうしても邪魔な時に、自分の駒がその駒の上に着地する時のみの特例として「自捨(じしゃ)」として盤外に捨てることが認められていたが、軍略の鍛錬として天地争を使う清那の祖父は自軍を見捨てる悪手として嫌っていた。
「自分の駒を犠牲にする、こんな使い方――」
「禁じられてはおらぬはずだ」
 清那の目には、斬常が先ほどまでの緩慢な数手で巧妙に開けた脇道から、龍の力を得た導師駒が疾風のごとく清那の天統を奪う局面がはっきり見えていた。清那の駒が救援に向かっても、彼の龍の駒は導師駒の攻めに間に合わない。
 清那はそれでも何か駒を動かそうと手を出す。しかしその手は盤上を弱弱しく漂うのみだった。
「戦はきれいごとではない」
 勝利を確信したのか、斬常は腕組みをして椅子の背もたれに体を預けた。
「味方を犠牲にして勝ちを得るのも、また正義なのだ」
 負けを認めるように、清那の手がゆっくりと盤から下がる。
 身体をのけぞらして高らかに斬常が笑った。しかし、急に真顔に戻ると斬常は盤の向こうから清那の目をじっと見据えて行った。
「公子、戦いを受けて立ったのならそれなりの覚悟をしておろう。敗者は勝者のものだ。わかっているな」
 斬常はゆっくりと椅子から立ち上がると、板に目を落としたまま顔を上げない清那の方に近づく。清那の後ろに立った兵士達が、清那が暴れないように手と肩を掴み自由を奪った。
 斬常はうなだれた清那の顎を左手でつかむと、捻るようにして自分の方を向かせる。清那は唇を結び、勝者の勝ち誇った顔を睨みつける。清那の刺すような視線を見て、斬常の顔に満足そうな笑みが浮かんだ。
「闘気を帯びた、なんと美しい瞳だ。万の宝玉もその瞳の前では色あせるだろう。細月のような形の良い眉に、銀嶺の山々のようにすっきりと高い鼻。そして、ザクロのような赤い唇」
 清那の美しさを賛美する態度とは裏腹に、顎を掴んだ手に徐々に力が入る。清那の顔が苦痛にゆがみ、うっすらと瞳が潤む。
「ふふ、そなたは天下を統べる私を寿(ことほ)ぎ天帝から施された美果か」
 値踏みするようにしばらく清那を眺めていたが、斬常はゆっくりと顎から手を離した。
「しかしまだ、味わうには早すぎよう」
 歓待せよ。とだけ告げて斬常は、兵士に清那を連れて行かせた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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