第10話 赤茄子

文字数 4,136文字

 畑づくりは、まずは畝を作ることから始まった。耕佳の指導で赤茄子(トマト)用の高い畝が作られていく。耕佳の指導はその軟弱そうな外見とは裏腹で結構きびしく、妥協を許さない。
「みずみずしい赤茄子だが、実は水の少ないところでいじめて作ると甘さが増す」
 うまく作れば、菓子のように甘い。と、彼はうっとりとした目で熱く語った。いつもくぐもった低い声でぼそぼそと話す耕佳が、まるで別人のように生き生きとしている。
「日に当たって赤く光る丸い実はまるで赤い宝石のようで、かぶりつけば酸味のある甘い汁があふれ出す、とりわけ皮の裏が甘いんだ」
「そいつは楽しみだ」
 耕佳の言葉に幻風が細い目をますます細くする。
「耕佳の実家は叡州(えいしゅう)の外れの結構大きな農家なんだ。美術家になりたいと家を飛び出して美術工芸院を何度も受けたが、結局受からなくてね。酒におぼれて暴れて人を傷つけてしまい牢に入れられたらしい。相手が悪いことにオアシスの有力者の息子でね、通常の3倍の刑を言い渡されたってわけだ」
 走耳が麗射に耳打ちした。
 ああ、だからなのか。麗射は、耕佳が最初に学院を聖地と呼んだことを思い出した。同じ道を嘱望し、そして潰えている仲間だったのだ。
 麗射は耕佳に呼びかけた。
「お前の畝づくりには美学を感じるよ」
 耕佳がはっと顔を上げる。
「うまい野菜を作るのもまた芸術だよな、耕佳」
 麗射の言葉に耕佳は大きくうなずいて叫び返す。
「絵を描いたり土をこねたりするばかりが芸術ではない。何かに一心不乱に打ち込むとき、この労働すらも芸術になるんだ」
「美は、それを作り出す過程も含めて美だ」
 泥だらけの手を天に突き上げて、麗射が大声で答える。
「臨んだ結果が得られなくても、美しいものを目指し昇天する道のりこそが、芸術なのだっ」
 お互いに芸術に関する会話など久しぶりなのであろう。
 畝を越えて二人はしばらく興奮して吠え続けた。
「あいつら、このくそ暑いのに何を叫んでいるんだ」走耳が顔をしかめる。
「すでにわしらの理解は超えておるな」
 走耳と幻風は首をかしげながら顔を見合わせた。
 数日かけて着々と畝が出来上がっていく。それとともに作業中の笑い声も多くなってきた。牢の中でどんよりと陰っていた彼らの顔に生気が戻ってきた。
「ここが収穫できたら、俺たちもうまいもんを食えるようになる。それまで頑張るぞ」
 麗射の言葉に皆が顔をほころばせた。
 だが、食物が増えるという言葉に乗り麗射達に賛同するものもいたが、大半は雷蛇の顔をうかがって遠目で見ているだけだった。
 ある日、労務の帰り際に耕佳が満面の笑みを浮かべて麗射達を呼び寄せた。そしてこっそりと手に握りしめたものを見せる。
「約束通り、看守の奴がくれたんだ」
 慎重に広げられた左手には、洗われた白い種が十粒くっついていた。
「赤茄子の種だ」
 そう言うと耕佳は赤茄子の種を至極大切そうに水に浸した布切れの上に置いた。よく見ると彼の左足のズボンのすそが不自然に短い。種の布団にするため供したのであろう。
 種はあまりにも小さくて、麗射達の気持ちを不安にさせたが、湿り気を絶やさずに五日ほどすると細くて白い根を出した。
「これを地面に植え付ける」
「じかに植えて大丈夫なのか?」
 あまりに繊細な根に麗射が訪ねる。
「ここいらで採れるオアシス種は強いから大丈夫だ」
 翌日ナツメヤシの労務が終わってから、耕佳は大切に持ってきた種を取り出した。出来上がった畝もこころなしか赤茄子の種の到着を喜んでいるような気がする。
「お、いよいよか」
 最初の労務の日にちぢれ毛の警吏の暴行を止めてくれた金髪の若い警吏が種を覗き込んだ。何人かの獄吏達は畑のことを気にかけてくれていたが、特にこの男は朗らかで優しく、麗射達に細やかな気遣いをしてくれていた。地位も獄吏のなかでは少し上らしく、仲間が指示を仰ぎに来ることもしばしばだった。
 彼は金髪碧眼という外観から一目で煉州(れんしゅう)の出身と見て取れる。オアシスには様々な出自の囚人がやってくる。ほとんどは共通語を話すが、中には強い方言やその国のみ通じる言葉を使うものもいるため、獄吏達はオアシス外の様々な場所からも集められており、さまざまな外見をしていた。
 出自はその人物の髪と目の色をみればだいたいのところがわかる。煉州は山がちで他州との行き来がほとんどないため、波打った金髪と碧眼、白い肌とくればほぼ煉州人と考えて間違いはない。山がちで狩猟で生計を立てる人々が多い煉州は、文化的に進んでいるとはいいがたいがそれだけに素朴で心の熱いものが多い。
 それと反対に、古くから文化の中心を自認する叡州(えいしゅう)は誇り高い気質の人間が多い。他の二つの州に挟まれ人の行き来が激しく人種の混ざりが多いためか、その外見的特徴をなかなか一言では表現できない。肌は煉州人に近く白から肌色系だが、髪は明るい茶色から金色に近いものまで様々で、中でも叡州の北の外れの草原地帯に暮らす遊牧民は銀の髪を持つことで知られている。そして目の色はこれもまた多様で黒や茶色は当たり前として、中には緑や紫の者もいた。
 麗射の出身地の波州(はしゅう)は、黒から濃い茶色の髪で、髪と同じような色の目が多い。海に面する地域が多く古くから漁業が栄えたところであり、いかにも海の民というような褐色の肌をしている者が多い。自然に翻弄されることの多かった海辺の州だけあって助け合いを旨とする、豪放磊落な気風にあふれている。さかのぼれば海流によってたどり着いた遠い国の子孫が築いた国だが、砂漠と山に遮られて周囲の州との交易が成り立ちにくく、現在のところ文化という面では煉州、叡州の後塵を拝していた。



 獄吏の顔色をうかがってか、不思議と表立った雷蛇たちの妨害もなく計画は順調に進んでいた。
 赤茄子を植えている間、麗射は耕佳に相談しながら自分で作った小さな畑に何かを一生懸命植えている。
「それは何だ、麗射」
 植えているものが一見雑草のような草であることに気付き、赤茄子目当てで麗射を手伝うようになった男が怪訝そうに尋ねた。
「これは採色できる花だ。さすが銀嶺の雫のおひざ元だ、雑草にもいろいろな種類がある」
 どこからか集めて来たのか、つぼみのついた草花を麗射はせっせと植えていた。
「ここに赤を集めて、そして円形にうす紫を配する」
 ぶつぶつとつぶやきながら作業を進める麗射に、新しく麗射側に加わった男が怪訝そうに尋ねた。
「これは食えるのか?」
「いいや、これで腹は膨れないよ」麗射は大きく首を横に振った。「花が咲いたらきれいなだけだ」
「それじゃあ、意味がないじゃないか」男は肩をすくめる。
「でも、色は心を満たしてくれる」麗射はにこやかに微笑んだ。
「見て美しいだけではない。このぼろきれのような着物を染めてみたら気分も変わるし、牢の壁に色を付けるだけでも華やぐ」
「また壁に何か塗る気か? お前さんそれでしょっ引かれたのに、懲りてないのう」
 幻風の茶々に笑い声が上がる。
「確かに人生は食う事だけじゃない。常に心の中に美を持たねば」耕佳が声を上げた。「美さえあれば、牢獄も王侯の住処と化す――」
 訳が分からないという風に顔をしかめる男に走耳が苦笑して耳打ちした。
「あいつらは俺たちとは頭の回転軸が違うんだ、気にするな」
 走耳の言葉に朗らかな笑いが巻き上がる。耕作に従事するとき、皆の顔には生気が蘇っていた。
 種もまき、後は適度な湿り気を与えて天帝に生育を祈るだけ、麗射達の心は踊っていた。
 その時。
「ああ、なんだがフラフラするなあ」
 大きな影が畝を踏みつけながら横切った。ふんわりと盛り上がった種の褥にがっぽりと大きな穴がいくつも開けられていく。
「何をする、雷蛇」
 そのあとから雷蛇の配下の囚人たちが鼻歌を歌いながら続く。彼らはせっかく丹精込めて作り上げた畑を容赦なく蹴散らしながら歩いていく。麗射が吟味して配置した花々も無残に土の中にめり込んだ。
 奴らは待っていたのだ、この機会を。心が期待に膨らんだ最高潮の時を。
 麗射達が耕した畝は、跡形もなく踏み固められていく。
「やめろ」飛び掛かった麗射は、顔から畝に叩きつけられた。
「ははは、楽しいな。物をぶっ壊すというのは。久しぶりの快感だぜ」
 咆哮をあげる雷蛇。耕佳は畝の上で奇声を上げて駆けまわる手下たちに体当たりしたが、すぐにぼろ雑巾のようになって地上にのびてしまった。
 雷蛇に向かおうとした走耳の肩を、幻風が引き止めた。
「やめろ、走耳。今度は奴もお前さんのことを警戒している、前回みたいにはうまく行かん。下手をすると報復で殺されるぞ」
「だけど――」
「お前さん、自分の信条を忘れていないか?」
 幻風の言葉に走耳ははっと息を飲み、唇をかみしめた。
「どこに敵がいるかわからんぞ。走耳、油断するな」
「何をしている」
 畑での乱闘に、雷蛇に関することには首を突っ込みたがらない獄吏もさすがに駆け寄ってきて雷蛇を止めた。
 その時にはほぼ畝も壊れていたので、雷蛇もにやにや笑いながら獄吏にしたがう。
 麗射達は呆然として平地に戻った畝を眺めた。赤茄子の種を植えたところは踏み荒らされて影も形もなくなっており、麗射の草花も引きちぎられたり抜かれたりして無残な姿をさらしていた。
「収穫物を食べれば、雷蛇も心を開くかと思っていたのに」
 泥をはたきながらぽつりと麗射がつぶやく。最初あの透き通った赤茶色の瞳を見た時に、麗射はこの男をどこか本物のワルではないと感じたのだ。それはこんなひどい仕打ちを受けた今もなぜかその思いは変わっていない。
「おそらく、雷蛇は俺たちが収穫を得ようものなら自分の求心力がさがると危惧したのだろう。ここは自分の王国だと勘違いしているからな」
 悔しそうに走耳がつぶやく。
「甘かったな。作らせておいて上前をはねるのかと思っていた」
 その日の晩、麗射達は誰一人として口をきかなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み