第41話 予言
文字数 2,168文字
「何を言っているんだ、夕陽さん」
「雨だ。大雨だ。砂漠に濁流が押し寄せる。皆飲み込まれて、溺れて死ぬ。止めろ、誰か止めてくれ、もう誰も死ぬな」
麗射の肩を掴み、前後に大きく揺らす。
「落ち着いて、落ち着いてくれ夕陽さん」
麗射が叫ぶも相手の耳には届いていないようだ。ひょろりとしたその体躯のどこからそんな力が出て来るのか、万力に掴まれたごとく抗う事もできずに麗射の視界は嵐の中の小舟のように揺れた。
やがて、大きく痙攣して背中をそらせると、夕陽は昏倒した。
「夕陽さん」
助け起こしながら、麗射の脳裏にはレドウィンから聞いた彼の母親の特殊能力が蘇った。
砂漠に雨が降れば。
水は保水能力の低い砂漠の表面を流れ、濁流となって押し寄せる。通常は常に流れる枯れ河にそって流れるが、数年に一度起こる雨量の多い時には、枯れ河からあふれ動物や旅慣れた隊商すら犠牲になることも少なくなかった。
「玲斗が死ぬかもしれない」
嫌な奴だが、みすみす見捨てるわけにはいかない。麗射は夕陽をベッドに寝かせると、足を引きずりながら玲斗を探し始めた。
玲斗は仲間たちと食堂にたむろしていた。
「やっぱり煉州の七色洞で採れる紅石 や青瑠璃石 は一級品だからな」
「紙に乗せると滑らかに広がって、おまけに見る方向で光沢を変えますからね。このオアシスでは玉石の粉は希少品ですが、さすがに産地でしたらよりどりみどり、沢山の玉石を手に入れることも可能でしょう」
お追従を並べる声高なしゃべりが食堂の外まで聞こえてくる。奴らと絡むとろくなことが無いのがわかっている麗射は思わず足を止めた。まるで危険を知らせるかのように顎がずきずきと痛む。しかし、ここで止まるわけにはいかない。息を吸い込むと麗射は食堂の中に一歩を踏み出した。
玲斗達は麗射の姿を見ると皆急におし黙って、睨みつけた。憎悪の視線を一手に受けて、麗射の顔面はちりちりとあぶられるような感覚に襲われた。彼はもつれそうな足を無理に踏み出し、玲斗の真ん前に立った。
「なにしにきた、焼刻奴」
先に口を開いたのは玲斗だった。
「お前みたいな下層の民に関わるとろくなことが無い。さっさとどこかに行ってしまえ」
麗射がそこから立ち去ろうとはしないのを見て、玲斗の取り巻きが立ち上がった。慌てて麗射は手のひらを相手に向けて戦意のないことを表した。
「違う、今日は争おうと思ったんじゃない。豪雨が来るんだ、だから砂漠に行くのは危険だと伝えに来た」
「お前は天帝の使いか? こんなに晴れた日が続いているのに豪雨が来るなんてどうやってわかったんだ」
玲斗の取り巻きが一斉に笑った。憎悪を纏 った薄笑いを浮かべた玲斗は、麗射の鼻先まで顔を近づけてにらみつけると、いきなり胸倉をつかんだ。
「お前はねたましいんだろう、俺が極上の画材を手に入れるのが。そんな画材を使われたらお前の絵など足元に及ばないほどの出来になるだろうからな」
「違う、七色洞に向かうまでの道中が危ないと言っているんだ。砂漠の雨は突然で、溺れ死ぬこともある。旅慣れた隊商ならいざ知らず、豪雨が行き過ぎるまで旅立ちを遅らせるか、出立を取りやめてくれないか」
「ふうん、じゃあ豪雨はいつ来るんだ?」
「そんなに先ではないと思うが、わからない」
蛇のような目に射すくめられて、麗射は思わずうつむいた。
「冗談もほどほどにしろ」顔をよせて玲斗がすごむ。「これ以上戯言をぬかすなら、今度は腕をへし折る――」
「ゆ、夕陽さんが言っているんだ」
玲斗が息を飲むのが分かった。きっと夕陽の弱みを握るため、配下に調査させて天変地異を予見する母親の異能を知っているのだろう。動揺を隠しきれない様子で玲斗は胸倉をつかんでいた手を離した。
しかし、一瞬の逡巡を振り払うように彼は首を振って言った。
「夕陽の野郎、さては私が奴の事を知ってるとわかっていて陥れようとしているな」
他人を陥れてきた玲斗は、人の善意を信じるということができないらしい。
「そんなことはない、夕陽さんは心のきれいな人だ。あんたを助けたいんだよ」
まなじりを決して叫ぶ麗射の声も玲斗の心には届かない。
「俺は夕陽さんのその心を無駄にしたくないだけなんだ」
「はん、お前ら私が顔料を手に入れるのを阻止しようとしているな。その手に乗るものか。麗射、夕陽に伝えておけ。来季の覇者は私だとな」
玲斗は唾を吐き捨てると食堂を出ていこうとした。
「待て。砂漠を横断中に大雨がきたら死んでしまう」
「ばかばかしい、奴の母親が妖異であったとしても、夕陽がその能力を受け継いでいる証拠はどこにもない」
「違っていたら、違っていたでいいじゃないか。もし、本当であった場合――」
麗射は玲斗の腕をつかんで叫んだ。
「汚い手で玲斗様を触るんじゃない」
手下の中でも凶暴な安理が麗射の顔をいきなり殴りつけた。麗射は吹っ飛び、食堂の椅子の中に倒れ込む。
「待て――」
顎に激痛が走る。息も絶え絶えに呼びかけるも、おぞましい悪態が返ってきただけであった。
「さっさと出立しようぜ。またどんな横やりが入るかわからないからな」
高笑いしながら玲斗達は食堂を出て行った。
「雨だ。大雨だ。砂漠に濁流が押し寄せる。皆飲み込まれて、溺れて死ぬ。止めろ、誰か止めてくれ、もう誰も死ぬな」
麗射の肩を掴み、前後に大きく揺らす。
「落ち着いて、落ち着いてくれ夕陽さん」
麗射が叫ぶも相手の耳には届いていないようだ。ひょろりとしたその体躯のどこからそんな力が出て来るのか、万力に掴まれたごとく抗う事もできずに麗射の視界は嵐の中の小舟のように揺れた。
やがて、大きく痙攣して背中をそらせると、夕陽は昏倒した。
「夕陽さん」
助け起こしながら、麗射の脳裏にはレドウィンから聞いた彼の母親の特殊能力が蘇った。
砂漠に雨が降れば。
水は保水能力の低い砂漠の表面を流れ、濁流となって押し寄せる。通常は常に流れる枯れ河にそって流れるが、数年に一度起こる雨量の多い時には、枯れ河からあふれ動物や旅慣れた隊商すら犠牲になることも少なくなかった。
「玲斗が死ぬかもしれない」
嫌な奴だが、みすみす見捨てるわけにはいかない。麗射は夕陽をベッドに寝かせると、足を引きずりながら玲斗を探し始めた。
玲斗は仲間たちと食堂にたむろしていた。
「やっぱり煉州の七色洞で採れる
「紙に乗せると滑らかに広がって、おまけに見る方向で光沢を変えますからね。このオアシスでは玉石の粉は希少品ですが、さすがに産地でしたらよりどりみどり、沢山の玉石を手に入れることも可能でしょう」
お追従を並べる声高なしゃべりが食堂の外まで聞こえてくる。奴らと絡むとろくなことが無いのがわかっている麗射は思わず足を止めた。まるで危険を知らせるかのように顎がずきずきと痛む。しかし、ここで止まるわけにはいかない。息を吸い込むと麗射は食堂の中に一歩を踏み出した。
玲斗達は麗射の姿を見ると皆急におし黙って、睨みつけた。憎悪の視線を一手に受けて、麗射の顔面はちりちりとあぶられるような感覚に襲われた。彼はもつれそうな足を無理に踏み出し、玲斗の真ん前に立った。
「なにしにきた、焼刻奴」
先に口を開いたのは玲斗だった。
「お前みたいな下層の民に関わるとろくなことが無い。さっさとどこかに行ってしまえ」
麗射がそこから立ち去ろうとはしないのを見て、玲斗の取り巻きが立ち上がった。慌てて麗射は手のひらを相手に向けて戦意のないことを表した。
「違う、今日は争おうと思ったんじゃない。豪雨が来るんだ、だから砂漠に行くのは危険だと伝えに来た」
「お前は天帝の使いか? こんなに晴れた日が続いているのに豪雨が来るなんてどうやってわかったんだ」
玲斗の取り巻きが一斉に笑った。憎悪を
「お前はねたましいんだろう、俺が極上の画材を手に入れるのが。そんな画材を使われたらお前の絵など足元に及ばないほどの出来になるだろうからな」
「違う、七色洞に向かうまでの道中が危ないと言っているんだ。砂漠の雨は突然で、溺れ死ぬこともある。旅慣れた隊商ならいざ知らず、豪雨が行き過ぎるまで旅立ちを遅らせるか、出立を取りやめてくれないか」
「ふうん、じゃあ豪雨はいつ来るんだ?」
「そんなに先ではないと思うが、わからない」
蛇のような目に射すくめられて、麗射は思わずうつむいた。
「冗談もほどほどにしろ」顔をよせて玲斗がすごむ。「これ以上戯言をぬかすなら、今度は腕をへし折る――」
「ゆ、夕陽さんが言っているんだ」
玲斗が息を飲むのが分かった。きっと夕陽の弱みを握るため、配下に調査させて天変地異を予見する母親の異能を知っているのだろう。動揺を隠しきれない様子で玲斗は胸倉をつかんでいた手を離した。
しかし、一瞬の逡巡を振り払うように彼は首を振って言った。
「夕陽の野郎、さては私が奴の事を知ってるとわかっていて陥れようとしているな」
他人を陥れてきた玲斗は、人の善意を信じるということができないらしい。
「そんなことはない、夕陽さんは心のきれいな人だ。あんたを助けたいんだよ」
まなじりを決して叫ぶ麗射の声も玲斗の心には届かない。
「俺は夕陽さんのその心を無駄にしたくないだけなんだ」
「はん、お前ら私が顔料を手に入れるのを阻止しようとしているな。その手に乗るものか。麗射、夕陽に伝えておけ。来季の覇者は私だとな」
玲斗は唾を吐き捨てると食堂を出ていこうとした。
「待て。砂漠を横断中に大雨がきたら死んでしまう」
「ばかばかしい、奴の母親が妖異であったとしても、夕陽がその能力を受け継いでいる証拠はどこにもない」
「違っていたら、違っていたでいいじゃないか。もし、本当であった場合――」
麗射は玲斗の腕をつかんで叫んだ。
「汚い手で玲斗様を触るんじゃない」
手下の中でも凶暴な安理が麗射の顔をいきなり殴りつけた。麗射は吹っ飛び、食堂の椅子の中に倒れ込む。
「待て――」
顎に激痛が走る。息も絶え絶えに呼びかけるも、おぞましい悪態が返ってきただけであった。
「さっさと出立しようぜ。またどんな横やりが入るかわからないからな」
高笑いしながら玲斗達は食堂を出て行った。