第52話 悲劇
文字数 2,563文字
○作者より○
今回人が水に流されるシーンがあります。苦手な方は52話を飛ばしてください。
(話の流れ的には飛ばしても特に問題ないと思います)
以下 本文
麗射は船を降りるなり、砂地に大の字になった。両の手は鉛のように重く、感覚を失っている。麗射が天を仰いで大きく息をしている間に、皆は杭を引き抜いてまた最初に麗射が出た上流地点に打ちなおす。
「次は俺だ」
美蓮が待ってましたとばかりに腕まくりをして出かけて行った。麗射より時間はかかったが、美蓮は2人ほど連れて戻ってきた。
「あ、あと2人だ」
削られてますます小さくなった洲には安里と玲斗が残っている。
美蓮は立ち上がろうとするが、体力を使い果たしたのか再び砂の上に崩れ落ちてしまった。
「ちょっと待て美蓮。今度は俺の番だぞ」
麗射は美蓮が今まで乗っていた3人乗りの船に手をかける。
麗射も疲労困憊なのは誰の目にも明らかだった。しかし、今この濁流を漕ぎ渡れるのは海で鍛え抜かれた彼しかいない。
「無理するな、だめだと思ったら帰ってこい。奴らは自己責任だ。いいか、自分を第一に考えるんだぞ」
レドウィンは麗射の肩に手をかけて耳元でつぶやいた。
麗射は再び濁流に漕ぎ出していった。水かさはさらに増して、先ほどよりも大きな石が押し流させてくる。すでに洲は小舟がやっと着けるぐらいの面積しか残されていなかった。
洲に小舟を付けると、不安定な中で何とか安理と玲斗が乗り込む。杭に結ばれた縄を解き、今度は船の前方に作られている突起に結びつける。
「早く行け、州が流れるのは時間の問題だ」
安理が金切り声を上げる。
「今度は向こう岸から引っ張ってもらう」
麗射が手を振ると、岸の方から了解とばかりに歓声があがった。
船は三人を乗せて岸に向かった。ところが、上流から突進してきた小型の岩が勢いよく船に当たり、綱が結んである船の突起に岩がぶつかった。突起が大破し、綱もろとも船から離れる。寄る辺を失った船は、船首を下流に向けどんどん押し流された。麗射だけの時とは違い、他に二人載せていると体重移動もままならない。船は時折ぐるぐると回転しながらなすすべもなく川下に運ばれていく。
「どうにかしろ、この下手くそ」
最後尾の安理が半身を乗り出して金切り声を上げた。その反動でまた船がぐらりと揺れる。
「座っていろ、転覆するぞ」
水しぶきで目を半眼にしながら麗射が制した。
何か引っかかれる場所。
麗射の目にわりと大きな洲が飛び込んだ、あそこに船を着ければ、船はこのまま流されずに済むかもしれない。しかしその前に大きい岩がある。
麗射は水と戦いながら船を洲に近づけていく。
大きくひと掻きしようとして櫂を水に突き立てようとした時、櫂が水面下の岩にぶち当たった。ぐらりと船が大きく揺れ、櫂を持つ手が急に軽くなる。水から引き上げた櫂は右側の先端が折れていた。
「気を付けろ、この阿呆」
安理の罵声が飛ぶ。
だが、罵倒を聞いている余裕はなかった。目の前に大きな岩が突き出ている。
「協力してくれ、身体を俺と同じ向きに傾けろ」
反抗している余裕がないことは玲斗達にも一目瞭然だったのであろう、彼らは無言で麗射に従った。
「次は右、右手で水を掻いてくれ」
濁流に翻弄されながらも小舟は微妙に角度を変え、岩をすり抜ける。
「もうすぐだ」
だが、洲の直前で彼らの目の前に立ちはだかったのは大きな岩だった。この岩のおかげで水流が弱まり洲が残っていたのだろうが、直進すれば洲に行きつく前に船が大破してしまう。
「体を右によせろ」
船は大きく右に傾き、軌道が微妙に変わる。しかし、岩から完全に逃れることはできず、船尾がぶつかり船には大きな亀裂が走った。
「安理っ」
船尾に乗っていた安理がぶつかった反動で水に投げ出される。安理の叫びが濁流に吸い込まれ、船が傾ぎ大きく回転した。
「やめろ」
飛び込もうとした玲斗の襟首を無我夢中で麗射がつかんだ。船は亀裂を広げながらもかろうじて船の体を保ったまま洲に叩きつけられる。
玲斗と麗射は船の残骸と共に、洲の上に打ち上げられた。
「あ、安理……」
四つん這いになった玲斗が、肩で息をしながら濁流を見回すが、すでに逆巻く水流の中、安理の姿はなかった。すぐに飛び込もうとした玲斗の腰に麗射が飛びついて止める。
「離せっ」
「だめだ」
暴れる玲斗の身体は、背後から抱き着いた麗射によって洲の上に繋ぎ止められ、しばらくの時間が経過した。
ごうごうと音を立てて水は勢いよく洲の横を通り過ぎていく。もう飛び込んだとしても手遅れだと悟った玲斗は、砂の飢えに四つん這いになったまま動きを止めた。体が小刻みに震えている。麗射は身体からそっと手を離した。
「お前、なぜ止めたっ」
まなじりを赤く染めた玲斗が、いきなり振り向くと麗射の胸倉をつかみ拳で殴り倒した。倒れた麗射をまた引きずるように立たせて殴りつける。
「なぜ俺を止めたんだっ」
麗射は抵抗することなく、殴られるままになっている。
正直、あの瞬間のことはよく覚えていない。しけの海に投げ出された人間を助けるかどうかは本能に任せた一瞬の判断だ。麗射の郷里ではそれはすべて救助者の判断に任されている。清那の時は、助けられると思った。しかし、安理の時はどのように思考したのかも覚えていない、玲斗を行かせてはならないと思っただけだ。
「お前、俺たちに恨みがあるからわざと船を壊して、助けようとした俺を止めたな」
理不尽な叫びを続けながら数回殴ると、そのまま玲斗は洲の上に膝をついた。
「我が従者の中でも、あいつは誰よりも忠実な奴だった。勇敢で、士の中の士だった」
洲を叩きながら、玲斗は号泣した。
「おおい、麗射――」
岸辺で仲間たちが大きく手を振っているのが見える。
最初の洲よりもずいぶん岸に近づいた。あと岸まではおよそ70尋 ぐらいであろうか。
だが、麗射達のおかれた状況は決して安堵できるものではなかった。先ほどよりも川岸に近づいており、洲はある程度の広さを持っている。だが、それでも刻々と砂が削られており、この避難場所も水没するのは時間の問題だった。
今回人が水に流されるシーンがあります。苦手な方は52話を飛ばしてください。
(話の流れ的には飛ばしても特に問題ないと思います)
以下 本文
麗射は船を降りるなり、砂地に大の字になった。両の手は鉛のように重く、感覚を失っている。麗射が天を仰いで大きく息をしている間に、皆は杭を引き抜いてまた最初に麗射が出た上流地点に打ちなおす。
「次は俺だ」
美蓮が待ってましたとばかりに腕まくりをして出かけて行った。麗射より時間はかかったが、美蓮は2人ほど連れて戻ってきた。
「あ、あと2人だ」
削られてますます小さくなった洲には安里と玲斗が残っている。
美蓮は立ち上がろうとするが、体力を使い果たしたのか再び砂の上に崩れ落ちてしまった。
「ちょっと待て美蓮。今度は俺の番だぞ」
麗射は美蓮が今まで乗っていた3人乗りの船に手をかける。
麗射も疲労困憊なのは誰の目にも明らかだった。しかし、今この濁流を漕ぎ渡れるのは海で鍛え抜かれた彼しかいない。
「無理するな、だめだと思ったら帰ってこい。奴らは自己責任だ。いいか、自分を第一に考えるんだぞ」
レドウィンは麗射の肩に手をかけて耳元でつぶやいた。
麗射は再び濁流に漕ぎ出していった。水かさはさらに増して、先ほどよりも大きな石が押し流させてくる。すでに洲は小舟がやっと着けるぐらいの面積しか残されていなかった。
洲に小舟を付けると、不安定な中で何とか安理と玲斗が乗り込む。杭に結ばれた縄を解き、今度は船の前方に作られている突起に結びつける。
「早く行け、州が流れるのは時間の問題だ」
安理が金切り声を上げる。
「今度は向こう岸から引っ張ってもらう」
麗射が手を振ると、岸の方から了解とばかりに歓声があがった。
船は三人を乗せて岸に向かった。ところが、上流から突進してきた小型の岩が勢いよく船に当たり、綱が結んである船の突起に岩がぶつかった。突起が大破し、綱もろとも船から離れる。寄る辺を失った船は、船首を下流に向けどんどん押し流された。麗射だけの時とは違い、他に二人載せていると体重移動もままならない。船は時折ぐるぐると回転しながらなすすべもなく川下に運ばれていく。
「どうにかしろ、この下手くそ」
最後尾の安理が半身を乗り出して金切り声を上げた。その反動でまた船がぐらりと揺れる。
「座っていろ、転覆するぞ」
水しぶきで目を半眼にしながら麗射が制した。
何か引っかかれる場所。
麗射の目にわりと大きな洲が飛び込んだ、あそこに船を着ければ、船はこのまま流されずに済むかもしれない。しかしその前に大きい岩がある。
麗射は水と戦いながら船を洲に近づけていく。
大きくひと掻きしようとして櫂を水に突き立てようとした時、櫂が水面下の岩にぶち当たった。ぐらりと船が大きく揺れ、櫂を持つ手が急に軽くなる。水から引き上げた櫂は右側の先端が折れていた。
「気を付けろ、この阿呆」
安理の罵声が飛ぶ。
だが、罵倒を聞いている余裕はなかった。目の前に大きな岩が突き出ている。
「協力してくれ、身体を俺と同じ向きに傾けろ」
反抗している余裕がないことは玲斗達にも一目瞭然だったのであろう、彼らは無言で麗射に従った。
「次は右、右手で水を掻いてくれ」
濁流に翻弄されながらも小舟は微妙に角度を変え、岩をすり抜ける。
「もうすぐだ」
だが、洲の直前で彼らの目の前に立ちはだかったのは大きな岩だった。この岩のおかげで水流が弱まり洲が残っていたのだろうが、直進すれば洲に行きつく前に船が大破してしまう。
「体を右によせろ」
船は大きく右に傾き、軌道が微妙に変わる。しかし、岩から完全に逃れることはできず、船尾がぶつかり船には大きな亀裂が走った。
「安理っ」
船尾に乗っていた安理がぶつかった反動で水に投げ出される。安理の叫びが濁流に吸い込まれ、船が傾ぎ大きく回転した。
「やめろ」
飛び込もうとした玲斗の襟首を無我夢中で麗射がつかんだ。船は亀裂を広げながらもかろうじて船の体を保ったまま洲に叩きつけられる。
玲斗と麗射は船の残骸と共に、洲の上に打ち上げられた。
「あ、安理……」
四つん這いになった玲斗が、肩で息をしながら濁流を見回すが、すでに逆巻く水流の中、安理の姿はなかった。すぐに飛び込もうとした玲斗の腰に麗射が飛びついて止める。
「離せっ」
「だめだ」
暴れる玲斗の身体は、背後から抱き着いた麗射によって洲の上に繋ぎ止められ、しばらくの時間が経過した。
ごうごうと音を立てて水は勢いよく洲の横を通り過ぎていく。もう飛び込んだとしても手遅れだと悟った玲斗は、砂の飢えに四つん這いになったまま動きを止めた。体が小刻みに震えている。麗射は身体からそっと手を離した。
「お前、なぜ止めたっ」
まなじりを赤く染めた玲斗が、いきなり振り向くと麗射の胸倉をつかみ拳で殴り倒した。倒れた麗射をまた引きずるように立たせて殴りつける。
「なぜ俺を止めたんだっ」
麗射は抵抗することなく、殴られるままになっている。
正直、あの瞬間のことはよく覚えていない。しけの海に投げ出された人間を助けるかどうかは本能に任せた一瞬の判断だ。麗射の郷里ではそれはすべて救助者の判断に任されている。清那の時は、助けられると思った。しかし、安理の時はどのように思考したのかも覚えていない、玲斗を行かせてはならないと思っただけだ。
「お前、俺たちに恨みがあるからわざと船を壊して、助けようとした俺を止めたな」
理不尽な叫びを続けながら数回殴ると、そのまま玲斗は洲の上に膝をついた。
「我が従者の中でも、あいつは誰よりも忠実な奴だった。勇敢で、士の中の士だった」
洲を叩きながら、玲斗は号泣した。
「おおい、麗射――」
岸辺で仲間たちが大きく手を振っているのが見える。
最初の洲よりもずいぶん岸に近づいた。あと岸まではおよそ70
だが、麗射達のおかれた状況は決して安堵できるものではなかった。先ほどよりも川岸に近づいており、洲はある程度の広さを持っている。だが、それでも刻々と砂が削られており、この避難場所も水没するのは時間の問題だった。