第9話 提案

文字数 4,592文字

 鳥の声がする。
 麗射は顔に当たる日差しに目をしばたたかせた。
 口はカラカラで、血の匂いが張り付いている。体を動かすと全身に激痛が走り、麗射はうめき声をあげた。他の囚人どもはまだ寝ているのか獄は静かだ。
「おい、食え」
 麗射の目覚めに気が付いた走耳は小声で耳打ちすると、握りこぶしぐらいの鮮やかな赤い実を麗射の手にそっと握らせた。
「ばれないようにな」
 彼が労務中にくすねていた何かの実のようだ。獄に帰るときにも身体検査があるのにどうやって持ち込んだのか。
 促されるままにかたい皮にかぶりつくと、ほのかに甘い汁が噛み口から彼の口になだれ込んできた。さわやかな香りが鼻腔に広がる。白い果肉の中に無数の小さい種があるが、空腹の極致である麗射はものともせずに貪り食った。
「サボテンの実だ。今年は鳥どもが蜜を吸いにたくさん来ていたから、実も多い」
 言葉を発する余裕もなく麗射はただむしゃぶりつく。苦笑した走耳は服の中からもう一つ取り出すとそれも麗射に渡した。
「仕方ない、これも食え」
「いいのか?」
 びっくりしたように走耳を見上げる麗射。
 よく見ると走耳の口元に血がこびりついている。
「どうしたんだ、その血」
 かすれた声で麗射が訪ねると、走耳があきれたようにため息をついて目を閉じた。
「お前さんをかばって、殴られたんだよ」
 横合いから幻風が言った。
「あのままじゃお前さん殺されていたからな。見せたかったよ、走耳の見事なけり技を」
 麗射をかばった時に雷蛇に殴られた走耳は、振り返りざまにふわりと飛び上がると左足で雷蛇の顎を下から蹴り上げた。今まで存在感がなかった青年の突然の一撃は油断していた雷蛇の顎を正確に捕らえ、雷蛇は一瞬硬直した後そのまま白目をむいて仰向けに倒れたのだ、と幻風が可笑しそうに語った。
 走耳の並々ならぬ殺気を感じたのか雷蛇の手下どもは、親分を助け起こすことさえせずに見て見ぬふりを決めこんだらしい。
「しかし不思議な男だな、お前さんは。あの一匹オオカミに本気を出させるなんて」
 聞こえないかのようにそっぽを向いている走耳の方をちらりと見て幻風がつぶやいた。
「さあこれからが大変だぞ、お前さん」
 幻風の言葉に麗射が房の中を見回すと今日はなんだか雰囲気が違っている。雷蛇たちが寝ている場所と、幻風と走耳、他数人が座っている場所が真っ二つに分かれていた。麗射は雷蛇たちの目から隠されるように隅っこに寝かされており、その周りを幻風たちが守るように取り巻いている。
「獄の中では死人が出ても、皆知らんふりさ。むしろ食い扶持が減って取り分が増えるだけ快適になるってわけだ。獄吏達も面倒を嫌って単なる病気か事故で済ましてしまう。口を慎んで命は大切にしないとな、いくつ命があっても足りん」
 幻風が静かな口調で諭す。
「すみません。とばっちりを受けるかもしれないのに、助けてもらって」
 麗射はため息をついた。
「俺、どうしても思ったことを言わずにはおれないんです」
「お前さん、生きてここを出て絵を描きたいんだろう」
 昨日美術工芸院を聖地と呼んだ長髪の男が口をはさんだ。彼も麗射達の輪の中に入っていた。
「夢がある奴はそれを大切にしないと」
「夢――」
 麗射は引き裂かれた推薦状を思い出した。前科者になってしまった自分にとって、夢はすでに彼の手をすり抜けて天の彼方に行ってしまったように思う。
 だけど、一縷の望みくらいは残っているはずだ。
「そうですね。夢は、あきらめたときに潰える」
 かみしめるようにつぶやく麗射。
 しかし、続く麗射の言葉に傍らの三人は顔を見合わせた。
「だから自暴自棄にならずに身近なことから努力していこうと思うんです。まずは牢内の環境を変えないと。とりあえず食い物から」
 横たわりながらも、麗射の目は強い光を放ちながら大きく見開かれている。
「懲りない奴だな」
 走耳のつぶやきをかき消すような勢いで麗射が話し始める。
「なんで、食事の争いが多いか。それは不公平な分け方ってだけじゃない、そもそも全体の量が少ないからだ。食べ物が増えれば雷蛇がたくさん食べても余れば問題はないはず。俺たちだって人間だ、労働はしているんだし食事はもっと増やしてもらっていい」
「でも、どうすればいいんだ? 獄吏どもはそんなに気前がいいわけではない。第一あいつらは俺たちを人と思っていないんだ」
 長髪の男がため息交じりにつぶやく。
「まず人間と思わせるために、こちらから変わる」
「はあ?」
 三人のあきれた目つきなど意に介さず、麗射はにっこりと笑みを浮かべた。



 その日、囚人を農場に連れてきた獄吏たちは数人の囚人の働きが昨日とは打って変わってきびきびと働いているのに目を丸くした。
 いつもは木の上に登ったきりで、時折実のついた房を担ぎ下ろすしかなかった走耳が次々と木を変えて房を担いで帰ってくる。麗射は痛そうに体を引きずっているが、昨日とは打って変わって妙に目をらんらんと輝かせながらと木と木陰を往復している。実の選別や、運搬も数倍の効率になり、この一団がだらだらと一日がかりでやっていた仕事は午前中に終わってしまった。
「どうしたんだ、お前たち」
 今日の麗射達の監視役である、めったに口をきかない白髪交じりの金髪で青い目の初老の獄吏が目を丸くして話しかけてきた。金髪、青目は煉州(れんしゅう)に多い。この牢獄の獄吏にはいろいろな州の出身が採用されているようだが、煉州の獄吏は総じて穏やかな人間が多かった。
 煉州(れんしゅう)は山がちで、農作物を育てるには恵まれた土地ではない。狩猟を日々の生業とする者が多く、文化は進んでいるとはいいがたいが情熱的で、人間が素朴である。
 それに対して、叡州(えいしゅう)人は文化の中心を自認し、誇り高い。波州(はしゅう)人は海に面した土地柄か気は荒いが男気のある者が多い。砂漠を囲む三州はそれぞれ独特の雰囲気を持っている。
 この初老の獄吏は典型的な煉州人で、口数は少ないが囚人の話にもじっくりと耳を傾けてくれることを麗射は仲間から聞いていた。彼はここぞとばかりに答えた。
「一日分の仕事は終えました。昼から、新しく畑を耕そうと思うんです」
「何を企んでいる?」
 思いがけない答えに獄吏はいぶかしげに首を傾げた。
「収穫して自分たちで食えればと思って――」
 麗射は慌てて付け加えた。「ああ、もちろん獄吏の皆様に上納したあとの余りを」
「お前は新入りだから知らないだろうが、この農場でも畑があるんだ。でもここで畑をたがやすのはむつかしくてどうしても作物がうまく育たない。ま、お前らもやる気がないしな」
 初老の獄吏は肩をすくめた。
「そこは俺に任せてください」
 いつの間にか近寄ってきたのは、長髪の男だった。どちらかというとうつむき加減で影の薄い男だが、今日は珍しく胸を張っている。
耕佳(こうか)、お前自信があるのか?」
「俺、実家では農業をしてたんでね。手塩にかければ同じ野菜でもびっくりするほどうまくなるんですよ」
「へえ。で、何が作れるんだね」獄吏は身を乗り出してきた。
「ここらへんで栽培できるのは甘瓜、赤茄子、食用サボテン、薬草。オアシスにはオアシス向きの作物があるんです――」
 ふうん、獄吏がうなずいた。
「それで、たくさん収穫できたら残りをどこかで売っていただけませんか」
 獄吏のまんざらでもない反応をみて、麗射が言った。
「で、その売り上げはどうするんだ」
「獄の施設の修理や食事に使ってもらえばと。もちろん、皆さんのためにも使ってください」
「わしらのため?」
 獄吏がいぶかしげに麗射を睨む。しかし、その青い目の中にちらりと関心がよぎるのを麗射は見逃さなかった。
 街中のがっしりした兵士と違ってここの獄吏はやせている。美術工芸院で雇われている正規軍とは違って賃金は多くはないのであろう。囚人が作物を作って、ただでもらえるのなら歓迎のはずだ。
「だが、わいろは禁止されている」ほころびかけた口を慌てて引き締めて、獄吏は厳然と背筋を伸ばした。
「わいろではありません。正々堂々とした労働とその対価です。上申して、きちんと収入と用途を記載すれば問題ありません」
 ふむ、とうなずいた獄吏だったが、急に顔をしかめた。
「わしらは帳簿なんて付けたことがないが」
「わしに任せておけ。算術の心得がある」幻風が言った。「易には算術が必要じゃからな」
「わかった、ちょっと上に相談してみよう」
 悪い話ではないと思っているのだろう。初老の獄吏は大きくうなずいた。
 具体的な労務の内容は獄吏達に任されているのか、案外すんなりと許可がおり、麗射達は一日分の労働が終わった後の時間を、自分たちの畑を作ることに費やし始めた。
 麗射達が畑を耕し始めると、驚くことに数日後から4~5人の囚人たちが手伝いに来た。すべて雷蛇から離れた場所に席のある、食事に不満がある者たちだった。
 食事の嫌がらせはますます激しくなり、いまや雷蛇の配下の者だけで食事が無くなるようになっていた。
「おい、お前たち食え」
 口に入れるものは水しかないので、獄吏の目を盗んで、走耳がちょろまかしてきたナツメヤシの実を一緒に畑を耕す仲間たちに配る。どこから調達するのか幻風もサトウキビの茎や、小麦で作った堅パンを仲間たちに施した。
 奇妙なことに走耳は自分がとってきた食料は配るものの、たとえ幻風の調達する食物であっても、他の者の手を経た食べ物を口にすることはなかった。
「走耳、食べないのか?」麗射が誘うも、走耳は薄笑いを浮かべて幻風が持ってきた食物を囲む輪には入ってこなかった。
「なんで食わないんだろう」
「さあ、施しは受けないのがあいつの信念なんだろうさ」
 幻風はこともなげに答えると、最後に残った乾パンを一枚自分の口に放り込み、もう一枚を麗射に差し出した。
「しかし、こんなもの一体どこで手に入れるんだ」
「ときどき獄吏どもの手相を見てやるんじゃ、その見返りさ。あいつらも悩み事が多いみたいでな」
 幻風は片頬を上げてにやりと笑った。この老人は時々獄吏によって牢から連れ出される。尋問かと思っていたら、そういう事だったのか。
「そういえば、幻風はえせ占いで人心を惑わした罪で収監されているって走耳から聞いたよ」
「この世の(ことわり)を学びつくしたわしに対して、えせ占いとはご挨拶だな、あの小僧め」
 幻風は口をへの字に曲げた。しかし、その目は悪戯っぽく笑っている。
 幻風と走耳は親子ほど年齢が離れている。だがこの二人は妙に気が合うのか、ともすれば壁に同化してしまう一匹オオカミの走耳と、親しく話せるのはこの幻風だけだった。
「知らんふりをしても話しかけて来やがって、まったく人懐っこいじじいだよ」
 走耳も幻風のしつこさに負けたようで、今ではすっかり心を許している様子だ。二人はよく房の片隅でこそこそと楽し気に話をしていた。
 一見、好々爺に見えるえせ占い師、幻風。しかし、優し気なのにその目は妙に鋭い。麗射はこの博識の老人が爪を隠した鷹のように見えることがあった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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