第82話 決闘
文字数 3,389文字
「これから私の警備は走耳に頼むことにした」
清那に名前を呼ばれた走耳は、面倒くさそうに顔を上げる。
「待ってください。私はとても承服できません。走耳殿は確かに武術に秀でておられますが、武芸を系統立てて習ったことも無いと伺っております。そんな方に果たしてあなた様をお守りできるのでしょうか」
「身は軽いぜ」
呼吸も荒く激高する牙蘭を面白そうに見ながら、走耳は最後の干果 を口に放り込んだ。
「それに、武芸を習った者が一番強いって訳じゃ無かろう」
片眉を上げてチラリと牙蘭を見る走耳。
二人の視線が一瞬ぶつかる。しかし、すぐに相手の熱風を思わせる勢いを躱 すように、目をそらすと走耳は頭の後ろで両手を組み体を反らせた。
「面倒くさいことはごめんだ。別に、俺は降りたっていいんだぜ」
「すまない、走耳。後で牙蘭とは話を付ける。私はお前の身体能力を買っている、是非私の警護をお願いしたい」
清那が慌てて口を挟んだ。
「清那様、あなたの侍衛 であることが私の生きがいで――」
「もう、決めたことだ。牙蘭、お前は今から私の護衛ではない」
すがるような牙蘭の言葉を清那は一蹴した。
「そ、それならば、彼と戦わせていただきたい。もし彼が勝てば、私は彼にあなたの侍衛の誉れを譲りましょう。しかし、もし彼が負けたときには私はあなた様から何があっても離れません」
清那が伺うように走耳を見る。
「別にいいぜ、俺は。勝っても負けても別にどちらでもかまやしないんだ」
清那が卓の上のベルを鳴らすと、給仕が入ってきた。清那が耳元でささやく言葉を聞くと目を丸くしていたが、うなずくと部屋を出て行った。
「大広間に面した中庭にちょうどいい広場がある。そこで半刻後に手合わせだ、いいか」
その場で一度戦ったことのある牙蘭は顎を引き締めてゆっくりとうなずいた。
走耳がいきなり立ち上がり、椅子に座っている牙蘭を後ろから眺める。
「ごっつい腰だなあ。お前」
そう言いつつ、走耳は背もたれの隙間から手を差し込んで薄い上着の上から牙蘭の腰と背骨に手を当てる。
「何だ、お前は」薄い上着を通して伝わるひんやりとした指の感触に、牙蘭は後ろを向いて走耳を睨みつけた。「背後に立つな。こういう場で無ければ、お前の首は吹っ飛んでいるところだ」
「ああ、怖い。ちょっと体の大きさを測っただけじゃ無いか。俺の両手ではお前の腰を抱き抱えるのはむりだな」
走耳は苦笑いした。
眉をひそめながら、牙蘭は走耳に尋ねる。
「走耳、お前の得物は何だ? 俺の武器はお前に合わせよう」
牙蘭の言葉に走耳はキョトンとした顔で肩をすくめる。
「いや、賊に襲われたときに相手が武器を教えてくれる訳じゃあるまい。俺に合わせる必要は無いぜ、武器は何でもありだ。お前の好きなように斧でも槍でも、刀でも好きに使えばいいさ」
牙蘭は重々しくうなずいた。
「わかった。それでは我が家系に代々伝わる長剣。天青切 でお相手する」
「だから、言わなくっていいって」うるさそうに走耳は首を振った。「直前に変えても文句は言わないから安心しろ」
「走耳、天青切は牙蘭の家に伝わる古剣で、お前も敵の剣を砕いたのを見ただろう、どんな固い物でも切れない物が無いんだ。鉄であっても、岩であっても、使い手の腕が良ければ真っ二つ。天下に二つとない、知る人ぞ知る名剣なんだ」
清那の説明にも、走耳は顔色一つ変えない。
「大丈夫か、走耳」
心配そうに麗射が盟友をのぞき込む。
「ああ、勝てないかも知れないが、死にはしないよ。逃げる達人だからな、俺は」
走耳は薄ら笑いを浮かべた。
「幻風 の爺 さんに会うまでは、まだ死ねないんだ。あの爺 に問いただしたい事がたくさんあるんでね」
「誰もお前を殺すとは言っていない。勝負を付けようと言っているだけだ」
牙蘭がむっとした顔で遮った。
「正々堂々と勝負しろ、走耳」
「寝ぼけるな、正々堂々と暗殺する奴はいねえよ」
「何という言い草だ」
牙蘭が鼻を膨らませる、しかし怒りをぶつけるべき相手はすでに姿を消していた。
半刻後。
牙蘭と走耳が武道用の広場に姿を現した。
二人の対決の噂は瞬時に館を駆け巡ったらしい。主だった剴斗 お抱えの武人達が見物に来ており、もちろんひときわ高い観覧席には剴斗の姿も見える。見物人達に飲み物を配りながら、煌露 が心配そうな面持ちで牙蘭を見つめていた。
立会人は騎剛 が務めるらしい。勝負があった時点で二人を分けて決闘を止めるため、彼は鉄の棒を携えていた。
遅れて現れた走耳の姿を見て、牙蘭は不機嫌そうに目を細める。会場にもざわざわとざわめきが走る。
「お前は何も持たないのか、走耳」
走耳は食事をしていた時と同じ、薄い上着にズボンという軽装であった。足には使用人達がよく使う室内用の上履きを履いている。とても戦いの場に赴くような服装では無く、その上ぶらりと体の横に垂らされた両手には何も握られていなかった。
「ああ、系統だった武術の訓練は受けてないのでね」
走耳は肩をすくめて、牙蘭の目の前で種も仕掛けもないとばかりに両手を広げて見せた。
「それでは私も剣は置くことに――」
「その必要はない。その剣が俺の服に一筋でも切れ目を入れたらその時点で俺の負けとしよう。俺も怪我をしたくないのでね」
「わかった、剣は持つ。だが、お前と同じ軽装にしよう」
牙蘭は厚い胴着を脱ぎ、上半身むきだしとなった。
お抱え医師は心持ち走耳の方に寄って準備をしている。牙蘭は真剣を持っているため、武道用広場には担架が用意されていた。
「両者、ご用意を」
騎剛のかけ声がかかる。しん、と会場のざわめきが止んだ。
「開始っ」
牙蘭の神のごとく速い剣さばきを知っている会場の人々は、まるで枯れ木のように細い小柄な青年が命を取り留める事ができるのかどうか、固唾をのんで勝負の行方を見守っている。
牙蘭は両手で剣を持ち、顔の右横に縦に掲げた。
走耳は牙蘭からかなり離れて立っている。たとえ牙蘭が走って切り込んでも、走耳の身軽さであれば、かわすことができるほどに距離は開いていた。
しばらく二人とも微動だにせずに対峙していた。
が、青い剣のわずかな動き、反射光の微妙な変化をすばやく察知した走耳は後ろに跳躍した。
その瞬間、見えぬほどの早さで振り下ろされた剣は走耳のいた空間を斜めに切り裂く。
と、同時に短い指笛が響いた。
低空を滑るように飛んできた矢のようなものが、人々の目をよぎる。
再び剣を振り上げたまま牙蘭の動きが止まった。
「おのれ、謀 ったな」
牙蘭は素早く踏み込んで剣をもう一閃させるが、紙一重で跳躍した走耳がかわす。走耳の降り立った方向に踏み込んで剣を振る牙蘭だが、走耳はなんなく刀をすり抜けた。不思議な事に動けば動くほど、明らかに牙蘭の動きが鈍くなっていく。徐々に走耳を追う足がもつれ、体の向きを制御できなくなる。牙蘭の顔に動揺が走った。
その一瞬の迷いを走耳は逃さなかった。吸い込まれるように相手の懐に入る。そして剣を握る牙蘭の右手を押さえつつ、なめらかな動きでみぞおちに膝をめり込ませた。
地面に青い剣がポトリと落ちる。
と、同時に大きな体が崩れ落ちた。皆、何が起こったのか理解できず。息を止めて見守る。
わずかな静寂の後、騎剛が叫んだ。
「走耳殿の勝ち」
慌てて剴斗の従者たちが牙蘭を担架に乗せる。
「大丈夫か、牙蘭。何をした、走耳」
走り寄った清那が、走耳をにらみつけた。
「ちょっと、キュリルに手伝ってもらっただけさ」
広場に一人立つ走耳は、大きく上下する呼吸を整えておもむろに左手を差し出した。
天空から小さい一羽の鳥が舞い降りる
彼の指先に留まったのは、長くて細いくちばしを血でぬらしたサボテン鳥だった。
「なに、刺し方は訓練している。目印の香りをつけた腰の辺りの背骨の隙間は、少し刺しても足の動きには影響しにくいところだ。くちばしに塗ったしびれ薬の効果が切れたら、体は元通りに動くようになるだろうさ」
「卑怯者っ」
前列の観客の一人が声を上げ、走耳に果物を投げつけた。顔面すれすれで彼はそれを掴むと、挑むようにぐるりと会場を見渡す。怨嗟に満ちた怒号とともに、彼めがけて次々にゴミや石が飛んできた。
「はん、勝ちゃあいいのさ。普通にあいつとやりあっても勝てるわけがねえだろ」
走耳はニヤリと笑うと果物をかじりながら会場を後にした。
清那に名前を呼ばれた走耳は、面倒くさそうに顔を上げる。
「待ってください。私はとても承服できません。走耳殿は確かに武術に秀でておられますが、武芸を系統立てて習ったことも無いと伺っております。そんな方に果たしてあなた様をお守りできるのでしょうか」
「身は軽いぜ」
呼吸も荒く激高する牙蘭を面白そうに見ながら、走耳は最後の
「それに、武芸を習った者が一番強いって訳じゃ無かろう」
片眉を上げてチラリと牙蘭を見る走耳。
二人の視線が一瞬ぶつかる。しかし、すぐに相手の熱風を思わせる勢いを
「面倒くさいことはごめんだ。別に、俺は降りたっていいんだぜ」
「すまない、走耳。後で牙蘭とは話を付ける。私はお前の身体能力を買っている、是非私の警護をお願いしたい」
清那が慌てて口を挟んだ。
「清那様、あなたの
「もう、決めたことだ。牙蘭、お前は今から私の護衛ではない」
すがるような牙蘭の言葉を清那は一蹴した。
「そ、それならば、彼と戦わせていただきたい。もし彼が勝てば、私は彼にあなたの侍衛の誉れを譲りましょう。しかし、もし彼が負けたときには私はあなた様から何があっても離れません」
清那が伺うように走耳を見る。
「別にいいぜ、俺は。勝っても負けても別にどちらでもかまやしないんだ」
清那が卓の上のベルを鳴らすと、給仕が入ってきた。清那が耳元でささやく言葉を聞くと目を丸くしていたが、うなずくと部屋を出て行った。
「大広間に面した中庭にちょうどいい広場がある。そこで半刻後に手合わせだ、いいか」
その場で一度戦ったことのある牙蘭は顎を引き締めてゆっくりとうなずいた。
走耳がいきなり立ち上がり、椅子に座っている牙蘭を後ろから眺める。
「ごっつい腰だなあ。お前」
そう言いつつ、走耳は背もたれの隙間から手を差し込んで薄い上着の上から牙蘭の腰と背骨に手を当てる。
「何だ、お前は」薄い上着を通して伝わるひんやりとした指の感触に、牙蘭は後ろを向いて走耳を睨みつけた。「背後に立つな。こういう場で無ければ、お前の首は吹っ飛んでいるところだ」
「ああ、怖い。ちょっと体の大きさを測っただけじゃ無いか。俺の両手ではお前の腰を抱き抱えるのはむりだな」
走耳は苦笑いした。
眉をひそめながら、牙蘭は走耳に尋ねる。
「走耳、お前の得物は何だ? 俺の武器はお前に合わせよう」
牙蘭の言葉に走耳はキョトンとした顔で肩をすくめる。
「いや、賊に襲われたときに相手が武器を教えてくれる訳じゃあるまい。俺に合わせる必要は無いぜ、武器は何でもありだ。お前の好きなように斧でも槍でも、刀でも好きに使えばいいさ」
牙蘭は重々しくうなずいた。
「わかった。それでは我が家系に代々伝わる長剣。
「だから、言わなくっていいって」うるさそうに走耳は首を振った。「直前に変えても文句は言わないから安心しろ」
「走耳、天青切は牙蘭の家に伝わる古剣で、お前も敵の剣を砕いたのを見ただろう、どんな固い物でも切れない物が無いんだ。鉄であっても、岩であっても、使い手の腕が良ければ真っ二つ。天下に二つとない、知る人ぞ知る名剣なんだ」
清那の説明にも、走耳は顔色一つ変えない。
「大丈夫か、走耳」
心配そうに麗射が盟友をのぞき込む。
「ああ、勝てないかも知れないが、死にはしないよ。逃げる達人だからな、俺は」
走耳は薄ら笑いを浮かべた。
「
「誰もお前を殺すとは言っていない。勝負を付けようと言っているだけだ」
牙蘭がむっとした顔で遮った。
「正々堂々と勝負しろ、走耳」
「寝ぼけるな、正々堂々と暗殺する奴はいねえよ」
「何という言い草だ」
牙蘭が鼻を膨らませる、しかし怒りをぶつけるべき相手はすでに姿を消していた。
半刻後。
牙蘭と走耳が武道用の広場に姿を現した。
二人の対決の噂は瞬時に館を駆け巡ったらしい。主だった
立会人は
遅れて現れた走耳の姿を見て、牙蘭は不機嫌そうに目を細める。会場にもざわざわとざわめきが走る。
「お前は何も持たないのか、走耳」
走耳は食事をしていた時と同じ、薄い上着にズボンという軽装であった。足には使用人達がよく使う室内用の上履きを履いている。とても戦いの場に赴くような服装では無く、その上ぶらりと体の横に垂らされた両手には何も握られていなかった。
「ああ、系統だった武術の訓練は受けてないのでね」
走耳は肩をすくめて、牙蘭の目の前で種も仕掛けもないとばかりに両手を広げて見せた。
「それでは私も剣は置くことに――」
「その必要はない。その剣が俺の服に一筋でも切れ目を入れたらその時点で俺の負けとしよう。俺も怪我をしたくないのでね」
「わかった、剣は持つ。だが、お前と同じ軽装にしよう」
牙蘭は厚い胴着を脱ぎ、上半身むきだしとなった。
お抱え医師は心持ち走耳の方に寄って準備をしている。牙蘭は真剣を持っているため、武道用広場には担架が用意されていた。
「両者、ご用意を」
騎剛のかけ声がかかる。しん、と会場のざわめきが止んだ。
「開始っ」
牙蘭の神のごとく速い剣さばきを知っている会場の人々は、まるで枯れ木のように細い小柄な青年が命を取り留める事ができるのかどうか、固唾をのんで勝負の行方を見守っている。
牙蘭は両手で剣を持ち、顔の右横に縦に掲げた。
走耳は牙蘭からかなり離れて立っている。たとえ牙蘭が走って切り込んでも、走耳の身軽さであれば、かわすことができるほどに距離は開いていた。
しばらく二人とも微動だにせずに対峙していた。
が、青い剣のわずかな動き、反射光の微妙な変化をすばやく察知した走耳は後ろに跳躍した。
その瞬間、見えぬほどの早さで振り下ろされた剣は走耳のいた空間を斜めに切り裂く。
と、同時に短い指笛が響いた。
低空を滑るように飛んできた矢のようなものが、人々の目をよぎる。
再び剣を振り上げたまま牙蘭の動きが止まった。
「おのれ、
牙蘭は素早く踏み込んで剣をもう一閃させるが、紙一重で跳躍した走耳がかわす。走耳の降り立った方向に踏み込んで剣を振る牙蘭だが、走耳はなんなく刀をすり抜けた。不思議な事に動けば動くほど、明らかに牙蘭の動きが鈍くなっていく。徐々に走耳を追う足がもつれ、体の向きを制御できなくなる。牙蘭の顔に動揺が走った。
その一瞬の迷いを走耳は逃さなかった。吸い込まれるように相手の懐に入る。そして剣を握る牙蘭の右手を押さえつつ、なめらかな動きでみぞおちに膝をめり込ませた。
地面に青い剣がポトリと落ちる。
と、同時に大きな体が崩れ落ちた。皆、何が起こったのか理解できず。息を止めて見守る。
わずかな静寂の後、騎剛が叫んだ。
「走耳殿の勝ち」
慌てて剴斗の従者たちが牙蘭を担架に乗せる。
「大丈夫か、牙蘭。何をした、走耳」
走り寄った清那が、走耳をにらみつけた。
「ちょっと、キュリルに手伝ってもらっただけさ」
広場に一人立つ走耳は、大きく上下する呼吸を整えておもむろに左手を差し出した。
天空から小さい一羽の鳥が舞い降りる
彼の指先に留まったのは、長くて細いくちばしを血でぬらしたサボテン鳥だった。
「なに、刺し方は訓練している。目印の香りをつけた腰の辺りの背骨の隙間は、少し刺しても足の動きには影響しにくいところだ。くちばしに塗ったしびれ薬の効果が切れたら、体は元通りに動くようになるだろうさ」
「卑怯者っ」
前列の観客の一人が声を上げ、走耳に果物を投げつけた。顔面すれすれで彼はそれを掴むと、挑むようにぐるりと会場を見渡す。怨嗟に満ちた怒号とともに、彼めがけて次々にゴミや石が飛んできた。
「はん、勝ちゃあいいのさ。普通にあいつとやりあっても勝てるわけがねえだろ」
走耳はニヤリと笑うと果物をかじりながら会場を後にした。