第97話 骨肉
文字数 3,480文字
「父上が、斬常に降った。そして……」
頭を抱えながら机に俯 す玲斗。燭台の光に照らされて壁に映る影は小刻みに揺れている。時折押し殺した嗚咽 が漏れた。
血だらけの使者からもたらされたのは、剴斗からの書状であった。
そこには、淡々と感情の無い文章で戦の経緯が詳細に記されていた。
内乱末期、反乱軍はもうどうしようも無いくらい拡大し、煉州全土を覆い尽くした。王室寄りと思われた権力者や商人達も、反乱軍の長である斬常に早くから水面下の工作を受けていたらしく、情勢が斬常に傾くやいなや、王室軍に反旗を翻した。虐げられてきた前政権の有力者たちもこぞって斬常に肩入れし、王室軍は波のように押し寄せる大軍に、飲み込まれるようにして敗北した。
王城はすでに陥落し最後の抵抗を続けていたのは剴斗の一軍のみであった。もはや彼らの運命は風前の灯火。問答無用とばかりにそのまま蹂躙 されるかと思っていた剴斗であったが、その時斬常が剴斗の城に降伏勧告の使者を送り込んできたのである。
降伏を決断したのは剴斗であった。すべては、大勢が決した今、王室軍の残兵に無駄死にさせたくないとの思いからである。予想に反してすんなりと斬常は降伏を受け入れ、そればかりか剴斗を含め残りの王室軍の命さえ保証したのであった。
今までの情け容赦ない冷酷な反乱軍の長とは思えない所業である。
それはなぜか。
斬常がつけた唯一の注文は、牙蘭 の引き渡しであった。
優秀な将を好む剴斗は、以前霧亜と剣を交えた牙蘭を見て惚れ込んだ様子で、あの将さえ自分に従えばすべてを許すという破格の条件を出したのであった。
結果、牙蘭は斬常の将列に加わり、王室軍残党も斬常の支配下に組み込まれることとなった。
これを許せなかったのは、勇斗である。彼の指揮の下、内乱では幾人もの若い優秀な将が散っていった。彼のみ生き延びるという選択は勇斗には無かった。彼は同じ思いの青年達とともに決起し、斬常の軍に攻め込む。斬常から勇斗の討伐を命じられたのは、剴斗であった。
我は反旗を翻したる勇斗と戦い、その首を落とせり。
剴斗の書状はその一文で終わっていた。
その年の内に反乱軍が煉州を完全に統一した。
斬常は自らを軍神と位置づけ、新たな煉州王として即位した。
新政権の誕生に、国中は熱に浮かされたように快哉を唱える。
そして、年が明け人々が我に返り、相変わらずの貧しさを直視しだした頃、斬常は煉州民の前で高らかに宣言した。
隣国叡州を攻め、煉州を豊かにすると――。
「叡州はどう動くんだ、叡州公の妹が嫁いだ王家が倒されたというのに静観か?」
「煉州が動揺している今こそ叩き時だ、ここで甘い顔を見せれば後顧の憂いとなろう。奴らが来る先に攻め入るのだ」
叡州では交戦論が巻き起こっている。
煉州の内乱はオアシス都市「波間の真珠」にも影を落とした。
物価が上がり、そして頼みの綱である美術品が売れなくなったのである。
美術工芸研鑽学院の食堂は市価と比べ大分安いとはいえ有料になり、目に見えて素材は粗末な物になっていた。しかし、厨房で働く者の意地であろうか、いつもいくつかの料理は安い素材にふんだんに手間を加えて、心楽しい逸品に仕上げてあった。
学生達は画材の高騰に悩んだが、柔軟な頭を持つ芸術家の集まりである彼らは、絢爛豪奢 よりも簡素で切れ味の鋭い作風に転換をしていった。この不穏な時代の新しい芸術が、また開花しようとしていた。
一番打撃を受けたのは、煉州街の玲斗達だった。
親兄弟が亡くなったものも多数いる、反乱軍と戦った者は財産が没収され、オアシスに居る彼らは無一文のまま砂漠に取り残されたも同然であった。幸い、剴斗からの送金は続いていたが、玲斗はその包みを開けようとはせず、そのまま部下やその使用人達で分けるように丸ごと渡していた。命惜しさに敵の軍門に降り、兄を殺した父からの送金など、汚らわしい以外の何物でもなかった。
彼は、自らの持ち物を切り売りして日々をしのいでいる。首に掛かっていた青い石を連ねた三連の首飾りもすでに無い。戦争のおかげでオアシスの物価は上がっている。あの美しい装飾品ですら順正達の7日間の食を支えただけであった。
書状をもらった日から彼の頭の中は混乱したままである。
――あいつらを飢えさせない。
それを心の中で繰り返すことで、ふとした拍子に彼を襲う底なしの悲しみと嫌悪から抜け出すことができた。呆けたように何度も繰りかえす誓いの言葉、それは祈りにも似ていた。
麗射は、まどろみの中で誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。
上半身を起こして辺りを見回す。隣に清那、そして天井近くに寝床をつった走耳が寝ている。
ふと隣の清那の方に視線をやった麗射は、息をのんだ。
朝焼けの光に照らされて、背中まで伸びた銀色の髪がオレンジ色に染まり、その煌めきがこの世の物とは思えないほどの美しさだったからだ。
清那が、北方の民の一族は元服が近づくと皆髪を伸ばすのです、と得意げに説明していたことを思い出す。
初めて出会ってから、約2年。最初は少年になったばかりの子供といった風情であった清那だが、最近は手足も伸び頬の丸みが消え、青年特有のすっきりとしたあごの線になっている。麗射に対してしばしば見せていた甘えの表情もいつの間にか姿を消していた。
少し低くなった声は彼の叡智を際立たせ、今までにはない凄みを醸し出している。しかし清那は、その声を隠すかのように講義以外で口を開くことが少なくなった。
それとともに麗射との会話も減っている。意識的に麗射が見えないかのようにふるまうことも多い。
しかし、麗射はそんな清那を微笑ましく思っていた。
少年から青年になる前の、心の揺れは麗射にも覚えがあるところである。周りの者が皆うるさく思え、自分の居る世界が急に今まで知っていたものから姿を変え、足元がぐらぐらと揺れるような感覚。自分は何者なのだ、どこに行くのか。麗射は常に不安で、そして常にやり場のない怒りを抱えていたような記憶があった。
麗射にはたくさんの家族がいた。だから彼の動揺は、家族の皆が手分けをして吸収してくれた。だが、今の清那には家族がいない。彼の心がどんなに激しく波立とうとも、自分が支えてやろうと麗射は思っている。
清那の顔が揺れ、鳥が羽を広げたかのようにまっすぐな髪が寝台の上に広がる。
無防備にむき出された白いうなじは陶器のように滑らかだ。
「ん……っ」
寝返りを打った拍子に薄い掛け布が身体から滑り落ちた。
朝方は冷える。見とれていた麗射は我に返り、苦笑しながら掛け布団をそっと細い肩の上にかけてやった。
麗射の手に、突然清那の細い指が絡みついた。
「兄上」
長い睫毛 の下から、ほろりと朝露のような涙がこぼれる。
果たして指を外して良いものか、麗射は清那の寝台の上に腰をかけてため息をついた。
再び目から鼻の上を通って、雫が布団の上にぽたりと落ちる
「お許しください、私は……」
眉をひそめ、急に苦悶の表情を浮かべた清那はあえぐように顎を天井に向ける。そして麗射の手を強く握りしめた。
「助けて……」
「清那、大丈夫だ」
思わず麗射は言葉をかける。
はっ、としたような表情で清那は目を開く。麗射と目があい、慌てて絡ませていた指を引っ込めた。
「す、すみません麗射。夢を見ていたもので」
「いやな思い出なのか?」
「いえ」清那が首を振る「義兄の夢です」
乱れた夜着から足がむき出しになっている。麗射の少年時代とは全く違う傷一つ無い膝小僧、そしてまっすぐに伸びた象牙のような足。足先には頬を染めた少女のような形の良い桜色の爪が並んでいる。視線を感じたのか、起き上がった清那は慌てて裾を直した。
朝の光に輝く長い銀の髪をかき上げて、清那は困ったように首をかしげた。
その臈長 けた美しさに麗射は絶句して、呆けたように立ちすくむ。自分の弟のように思ってきた少年は、麗射の知らない別人に生まれ変わりつつあった。
「清那、悩んでいることがあれば、俺でよければ聞いてやる。俺は、お前の悲しげな顔を見るのが辛いんだ」
麗射は右手でそっと清那の頭を自分の胸に引き寄せた。
清那は、あの砂漠行の日のように身体を預ける。
「いいか、俺に言え。どんなに辛いことでも、誰かに聞いてもらえば楽になるんだ」
麗射は清那を抱きしめた。
「あいつ、自分がどれだけ罪作りな事をしているか、解ってないんだよな」
天井から下げた釣り床の中で寝たふりをしながら走耳はつぶやく。
「相変わらずの鈍感野郎め……」
頭を抱えながら机に
血だらけの使者からもたらされたのは、剴斗からの書状であった。
そこには、淡々と感情の無い文章で戦の経緯が詳細に記されていた。
内乱末期、反乱軍はもうどうしようも無いくらい拡大し、煉州全土を覆い尽くした。王室寄りと思われた権力者や商人達も、反乱軍の長である斬常に早くから水面下の工作を受けていたらしく、情勢が斬常に傾くやいなや、王室軍に反旗を翻した。虐げられてきた前政権の有力者たちもこぞって斬常に肩入れし、王室軍は波のように押し寄せる大軍に、飲み込まれるようにして敗北した。
王城はすでに陥落し最後の抵抗を続けていたのは剴斗の一軍のみであった。もはや彼らの運命は風前の灯火。問答無用とばかりにそのまま
降伏を決断したのは剴斗であった。すべては、大勢が決した今、王室軍の残兵に無駄死にさせたくないとの思いからである。予想に反してすんなりと斬常は降伏を受け入れ、そればかりか剴斗を含め残りの王室軍の命さえ保証したのであった。
今までの情け容赦ない冷酷な反乱軍の長とは思えない所業である。
それはなぜか。
斬常がつけた唯一の注文は、
優秀な将を好む剴斗は、以前霧亜と剣を交えた牙蘭を見て惚れ込んだ様子で、あの将さえ自分に従えばすべてを許すという破格の条件を出したのであった。
結果、牙蘭は斬常の将列に加わり、王室軍残党も斬常の支配下に組み込まれることとなった。
これを許せなかったのは、勇斗である。彼の指揮の下、内乱では幾人もの若い優秀な将が散っていった。彼のみ生き延びるという選択は勇斗には無かった。彼は同じ思いの青年達とともに決起し、斬常の軍に攻め込む。斬常から勇斗の討伐を命じられたのは、剴斗であった。
我は反旗を翻したる勇斗と戦い、その首を落とせり。
剴斗の書状はその一文で終わっていた。
その年の内に反乱軍が煉州を完全に統一した。
斬常は自らを軍神と位置づけ、新たな煉州王として即位した。
新政権の誕生に、国中は熱に浮かされたように快哉を唱える。
そして、年が明け人々が我に返り、相変わらずの貧しさを直視しだした頃、斬常は煉州民の前で高らかに宣言した。
隣国叡州を攻め、煉州を豊かにすると――。
「叡州はどう動くんだ、叡州公の妹が嫁いだ王家が倒されたというのに静観か?」
「煉州が動揺している今こそ叩き時だ、ここで甘い顔を見せれば後顧の憂いとなろう。奴らが来る先に攻め入るのだ」
叡州では交戦論が巻き起こっている。
煉州の内乱はオアシス都市「波間の真珠」にも影を落とした。
物価が上がり、そして頼みの綱である美術品が売れなくなったのである。
美術工芸研鑽学院の食堂は市価と比べ大分安いとはいえ有料になり、目に見えて素材は粗末な物になっていた。しかし、厨房で働く者の意地であろうか、いつもいくつかの料理は安い素材にふんだんに手間を加えて、心楽しい逸品に仕上げてあった。
学生達は画材の高騰に悩んだが、柔軟な頭を持つ芸術家の集まりである彼らは、
一番打撃を受けたのは、煉州街の玲斗達だった。
親兄弟が亡くなったものも多数いる、反乱軍と戦った者は財産が没収され、オアシスに居る彼らは無一文のまま砂漠に取り残されたも同然であった。幸い、剴斗からの送金は続いていたが、玲斗はその包みを開けようとはせず、そのまま部下やその使用人達で分けるように丸ごと渡していた。命惜しさに敵の軍門に降り、兄を殺した父からの送金など、汚らわしい以外の何物でもなかった。
彼は、自らの持ち物を切り売りして日々をしのいでいる。首に掛かっていた青い石を連ねた三連の首飾りもすでに無い。戦争のおかげでオアシスの物価は上がっている。あの美しい装飾品ですら順正達の7日間の食を支えただけであった。
書状をもらった日から彼の頭の中は混乱したままである。
――あいつらを飢えさせない。
それを心の中で繰り返すことで、ふとした拍子に彼を襲う底なしの悲しみと嫌悪から抜け出すことができた。呆けたように何度も繰りかえす誓いの言葉、それは祈りにも似ていた。
麗射は、まどろみの中で誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。
上半身を起こして辺りを見回す。隣に清那、そして天井近くに寝床をつった走耳が寝ている。
ふと隣の清那の方に視線をやった麗射は、息をのんだ。
朝焼けの光に照らされて、背中まで伸びた銀色の髪がオレンジ色に染まり、その煌めきがこの世の物とは思えないほどの美しさだったからだ。
清那が、北方の民の一族は元服が近づくと皆髪を伸ばすのです、と得意げに説明していたことを思い出す。
初めて出会ってから、約2年。最初は少年になったばかりの子供といった風情であった清那だが、最近は手足も伸び頬の丸みが消え、青年特有のすっきりとしたあごの線になっている。麗射に対してしばしば見せていた甘えの表情もいつの間にか姿を消していた。
少し低くなった声は彼の叡智を際立たせ、今までにはない凄みを醸し出している。しかし清那は、その声を隠すかのように講義以外で口を開くことが少なくなった。
それとともに麗射との会話も減っている。意識的に麗射が見えないかのようにふるまうことも多い。
しかし、麗射はそんな清那を微笑ましく思っていた。
少年から青年になる前の、心の揺れは麗射にも覚えがあるところである。周りの者が皆うるさく思え、自分の居る世界が急に今まで知っていたものから姿を変え、足元がぐらぐらと揺れるような感覚。自分は何者なのだ、どこに行くのか。麗射は常に不安で、そして常にやり場のない怒りを抱えていたような記憶があった。
麗射にはたくさんの家族がいた。だから彼の動揺は、家族の皆が手分けをして吸収してくれた。だが、今の清那には家族がいない。彼の心がどんなに激しく波立とうとも、自分が支えてやろうと麗射は思っている。
清那の顔が揺れ、鳥が羽を広げたかのようにまっすぐな髪が寝台の上に広がる。
無防備にむき出された白いうなじは陶器のように滑らかだ。
「ん……っ」
寝返りを打った拍子に薄い掛け布が身体から滑り落ちた。
朝方は冷える。見とれていた麗射は我に返り、苦笑しながら掛け布団をそっと細い肩の上にかけてやった。
麗射の手に、突然清那の細い指が絡みついた。
「兄上」
長い
果たして指を外して良いものか、麗射は清那の寝台の上に腰をかけてため息をついた。
再び目から鼻の上を通って、雫が布団の上にぽたりと落ちる
「お許しください、私は……」
眉をひそめ、急に苦悶の表情を浮かべた清那はあえぐように顎を天井に向ける。そして麗射の手を強く握りしめた。
「助けて……」
「清那、大丈夫だ」
思わず麗射は言葉をかける。
はっ、としたような表情で清那は目を開く。麗射と目があい、慌てて絡ませていた指を引っ込めた。
「す、すみません麗射。夢を見ていたもので」
「いやな思い出なのか?」
「いえ」清那が首を振る「義兄の夢です」
乱れた夜着から足がむき出しになっている。麗射の少年時代とは全く違う傷一つ無い膝小僧、そしてまっすぐに伸びた象牙のような足。足先には頬を染めた少女のような形の良い桜色の爪が並んでいる。視線を感じたのか、起き上がった清那は慌てて裾を直した。
朝の光に輝く長い銀の髪をかき上げて、清那は困ったように首をかしげた。
その
「清那、悩んでいることがあれば、俺でよければ聞いてやる。俺は、お前の悲しげな顔を見るのが辛いんだ」
麗射は右手でそっと清那の頭を自分の胸に引き寄せた。
清那は、あの砂漠行の日のように身体を預ける。
「いいか、俺に言え。どんなに辛いことでも、誰かに聞いてもらえば楽になるんだ」
麗射は清那を抱きしめた。
「あいつ、自分がどれだけ罪作りな事をしているか、解ってないんだよな」
天井から下げた釣り床の中で寝たふりをしながら走耳はつぶやく。
「相変わらずの鈍感野郎め……」