第11話 執念
文字数 3,338文字
翌朝、麗射の側について耕作していた男たちはちゃっかり雷蛇の末席に収まっていた。
結局麗射の周りに残ったのは、走耳と耕佳と幻風のみ。
「また、畝を作るよ」
ぽつりと麗射がつぶやいた。
「で、また壊されるのかよ?」
腫れあがった顔を隠すように、うつむいて耕佳が返す。
麗射はうなずいた。「何度でも俺はやる」
「懲りない男だな、お前さん」幻風は苦笑した。
「当り前じゃないか、同じ局面なら後ろを向くより前を向くほうがいいに決まってる」
「そうとも限らんが――」幻風が苦笑した。「まだまだ若いなお主は」
しばらくして幻風は大きなため息とともにつぶやいた。
「仕方ない、乗りかかった船だ。お前さんの情熱に巻き込まれてみるか」
「ま、幸い暇はくさるほどあるしな」走耳が肩をすくめる。
「また、赤茄子の種をくれるように獄吏に頼むよ」
耕佳が涙にぬれた顔をあげた。
しかし、その日に作りなおした畝は雷蛇たちにさっそく潰された。追い打ちをかけて完膚なきまでにたたきのめそうとしているのか。だがそれ以上に麗射達を打ちのめしたのは、昨日までともに赤茄子を作っていた男たちまでもがそれに加担しているということだった。四人は彼らの努力が水泡に帰すのをなすすべもなく呆然と見ていた。
だが、彼らは翌日も畝を作った。そしてその畝も跡形もなく蹂躙 された。
獄吏達は雷蛇の行動を見て見ぬふりで、注意しようともしない。あの金髪の獄吏たちもだ。そんなことが数度も続いた。
「俺たちは負けない、何度潰されようとまた耕し続ける」
獄の中では四人だけが孤立していた。食料も満足に食べない中で、課せられた業務を必死で片付けると畝を作る。
体力の限界か、耕佳が倒れた。
「すまない、役立たずで」
ナツメヤシの木陰に運び込まれた彼は涙ぐみながら何度も麗射達に頭を下げた。畑仕事に慣れた耕佳が抜けた穴は大きかった。やっと作った歪な畝は、出来上がった日にまた雷蛇の手下によって蹴散らされ、代わりに石やナツメヤシの棘が投げ入れられた。
握った手を震わせて無情な所業を見ていた麗射だが、我慢しきれなくなったのか足に繋がれた鎖の音を立てながら制止の手を振り切って雷蛇の手下に向かって行った。しかし多勢に無勢、たちまち囲まれて暴行を受ける。
「お前ら見て見ぬふりか、お前らの仕事は何だ。権力に迎合するだけか、強い者には従うだけか」
殴られながら、麗射が叫んだ。
「お前らのその制服の紋章はなんだ、お飾りか」
口を切って血を吐きながらの叫びは、遠巻きに見ている獄吏達に向けられていた。
「落ち着け麗射、ここは引くんだ」
走耳と幻風に引き離されながらも麗射は叫ぶ。
「お前ら一生そうやって、見て見ぬふりで生きていくのか」
麗射の叫びに、金髪の若い獄吏の表情がこわばった。
「もういい加減にあきらめたらどうだ。雷蛇に詫びを入れてもとに戻るのも一つの手だと思うが」
ナツメヤシの木の下でぐったりと寝込む耕佳、体中に青あざを作ってへたり込む麗射。二人に幻風が語りかける。
「雷蛇はお前さんのことを本当は嫌っていないと思うぞ。お前さんの妙な情熱をあいつは買っている」
そんなことはない、と麗射は力なく首を振った。
「だけど、子分にしてやったとたん大きな口を叩かれたら、奴の面目も丸つぶれだ。好ましいと思っていた相手が自分にたてついて、可愛さ余って憎さ百倍というところだ」
「俺は若い娘っ子とは違うぜ」
吐き捨てるように麗射が言う。
「俺は絶対に屈しない。こうなれば根競べだ、あいつらが飽きるまで作り続ける。お前らも皆遠慮しないで雷蛇の方に行ってくれ」
「おいおい、そんなことは言っていないじゃないか」
幻風があきれたように首を振る。
「お前さん、若すぎて風に向かって行くことしか頭にないが、追い風にして利用するってことも――」
「嫌だ」
「私も嫌だな」ぐったりとしながら、耕佳も麗射に協調する。
「芸術家はどうも情熱的過ぎていかん」
幻風は肩をすくめてため息をついた。
「麗射の執念が勝つか、雷蛇の横暴がねじ伏せるか。まあ、見ものと言えば見ものだな」
半ば他人事のように走耳がつぶやいた。
麗射と耕佳の回復を待って、午後からの畝づくりは再開された。どうせ壊されるのはわかっているが、こうなればとことん根競べだという麗射の意思は固い。今日もギラギラと目を光らせながら、黙々と木切れで土を耕している。
「おい、お前らも懲りない奴だな」
麗射達の前に現れたのはあの金髪の若い獄吏だった。麗射の糾弾以来、金髪の獄吏達は麗射たちを避けていたが、今日の彼はどことなくはにかむような笑顔で、大きな麻袋を抱えてずんずんと四人に近づいてきた。
「皆で金を出しあって買ったんだ、使ってくれ」
押し付けるように渡された麻袋を開けた途端、耕佳が目を丸くした。
「こ、これは、赤茄子の苗じゃないか」
彼は震える手で苗を取り上げて、いとおしそうに小さな葉を撫でた。
「花が咲いている、実がなるぞ。苗の方が育てやすいんだ」
でも、高かったんだろう。耕佳が潤んだ目で金髪の獄吏を見つめる。獄吏達のすり切れた制服から、給料は決して高くないことを彼らは悟っていた。
「この前の麗射の言葉は心に突き刺さったよ。で、いろいろ考えて俺たちも覚悟したんだ。なで斬りの雷蛇を敵に回すって」
「それは、えらく思い切ったもんだな」
雷蛇の過去を知っているのか、幻風がチラリと獄吏を見た。
「俺たちだって血も涙もある人間だ。いやいやながら苦役をしているお前たちを鞭で脅して働かせるのもつらい仕事なんだ。それがどうだ、何が起こったかお前たちのほうから生き生きと仕事をしだしたじゃないか。おまけに自分たちで新しく作物を作りたいなんて前向きなことを言い出して。俺たちにとっても、それはうれしいことだったんだ。ここは牢獄だ、囚人に罰を与えると同時に、正しい道に目覚めて更生してもらう場所だ。なのに、俺たちは暴力に屈して良いことが押しつぶされるのを容認してしまっていた。」
一気にここまで言って、獄吏は心の内を明かし過ぎたとばかりいきなり黙り込んだ。囚人と親しくなってはいけないのが獄吏の掟である。
「お前たちの畑は今後俺たちも守る。なにしろ俺たちの苗だからな。雷蛇にも容赦はしない。その代わり枯らしたら、次の苗の差し入れはないからな」
それだけ言うと、金髪の若い獄吏は麗射達から離れた。
「あいつ、いい奴だな」麗射は顔をほころばせた。
雷蛇の方にも通達が行ったのか、苦々しげに畑に唾を吐くことがあってもその日以降雷蛇が畝を潰すことはなかった。
5日後、麗射が新しく植えた花々が赤茄子に先んじて咲いた。雑草と言えども色彩にこだわりを持つ麗射が吟味して白と青の花を配置しただけあって、青い花を背景にまるで地面に絵筆を走らせたように濃淡をつけた真珠が優美に浮かび上がった。他の部署の獄吏までやってきてその見事さにうなりを上げる。その花絵は麗射が美術工芸院への希望をまだ捨てていないことを語っていた。
獄吏達が目を光らせていたおかげで、その後雷蛇たちの集団と麗射達は小競り合いはあったものの激しい激突は無く日々は過ぎていった。あれ以来、獄吏が食事の時も立ち会うようになり、雷蛇が一人で好きなだけ食べるということができなくなった、そのおかげで雷蛇からの距離というものの意味が薄れ、牢の中の空気は幾分和らいだ。
「また、手伝ってもいいか」
赤茄子のわき芽摘みをしていた麗射の横に、一度は彼を裏切った囚人たちが戻ってきた。その中には以前は来なかった男たちも加わっている。
「別に手伝わなくても、収穫後は皆で分けて食うよ」
無理して雷蛇を裏切る危険を冒す必要はない。邪魔をしないでくれるだけでも十分だと麗射は伝えた。
「いや、手伝いてえんだよ」
「楽しそうなお前たちと畑をやりたいと思ってな」
何をやって牢に入ってきたかはわからないが、彼らの言葉に嘘はなさそうだった。快諾する麗射に、彼らは屈託のない笑顔を返してきた。
結局麗射の周りに残ったのは、走耳と耕佳と幻風のみ。
「また、畝を作るよ」
ぽつりと麗射がつぶやいた。
「で、また壊されるのかよ?」
腫れあがった顔を隠すように、うつむいて耕佳が返す。
麗射はうなずいた。「何度でも俺はやる」
「懲りない男だな、お前さん」幻風は苦笑した。
「当り前じゃないか、同じ局面なら後ろを向くより前を向くほうがいいに決まってる」
「そうとも限らんが――」幻風が苦笑した。「まだまだ若いなお主は」
しばらくして幻風は大きなため息とともにつぶやいた。
「仕方ない、乗りかかった船だ。お前さんの情熱に巻き込まれてみるか」
「ま、幸い暇はくさるほどあるしな」走耳が肩をすくめる。
「また、赤茄子の種をくれるように獄吏に頼むよ」
耕佳が涙にぬれた顔をあげた。
しかし、その日に作りなおした畝は雷蛇たちにさっそく潰された。追い打ちをかけて完膚なきまでにたたきのめそうとしているのか。だがそれ以上に麗射達を打ちのめしたのは、昨日までともに赤茄子を作っていた男たちまでもがそれに加担しているということだった。四人は彼らの努力が水泡に帰すのをなすすべもなく呆然と見ていた。
だが、彼らは翌日も畝を作った。そしてその畝も跡形もなく
獄吏達は雷蛇の行動を見て見ぬふりで、注意しようともしない。あの金髪の獄吏たちもだ。そんなことが数度も続いた。
「俺たちは負けない、何度潰されようとまた耕し続ける」
獄の中では四人だけが孤立していた。食料も満足に食べない中で、課せられた業務を必死で片付けると畝を作る。
体力の限界か、耕佳が倒れた。
「すまない、役立たずで」
ナツメヤシの木陰に運び込まれた彼は涙ぐみながら何度も麗射達に頭を下げた。畑仕事に慣れた耕佳が抜けた穴は大きかった。やっと作った歪な畝は、出来上がった日にまた雷蛇の手下によって蹴散らされ、代わりに石やナツメヤシの棘が投げ入れられた。
握った手を震わせて無情な所業を見ていた麗射だが、我慢しきれなくなったのか足に繋がれた鎖の音を立てながら制止の手を振り切って雷蛇の手下に向かって行った。しかし多勢に無勢、たちまち囲まれて暴行を受ける。
「お前ら見て見ぬふりか、お前らの仕事は何だ。権力に迎合するだけか、強い者には従うだけか」
殴られながら、麗射が叫んだ。
「お前らのその制服の紋章はなんだ、お飾りか」
口を切って血を吐きながらの叫びは、遠巻きに見ている獄吏達に向けられていた。
「落ち着け麗射、ここは引くんだ」
走耳と幻風に引き離されながらも麗射は叫ぶ。
「お前ら一生そうやって、見て見ぬふりで生きていくのか」
麗射の叫びに、金髪の若い獄吏の表情がこわばった。
「もういい加減にあきらめたらどうだ。雷蛇に詫びを入れてもとに戻るのも一つの手だと思うが」
ナツメヤシの木の下でぐったりと寝込む耕佳、体中に青あざを作ってへたり込む麗射。二人に幻風が語りかける。
「雷蛇はお前さんのことを本当は嫌っていないと思うぞ。お前さんの妙な情熱をあいつは買っている」
そんなことはない、と麗射は力なく首を振った。
「だけど、子分にしてやったとたん大きな口を叩かれたら、奴の面目も丸つぶれだ。好ましいと思っていた相手が自分にたてついて、可愛さ余って憎さ百倍というところだ」
「俺は若い娘っ子とは違うぜ」
吐き捨てるように麗射が言う。
「俺は絶対に屈しない。こうなれば根競べだ、あいつらが飽きるまで作り続ける。お前らも皆遠慮しないで雷蛇の方に行ってくれ」
「おいおい、そんなことは言っていないじゃないか」
幻風があきれたように首を振る。
「お前さん、若すぎて風に向かって行くことしか頭にないが、追い風にして利用するってことも――」
「嫌だ」
「私も嫌だな」ぐったりとしながら、耕佳も麗射に協調する。
「芸術家はどうも情熱的過ぎていかん」
幻風は肩をすくめてため息をついた。
「麗射の執念が勝つか、雷蛇の横暴がねじ伏せるか。まあ、見ものと言えば見ものだな」
半ば他人事のように走耳がつぶやいた。
麗射と耕佳の回復を待って、午後からの畝づくりは再開された。どうせ壊されるのはわかっているが、こうなればとことん根競べだという麗射の意思は固い。今日もギラギラと目を光らせながら、黙々と木切れで土を耕している。
「おい、お前らも懲りない奴だな」
麗射達の前に現れたのはあの金髪の若い獄吏だった。麗射の糾弾以来、金髪の獄吏達は麗射たちを避けていたが、今日の彼はどことなくはにかむような笑顔で、大きな麻袋を抱えてずんずんと四人に近づいてきた。
「皆で金を出しあって買ったんだ、使ってくれ」
押し付けるように渡された麻袋を開けた途端、耕佳が目を丸くした。
「こ、これは、赤茄子の苗じゃないか」
彼は震える手で苗を取り上げて、いとおしそうに小さな葉を撫でた。
「花が咲いている、実がなるぞ。苗の方が育てやすいんだ」
でも、高かったんだろう。耕佳が潤んだ目で金髪の獄吏を見つめる。獄吏達のすり切れた制服から、給料は決して高くないことを彼らは悟っていた。
「この前の麗射の言葉は心に突き刺さったよ。で、いろいろ考えて俺たちも覚悟したんだ。なで斬りの雷蛇を敵に回すって」
「それは、えらく思い切ったもんだな」
雷蛇の過去を知っているのか、幻風がチラリと獄吏を見た。
「俺たちだって血も涙もある人間だ。いやいやながら苦役をしているお前たちを鞭で脅して働かせるのもつらい仕事なんだ。それがどうだ、何が起こったかお前たちのほうから生き生きと仕事をしだしたじゃないか。おまけに自分たちで新しく作物を作りたいなんて前向きなことを言い出して。俺たちにとっても、それはうれしいことだったんだ。ここは牢獄だ、囚人に罰を与えると同時に、正しい道に目覚めて更生してもらう場所だ。なのに、俺たちは暴力に屈して良いことが押しつぶされるのを容認してしまっていた。」
一気にここまで言って、獄吏は心の内を明かし過ぎたとばかりいきなり黙り込んだ。囚人と親しくなってはいけないのが獄吏の掟である。
「お前たちの畑は今後俺たちも守る。なにしろ俺たちの苗だからな。雷蛇にも容赦はしない。その代わり枯らしたら、次の苗の差し入れはないからな」
それだけ言うと、金髪の若い獄吏は麗射達から離れた。
「あいつ、いい奴だな」麗射は顔をほころばせた。
雷蛇の方にも通達が行ったのか、苦々しげに畑に唾を吐くことがあってもその日以降雷蛇が畝を潰すことはなかった。
5日後、麗射が新しく植えた花々が赤茄子に先んじて咲いた。雑草と言えども色彩にこだわりを持つ麗射が吟味して白と青の花を配置しただけあって、青い花を背景にまるで地面に絵筆を走らせたように濃淡をつけた真珠が優美に浮かび上がった。他の部署の獄吏までやってきてその見事さにうなりを上げる。その花絵は麗射が美術工芸院への希望をまだ捨てていないことを語っていた。
獄吏達が目を光らせていたおかげで、その後雷蛇たちの集団と麗射達は小競り合いはあったものの激しい激突は無く日々は過ぎていった。あれ以来、獄吏が食事の時も立ち会うようになり、雷蛇が一人で好きなだけ食べるということができなくなった、そのおかげで雷蛇からの距離というものの意味が薄れ、牢の中の空気は幾分和らいだ。
「また、手伝ってもいいか」
赤茄子のわき芽摘みをしていた麗射の横に、一度は彼を裏切った囚人たちが戻ってきた。その中には以前は来なかった男たちも加わっている。
「別に手伝わなくても、収穫後は皆で分けて食うよ」
無理して雷蛇を裏切る危険を冒す必要はない。邪魔をしないでくれるだけでも十分だと麗射は伝えた。
「いや、手伝いてえんだよ」
「楽しそうなお前たちと畑をやりたいと思ってな」
何をやって牢に入ってきたかはわからないが、彼らの言葉に嘘はなさそうだった。快諾する麗射に、彼らは屈託のない笑顔を返してきた。