第105話 青砂漠の戦い(2)
文字数 4,126文字
砂地にできた小高い丘の上。
弓術隊200人は、矢をつがえてオアシス軍の方向を睨んでいる。敵が射程内に入って来たらすぐ矢を放ち、天上から幕を垂らすように寸断無く矢を発射する。
「相手はせいぜい300人だ、8000本も矢を浴びりゃあそれで勝負はつこうってもんさ」
「しかし、どこを見ても毒々しいほどの青だなあ。目にしみるぜ」
射手達からぼやきが漏れる。
「まあ、こっちは太陽に背を向けているし、まぶしくは無いからまだ良かったぜ」
「ま、一刻後にはここいらに大きな針鼠が沢山転がっているだろうよ」
軽口に兵士達は笑い声を上げる。
太陽の光の下、四方は深い青。
前に広がる窪地はいびつな高低差があり、こちらに向かってくる敵の姿は豆粒のように見えたり、見えなかったり。
弓術隊の弓は長い。射程も長く、350尋(約390m)は届く。しかし、まだ敵は射程に入っていなかった。
「いいか、射程に入ったらすぐ撃てとのことだ」
弓術隊の隊長が武奏の言葉を兵士達に再確認する。
その時。
「隊長、あれを」
声に促され、指の示す方向を見た兵士達は息を飲んだ。
真っ青な背景に、赤い鎧を着て赤い駱駝にまたがった敵兵。彼らは窪地から駆け上がり、彼らの目に突き刺さるようにいきなり飛び出してきた。
それは彼らが先ほど予想していたよりもかなり早い速度だった。
「射ろ、射ろっ」
慌てて弓術隊は弓を射る。
つがえては、放ち。そしてすぐさま次の矢を放つ。日頃の成果もあって、彼らの射る速度は速く、2回息をする間に1回は射ることができた。
すぐさま、矢雨がふりそそぐ。200人横並びの射手から次から次へ放たれる弓は、青空に上って、急降下する。すぐに目の前は降り注ぐ茶色の雨で射手すら視界がとれなくなった。
しかし。
「ま、待て。敵が倒れていないぞ」
しばらく矢を放ったところで、弓術隊長が慌てて斉射を止める。
「しまった、目算をあやまったか」
地表を隠すほど付き立った矢の向こう側から、無傷の赤い軍勢が矢の刺さった地面を避けながら駱駝に乗って走ってくる。
自分たちの技術に絶対の自信を持つ射手達に動揺が走った。
「もう一度、標的を確認するぞ」
隊長が手を上げた瞬間。
左方からまっすぐに矢が飛んできて、胸が刺し貫かれた。
言葉を発することも無く、隊長は真後ろに倒れる。
射たのは全身を青く塗って、青い髪をなびかせた痩せこけた老戦士。
乗っている駱駝も青く染まっている。
武奏軍は赤い軍勢に気をとられて、背景に溶け込む青色に塗られた少人数の軍団が窪地の影を利用して側面から近づいてきているのに気がついていなかった。彼らは大きく迂回して煉州軍の横を左右2方向から突いてきたのである。
老戦士は細い肢体のどこからそのような力が、と思うほど弓を引き絞ると次々に矢を放つ。前列の兵士達が次々と倒れ、長弓隊は弓を置き捨てて後方に逃げ始めた。
その代わりに前に出てきたのは槍や刀を手にした兵士達だった。
いきり立った敵の投げた槍が戦士の駱駝を貫く。
跳ね上がった駱駝から、老戦士がもんどり打ってころげ落ちた。腰の剣が砂地に投げ出される。老人の首を狙って兵士達が飛び出した。
「俺がいただきだっ」
一人の兵士が刀を振り上げる。しかし、一本の矢がその男の首を貫いた。
血しぶきを浴びた兵士達の輪が崩れる。老戦士はすかさず身を起こすと倒れた兵士の刀を奪い、そのままの流れで周囲の敵を両断する。
形勢逆転、兵士達は老人に背を向けて逃げ始めた。
左翼の騒ぎに何事かとばかり、煉州軍が浮き足立つ。
「幻風、無理するな。腰を痛めたら色街の娘達に会いに行けないぞ」
青く全身をぬった戦士が弓を次々に打ちながら声をかける。
「はっ、いらぬお節介を」
悔しかったのだろう、幻風はさらに激しい立ち回りで迫り来る兵士を返り討ちにした。
「走耳。お前こそ、早く相手を見つけろ。いい年をして奥手か、お前」
「爺い、大きなお世話だ」
痛いところを突かれて、走耳も顔を紅潮させて怒鳴る。
彼もすばやく駱駝を飛び降りる。駱駝の尻を蹴り自陣に返した後、彼は青い刀を抜いて槍と刀をもった兵士達に切り込んだ。その早さ、その身軽さ、彼の通った後には、まるで土を掘り返したように骸が積み上がる。骨すらもするりと抜ける青い剣の切れ味。返り血を浴びる暇も無く、走耳は疾風の様に走る。
「爺さん、まだ冥府には行かさないぜ。こんな色ぼけ爺い、冥府が迷惑だからな」
深く陣に切り込む幻風を守るように、走耳が併走する。走る二人から逃げるように兵士達は雪崩を打って左方に逃げ始めた。
しかし、彼らに続いて右方からも全身を真っ青に塗った兵士達がなだれ込んできた。
先頭に立つのは、2本の長い三日月刀をもった大男。まるで独楽のように回転しながら、敵をなぎ倒していく。突き出された槍も一瞬で寸断され、刀も砕け散る。男が進む方向で血しぶきと悲鳴があがり、男の周りにはぽっかりと穴が空いた。
その男のむき出しの太い腕には砂漠に現れると言われる、稲妻をまとった伝説の大蛇が彫られている。
「ら、雷蛇だあ」
それに気がついた兵士が、驚愕の表情で叫ぶ。
次の瞬間、開けられた口に刀が入り、口から上が宙に舞った。
雷蛇の名前が聞こえた途端、煉州軍は浮き足だった。
血に染まった顔に無邪気な笑みを浮かべながら、長い三日月のような二本の刀を楽しげに打ち合わす。
「次に冥府に行きたい奴はだれだあ」
雷蛇の周りには、牢獄上がりの乱暴者が武器を手に集まっている。煉州の兵士達は悲鳴を上げながら、我先に背中を向けて逃げ出した。
「雷蛇、離れすぎるな」
背後から勇儀が声をかける。
「必ずお互いに助け合える位置を確保しながら突入するぞ」
雷蛇は大きくうなずいた。この若い牢番は自分を人間として見てくれている。
鬼獣 と言われる男達だが、勇儀の言葉には信があることを知っている。彼に対しては雷蛇も、罪人たちも、まるで飼い慣らされた犬のような忠誠を見せていた。
真正面から突入しているオアシス軍の赤い兵士達は、主に警備兵と事務職で構成されていた。彼らは大きな赤い楯を持ち、風で膨らむと実際より大きく見えるように細工された赤い袋を背中にしょっている。
矢雨が止んだ今、彼らは錯覚を呼び起こすためのかぶり物を脱ぎ捨てた。
「ようし、矢はこれだけあれば十分だ」
その声に、警備兵達は、今度は敵軍めがけて矢を射始めた。さすが腐っても警備兵である、彼らは正確な射法で浮き足立つ敵を仕留めていった。しかし、まだ敵方からも矢が降ってくる。数人の警備兵が落馬し、後方に運ばれていった。
後方の事務職はそれぞれが背負ってきた鏡を取り出し、太陽の光を反射させ射手の目を潰す。
彼らの持つ鏡は千差万別であった。まだ鏡は一般的には珍しい。だが、さすが美術工芸院だけあって、学院内には至る所に様々な鏡があった。彼らは総出で学院内の鏡を外し担いできたのである。
相手から射られる矢が、次第に少なくなってきた。
事務方達は、駱駝を降りて今度は砂地に落ちた矢を拾う。そして前方で矢を射る警備兵達にせっせと届けた。矢に貫かれた煉州軍の兵士達はバタバタと倒れていく。オアシス軍は無尽蔵に近い矢を確保したのに対し、煉州軍の矢はすでに尽きていた。
700人多いという優位は完全に崩された。
煉州軍は総崩れとなり、我先に逃げ始めている。
「後退して見える青に対して、浮き出して見える赤。鮮やかな光の下では、この2色の対比は遠近感を大きく狂わせます。針の穴を通す射手だけに、自分の目を信じて目標を緻密に合わせてしまったのでしょう。相手が逆光で我々の色がはっきり見えなければ、この作戦はうまくいかなかったかもしれません」
清那は傍らの玲斗を振り返った。
「これを思いつかせてくれたのは、あなたの絵です」
困惑して顔をかしげる玲斗。
「卒展2位の絵です。あの絵は赤で描かれたお二人が前に飛び出して見えた。まるで絵から飛び出したように――」
「公子、それより私達はいつ戦場に出してもらえるのですか」
玲斗は清那の言葉を遮ってたずねた。彼の顔には焦りが浮かんでいる。彼の部下も今日の皆の働きを忸怩 として見守っている。
斬常の軍に対して、玲斗達は憎悪を抱いていた。復讐したい、その激しい感情が暴走するのを恐れ、清那は最初は敢えて彼と彼の部下30人を控えにまわしていたのである。
「まあ、そう焦らないで」
清那は微笑む。
「あなたたちの出番はこれからです。あなたたちが協力してくれる事はわれわれにとって相当な戦力です。心より感謝しています、玲斗」
「はっ」
玲斗は膝を突いて頭を垂れた。
「ひけっ、一旦引け」
浮き足だった軍を立て直すために、煉州軍は北側の台地に戻った。ここは最初の陣地よりも狭いが、岩によって風が遮られ砂に埋もれる心配が少なく、砂塵も遮られ幾分過ごしやすい場所であった。
軍勢は当初の半分、500人に減っている。
「武奏様、こちらには矢がありません。一旦叡州の斬常様のところに引き、増援とともに、もう一度計画を練ってはいかがでしょう」
「ええい、うるさい」武奏は、進言した部下を蹴り上げた。
「我々は軍だぞ。あんな素人の寄せ集めに負けて、おめおめ江間に帰れるわけがない。ここで一旦立て直して、決戦だ。数人の強い奴がいるが、そいつらは10人以上で囲んで仕留めろ。こちらの方がまだ多いんだ、普通に戦ったら負ける訳がない」
砂漠の風は兵士達の喉を否応なく痛め、十分な水のない生活は兵士から意欲を奪っている。昼は暑く夜間は寒く、大きな寒暖の差は煉州軍の兵士達からごっそりと体力を奪っていた。
オアシスを攻め落とすには、決着を早くつける必要がある。まずは迎撃軍を潰し、それからオアシスを包囲する。そこまで行けば、斬常殿に援軍を頼んでも恥ずべき事にはならないだろう。
「明日はこちらから攻め込んでやる」
今日は三日月。砂漠に月が沈むのは日が沈んでほどない時間だ。
月の無い砂漠がどれほど暗いか。
暗さは敵の追撃を難しくする。
それは故国を離れ砂漠に橫たわる兵士達に、ひとときの安眠をもたらすことを意味していた。
弓術隊200人は、矢をつがえてオアシス軍の方向を睨んでいる。敵が射程内に入って来たらすぐ矢を放ち、天上から幕を垂らすように寸断無く矢を発射する。
「相手はせいぜい300人だ、8000本も矢を浴びりゃあそれで勝負はつこうってもんさ」
「しかし、どこを見ても毒々しいほどの青だなあ。目にしみるぜ」
射手達からぼやきが漏れる。
「まあ、こっちは太陽に背を向けているし、まぶしくは無いからまだ良かったぜ」
「ま、一刻後にはここいらに大きな針鼠が沢山転がっているだろうよ」
軽口に兵士達は笑い声を上げる。
太陽の光の下、四方は深い青。
前に広がる窪地はいびつな高低差があり、こちらに向かってくる敵の姿は豆粒のように見えたり、見えなかったり。
弓術隊の弓は長い。射程も長く、350尋(約390m)は届く。しかし、まだ敵は射程に入っていなかった。
「いいか、射程に入ったらすぐ撃てとのことだ」
弓術隊の隊長が武奏の言葉を兵士達に再確認する。
その時。
「隊長、あれを」
声に促され、指の示す方向を見た兵士達は息を飲んだ。
真っ青な背景に、赤い鎧を着て赤い駱駝にまたがった敵兵。彼らは窪地から駆け上がり、彼らの目に突き刺さるようにいきなり飛び出してきた。
それは彼らが先ほど予想していたよりもかなり早い速度だった。
「射ろ、射ろっ」
慌てて弓術隊は弓を射る。
つがえては、放ち。そしてすぐさま次の矢を放つ。日頃の成果もあって、彼らの射る速度は速く、2回息をする間に1回は射ることができた。
すぐさま、矢雨がふりそそぐ。200人横並びの射手から次から次へ放たれる弓は、青空に上って、急降下する。すぐに目の前は降り注ぐ茶色の雨で射手すら視界がとれなくなった。
しかし。
「ま、待て。敵が倒れていないぞ」
しばらく矢を放ったところで、弓術隊長が慌てて斉射を止める。
「しまった、目算をあやまったか」
地表を隠すほど付き立った矢の向こう側から、無傷の赤い軍勢が矢の刺さった地面を避けながら駱駝に乗って走ってくる。
自分たちの技術に絶対の自信を持つ射手達に動揺が走った。
「もう一度、標的を確認するぞ」
隊長が手を上げた瞬間。
左方からまっすぐに矢が飛んできて、胸が刺し貫かれた。
言葉を発することも無く、隊長は真後ろに倒れる。
射たのは全身を青く塗って、青い髪をなびかせた痩せこけた老戦士。
乗っている駱駝も青く染まっている。
武奏軍は赤い軍勢に気をとられて、背景に溶け込む青色に塗られた少人数の軍団が窪地の影を利用して側面から近づいてきているのに気がついていなかった。彼らは大きく迂回して煉州軍の横を左右2方向から突いてきたのである。
老戦士は細い肢体のどこからそのような力が、と思うほど弓を引き絞ると次々に矢を放つ。前列の兵士達が次々と倒れ、長弓隊は弓を置き捨てて後方に逃げ始めた。
その代わりに前に出てきたのは槍や刀を手にした兵士達だった。
いきり立った敵の投げた槍が戦士の駱駝を貫く。
跳ね上がった駱駝から、老戦士がもんどり打ってころげ落ちた。腰の剣が砂地に投げ出される。老人の首を狙って兵士達が飛び出した。
「俺がいただきだっ」
一人の兵士が刀を振り上げる。しかし、一本の矢がその男の首を貫いた。
血しぶきを浴びた兵士達の輪が崩れる。老戦士はすかさず身を起こすと倒れた兵士の刀を奪い、そのままの流れで周囲の敵を両断する。
形勢逆転、兵士達は老人に背を向けて逃げ始めた。
左翼の騒ぎに何事かとばかり、煉州軍が浮き足立つ。
「幻風、無理するな。腰を痛めたら色街の娘達に会いに行けないぞ」
青く全身をぬった戦士が弓を次々に打ちながら声をかける。
「はっ、いらぬお節介を」
悔しかったのだろう、幻風はさらに激しい立ち回りで迫り来る兵士を返り討ちにした。
「走耳。お前こそ、早く相手を見つけろ。いい年をして奥手か、お前」
「爺い、大きなお世話だ」
痛いところを突かれて、走耳も顔を紅潮させて怒鳴る。
彼もすばやく駱駝を飛び降りる。駱駝の尻を蹴り自陣に返した後、彼は青い刀を抜いて槍と刀をもった兵士達に切り込んだ。その早さ、その身軽さ、彼の通った後には、まるで土を掘り返したように骸が積み上がる。骨すらもするりと抜ける青い剣の切れ味。返り血を浴びる暇も無く、走耳は疾風の様に走る。
「爺さん、まだ冥府には行かさないぜ。こんな色ぼけ爺い、冥府が迷惑だからな」
深く陣に切り込む幻風を守るように、走耳が併走する。走る二人から逃げるように兵士達は雪崩を打って左方に逃げ始めた。
しかし、彼らに続いて右方からも全身を真っ青に塗った兵士達がなだれ込んできた。
先頭に立つのは、2本の長い三日月刀をもった大男。まるで独楽のように回転しながら、敵をなぎ倒していく。突き出された槍も一瞬で寸断され、刀も砕け散る。男が進む方向で血しぶきと悲鳴があがり、男の周りにはぽっかりと穴が空いた。
その男のむき出しの太い腕には砂漠に現れると言われる、稲妻をまとった伝説の大蛇が彫られている。
「ら、雷蛇だあ」
それに気がついた兵士が、驚愕の表情で叫ぶ。
次の瞬間、開けられた口に刀が入り、口から上が宙に舞った。
雷蛇の名前が聞こえた途端、煉州軍は浮き足だった。
血に染まった顔に無邪気な笑みを浮かべながら、長い三日月のような二本の刀を楽しげに打ち合わす。
「次に冥府に行きたい奴はだれだあ」
雷蛇の周りには、牢獄上がりの乱暴者が武器を手に集まっている。煉州の兵士達は悲鳴を上げながら、我先に背中を向けて逃げ出した。
「雷蛇、離れすぎるな」
背後から勇儀が声をかける。
「必ずお互いに助け合える位置を確保しながら突入するぞ」
雷蛇は大きくうなずいた。この若い牢番は自分を人間として見てくれている。
真正面から突入しているオアシス軍の赤い兵士達は、主に警備兵と事務職で構成されていた。彼らは大きな赤い楯を持ち、風で膨らむと実際より大きく見えるように細工された赤い袋を背中にしょっている。
矢雨が止んだ今、彼らは錯覚を呼び起こすためのかぶり物を脱ぎ捨てた。
「ようし、矢はこれだけあれば十分だ」
その声に、警備兵達は、今度は敵軍めがけて矢を射始めた。さすが腐っても警備兵である、彼らは正確な射法で浮き足立つ敵を仕留めていった。しかし、まだ敵方からも矢が降ってくる。数人の警備兵が落馬し、後方に運ばれていった。
後方の事務職はそれぞれが背負ってきた鏡を取り出し、太陽の光を反射させ射手の目を潰す。
彼らの持つ鏡は千差万別であった。まだ鏡は一般的には珍しい。だが、さすが美術工芸院だけあって、学院内には至る所に様々な鏡があった。彼らは総出で学院内の鏡を外し担いできたのである。
相手から射られる矢が、次第に少なくなってきた。
事務方達は、駱駝を降りて今度は砂地に落ちた矢を拾う。そして前方で矢を射る警備兵達にせっせと届けた。矢に貫かれた煉州軍の兵士達はバタバタと倒れていく。オアシス軍は無尽蔵に近い矢を確保したのに対し、煉州軍の矢はすでに尽きていた。
700人多いという優位は完全に崩された。
煉州軍は総崩れとなり、我先に逃げ始めている。
「後退して見える青に対して、浮き出して見える赤。鮮やかな光の下では、この2色の対比は遠近感を大きく狂わせます。針の穴を通す射手だけに、自分の目を信じて目標を緻密に合わせてしまったのでしょう。相手が逆光で我々の色がはっきり見えなければ、この作戦はうまくいかなかったかもしれません」
清那は傍らの玲斗を振り返った。
「これを思いつかせてくれたのは、あなたの絵です」
困惑して顔をかしげる玲斗。
「卒展2位の絵です。あの絵は赤で描かれたお二人が前に飛び出して見えた。まるで絵から飛び出したように――」
「公子、それより私達はいつ戦場に出してもらえるのですか」
玲斗は清那の言葉を遮ってたずねた。彼の顔には焦りが浮かんでいる。彼の部下も今日の皆の働きを
斬常の軍に対して、玲斗達は憎悪を抱いていた。復讐したい、その激しい感情が暴走するのを恐れ、清那は最初は敢えて彼と彼の部下30人を控えにまわしていたのである。
「まあ、そう焦らないで」
清那は微笑む。
「あなたたちの出番はこれからです。あなたたちが協力してくれる事はわれわれにとって相当な戦力です。心より感謝しています、玲斗」
「はっ」
玲斗は膝を突いて頭を垂れた。
「ひけっ、一旦引け」
浮き足だった軍を立て直すために、煉州軍は北側の台地に戻った。ここは最初の陣地よりも狭いが、岩によって風が遮られ砂に埋もれる心配が少なく、砂塵も遮られ幾分過ごしやすい場所であった。
軍勢は当初の半分、500人に減っている。
「武奏様、こちらには矢がありません。一旦叡州の斬常様のところに引き、増援とともに、もう一度計画を練ってはいかがでしょう」
「ええい、うるさい」武奏は、進言した部下を蹴り上げた。
「我々は軍だぞ。あんな素人の寄せ集めに負けて、おめおめ江間に帰れるわけがない。ここで一旦立て直して、決戦だ。数人の強い奴がいるが、そいつらは10人以上で囲んで仕留めろ。こちらの方がまだ多いんだ、普通に戦ったら負ける訳がない」
砂漠の風は兵士達の喉を否応なく痛め、十分な水のない生活は兵士から意欲を奪っている。昼は暑く夜間は寒く、大きな寒暖の差は煉州軍の兵士達からごっそりと体力を奪っていた。
オアシスを攻め落とすには、決着を早くつける必要がある。まずは迎撃軍を潰し、それからオアシスを包囲する。そこまで行けば、斬常殿に援軍を頼んでも恥ずべき事にはならないだろう。
「明日はこちらから攻め込んでやる」
今日は三日月。砂漠に月が沈むのは日が沈んでほどない時間だ。
月の無い砂漠がどれほど暗いか。
暗さは敵の追撃を難しくする。
それは故国を離れ砂漠に橫たわる兵士達に、ひとときの安眠をもたらすことを意味していた。