第89話 停学
文字数 4,004文字
麗射はまだ半分眠っている美蓮を担いで学生棟の食堂に戻った。ここは講堂に次いで広い場所である。学院生たちの集会などは、儀礼的な場所である壮麗な講堂よりもこちらで行われることのほうが多い。案の定、夜着のまま情報を求めて飛び出してきたのであろう学生達で食堂は一杯になっていた。
「あ、麗射だ」
誰かが二人を見つけて声を上げる。厨房の中では割れた皿を片付けているのかガチャガチャと大きな音がしていた。
「お前達の小屋の火薬が爆発したらしいじゃないか。どうしてくれるんだ」
血相を変えて近づいた青白い顔の青年が麗射の胸ぐらを掴むようにして叫んだ。彼は陶芸科の4回生の螺星 だった。
「精魂込めた卒展作品を粉々にしやがって」
かれの左手には、紐のように細い円柱が何本も絡みながら複雑な形を作っている陶器の作品が握られていた。しかし作品は途中でポッキリと折れており、円柱も無残に壊れている。残りの部分の惨状も推して知るべしであった。
「成形して釉薬をかけて窯で火を入れて寝ずの番。割れてばかりだったけど、何百回目に奇跡的に形を保ったまま焼けたんだよ。これでやっと卒展に間に合ったと思っていたのに、爆発の衝撃で外れた額縁に当たって……」
麗射の襟から滑るように手が離れ、青年は床に泣き崩れた。
「もう卒展に間に合わない。卒業するのとしないのとでは大違いなのに。だが俺には留年する財力はないんだ。だからもう、俺は……」
青年の嗚咽が静まった食堂に響き渡る。
ざわめきがさざ波のように広がり、それは徐々に怨嗟の声となって食堂を満たしていった。
「やってくれたな、災いを呼ぶ男め」
声と共に人混みを押しのけるようにして仲間を引き連れた玲斗が現れた。彼が纏った裾まである絹の夜着は、その光沢を見せつけるように輝いている。煉州軍の武人の中に居るとひ弱に見える彼だが、さすがに剣術をかじっているだけあって学院生の中に入ると均整のとれた筋肉質の身体は威圧感があった。
黙って立ちすくむ麗射の肩を拳で付いて、玲斗は見下すようににらみつけた。
その時。
「おい、お前達」
張り詰めた空気を破るように、数人の講師を連れてあたあたとやってきたのは蛮豊だった。せわしなく振られる右手に数枚の紙切れを握りしめている。それは麗射達が先日書いた誓約書だった。
「おい、お前達。危険な行為を行った場合には停学、もしくは放校と言ったはずだぞ。わかっているだろうな」
麗射の周りには、爆花を企画した面々が人垣から押し出されるようにして集まっていた。
「僕が、僕の管理が悪かったんです」真っ青な火翔がつぶやく。
「だ、誰かに陥れられたんだ。小屋を見張っていた美蓮は、銀老草を盛られて寝ていた」
麗射が叫ぶ。その声に背中の美蓮がゆっくりと目を開ける。充血した丸い目をまん丸に開けて彼は周囲を見回した。
「ど、どうしたんだ」
事態が飲み込めないのか首を振る美蓮、麗射の肩に乗った豊かな巻き毛が揺れる。
「爆発したんだ、俺たちの小屋が」
「馬鹿な、僕は遠めがねで見て――」
「お前は銀老草で眠らされていた」
発明家の額に皺が寄る。うめくように彼は口を開いた。
「あのとき厨房にいた者を全員集めてください、そして誰もオアシスから出さないで」
「なに被害者面してるんだよ。お前らの火の不始末でこうなったのに」
玲斗が吐き捨てるように言う。
「火の気は何ひとつ置かなかった。誰かの陰謀だ」
食堂内は騒然としている。
「爆花に関係した者はしばらく停学だ。授業を受けるのも許さん。麗射、美蓮、火翔、お前らは今から、学院長室に来い」
以上、解散。と蛮豊は身体に似合わぬ甲高い声で叫んだ。
しかし、学院生達は凍り付いた様に動かない。
「お前達も停学になりたいのか。卒業予定者も例外ではないぞ」
蛮豊の怒号で学生達は慌てて食堂から散る。食堂から人影が消えたのを確認した蛮方は憤然と食堂を出て行った。麗射と火翔、そしてふらつきながらも立てるようになった美蓮も院長の後に続いた。
院長室には、学院所属の警備隊の幹部が控えていた。彼らに朝まで事情を聞かれた麗射達は、軽い食事をとることを許された後に今度は爆発地点の検証に立ち会わされた。
一夜開けて。深く射しこんで石で固定していた何十本もの打ち上げ用円筒は、けなげにも倒れずに朝日を受けて長い影を西に伸ばしている。少し離れたところには小さなたき火の痕があった。
「これは……」
警備兵が拾い上げたのは発射筒からはかなり離れた小屋の周りに散乱する焦げた矢だった。
「誰かが火矢を放ったのか」
美蓮は、オアシスの方を見る。
オアシスの周りには高さ5丈(1丈は約3メートル設定)はあろうかという白亜の壁がそびえている。この場所はオアシスより低いため、ここからは白亜の壁以外には、白い球体を掲げた真珠の塔しか見えなかった。
「オアシスからはここに火矢を射るのは無理だ。おそらく放火したものは、筒に火の付いた小枝などを投げ入れて爆花を打ち上げ、最後に距離をとって安全を確保してから火矢を放って小屋を大爆発させたのだろうな」
麗射にそうつぶやくと、美蓮は悔しそうに唇を噛んだ。
200尋(1尋は1.5メートル)は離れているオアシスからここに弓矢を飛ばすのは通常の射手には不可能だ。もちろん、この直径3寸あるかないかの小さい筒に正確に火矢を投げ入れるのはもっと無理である。犯人は夜間、砂漠に出たに違いない。
「僕らはあの時間皆学院内に居ました。これは誰かが故意にやった悪戯です」
警備兵達も否定はせずに、微妙な顔つきで燃え残った矢を見つめている。
夜間オアシスの周囲は定期的に警備兵が確認している。彼らが放火とはっきり肯定しないのは、誰かを夜間オアシスから砂漠に出してしまったという警備の漏れを肯定することになるからであろう。
「一番悪いのは、こんな危ない遊びをやるお前らだ」
警備兵は黒ずんだ矢を足で踏み潰した。
「それは……証拠」
足の下の矢を引っ張ろうとした美蓮は、兵士に足蹴りにされて砂漠を転がった。
「病人に何をする」
火翔が駆け寄って美蓮を抱き起こす。
真っ赤な顔で今にも飛びかからんとする火翔と兵士の間に割って入って麗射は飛び込んだ。
「確かに僕らも不注意でした。でも一番悪いのは火を放った奴らです。そいつらを見つける手がかりは大切にしないと」
「学院の教育は間違っている。芸術さえ追求すれば他のことはどうでもよいと思っているのかも知れないがな、オアシスの治安を守るために夜も昼も俺たちがどんな苦労をしているか考えたことがあるのか? 万が一火を付けた火薬玉をオアシスの中に入れられたらどんなことになるのかわかっているのか。犯人を探すよりも、まずはつけ込まれるようなことをしないことが大切なんだよ」
警備兵の凄まじい剣幕に三人は黙り込んだ。
停学になって数日が経とうとしている。放火の犯人は見つからず、進展を見せない事件に学生達は苛立ち、その苛立ちはおのずと麗射達に向けられていた。
美蓮と麗射、火翔は清那の家に転がり込んでいる。騒動の中心である3人は、学院に居づらいだろうと清那が気を回して、自宅に狭いながらも彼らの居場所を作ってくれたのである。
「美味しいですか?」
美蓮は乱削麺 のどんぶりを抱えたままでうなずいた。波州には食い意地がはってどんぶりから顔が離れなくなった男の昔話があるが、美蓮はその伝説の主人公そのままの姿である。
彼はあれ以来、酸冷麺を食べるのを止めていた。その代わり食べ始めたのがこの乱削麺である。これは練った小麦粉の生地を鉈で薄くそいでゆでたものに、魚醤のスープと柑橘、好みの香草を混ぜて作る。大小様々な麺がスープをまとい、その時どきの香草で風味も変るのどごしの良いさわやかな麺であった。
叡州の海岸寄りの地域で食べられる、清那の得意料理である。
「清那がこんなに料理上手だなんて知らなかった」
透けるように薄いぷるぷるの麺を箸でつまみ上げながら麗射が首をひねる。この美少年は、まだまだ様々な才能をその内に秘めているようであった。
「ところで、先日の弓矢の件ですが」
清那が机の上に、美蓮が身を挺して引きちぎってきた弓矢の尾羽を置いた。
「走耳に調べてもらったらやはり、煉州の東の山地に棲息する鷹のものです」
「やっぱりあいつらが妨害しやがったんだ」
魚醬の匂いをまき散らしながら美蓮が叫ぶ。
「玲斗は元々選挙に出るつもりだったんだ。麗射の評判が落ちれば、相対的に自分たちの評価が上がることを知っていて、こんなことを画策していたに違いない」
「ここではかまいませんが、外で不用意な発言をしてはいけません」
公子は甘い香りのする青い花びらを混ぜた香草茶を口に含みながら美蓮に釘を刺した。
「あの日玲斗は卒展の製作で一日中学院内にいました。夜も、借りている寮の部屋に居たようです。彼が犯人とは限りません。真犯人が選挙戦までに捕まってくれれば良いのですが」
「は?」
麗射が頓狂な声で聞き返す。
「もう、立候補は取り消しだろ。だって俺は停学……」
「停学くらいあなたの見事な犯罪歴のなかでは、面相筆で描いた点のようなものでしょう。誰も気にしてはいませんよ」
すまして公子は青い香草茶の中に檸檬を垂らす。紅茶は紫を経て赤く色を変えた。
「聞いておられないのですか? レドウィンが蛮豊に直談判に行ったことを。彼は遊牧民の出だけあってきわどい交渉のできる男です。学長に悪意による芸術の妨害を受けた者を罰するつもりかと詰め寄ったらしいですよ。立候補は認められました」
「ぼ、僕は、清那講師も一緒に行った、と聞きましたが」
火翔がおずおずと口を挟んだ。「むしろ講師の剣幕に、学院長がたじたじだった、と」
清那が顔を紅潮させて言葉を失う。笑い上戸の美蓮が、飲み下せなくなった麺の汁をリスの頬袋のように溜めて悶絶した。
「あ、麗射だ」
誰かが二人を見つけて声を上げる。厨房の中では割れた皿を片付けているのかガチャガチャと大きな音がしていた。
「お前達の小屋の火薬が爆発したらしいじゃないか。どうしてくれるんだ」
血相を変えて近づいた青白い顔の青年が麗射の胸ぐらを掴むようにして叫んだ。彼は陶芸科の4回生の
「精魂込めた卒展作品を粉々にしやがって」
かれの左手には、紐のように細い円柱が何本も絡みながら複雑な形を作っている陶器の作品が握られていた。しかし作品は途中でポッキリと折れており、円柱も無残に壊れている。残りの部分の惨状も推して知るべしであった。
「成形して釉薬をかけて窯で火を入れて寝ずの番。割れてばかりだったけど、何百回目に奇跡的に形を保ったまま焼けたんだよ。これでやっと卒展に間に合ったと思っていたのに、爆発の衝撃で外れた額縁に当たって……」
麗射の襟から滑るように手が離れ、青年は床に泣き崩れた。
「もう卒展に間に合わない。卒業するのとしないのとでは大違いなのに。だが俺には留年する財力はないんだ。だからもう、俺は……」
青年の嗚咽が静まった食堂に響き渡る。
ざわめきがさざ波のように広がり、それは徐々に怨嗟の声となって食堂を満たしていった。
「やってくれたな、災いを呼ぶ男め」
声と共に人混みを押しのけるようにして仲間を引き連れた玲斗が現れた。彼が纏った裾まである絹の夜着は、その光沢を見せつけるように輝いている。煉州軍の武人の中に居るとひ弱に見える彼だが、さすがに剣術をかじっているだけあって学院生の中に入ると均整のとれた筋肉質の身体は威圧感があった。
黙って立ちすくむ麗射の肩を拳で付いて、玲斗は見下すようににらみつけた。
その時。
「おい、お前達」
張り詰めた空気を破るように、数人の講師を連れてあたあたとやってきたのは蛮豊だった。せわしなく振られる右手に数枚の紙切れを握りしめている。それは麗射達が先日書いた誓約書だった。
「おい、お前達。危険な行為を行った場合には停学、もしくは放校と言ったはずだぞ。わかっているだろうな」
麗射の周りには、爆花を企画した面々が人垣から押し出されるようにして集まっていた。
「僕が、僕の管理が悪かったんです」真っ青な火翔がつぶやく。
「だ、誰かに陥れられたんだ。小屋を見張っていた美蓮は、銀老草を盛られて寝ていた」
麗射が叫ぶ。その声に背中の美蓮がゆっくりと目を開ける。充血した丸い目をまん丸に開けて彼は周囲を見回した。
「ど、どうしたんだ」
事態が飲み込めないのか首を振る美蓮、麗射の肩に乗った豊かな巻き毛が揺れる。
「爆発したんだ、俺たちの小屋が」
「馬鹿な、僕は遠めがねで見て――」
「お前は銀老草で眠らされていた」
発明家の額に皺が寄る。うめくように彼は口を開いた。
「あのとき厨房にいた者を全員集めてください、そして誰もオアシスから出さないで」
「なに被害者面してるんだよ。お前らの火の不始末でこうなったのに」
玲斗が吐き捨てるように言う。
「火の気は何ひとつ置かなかった。誰かの陰謀だ」
食堂内は騒然としている。
「爆花に関係した者はしばらく停学だ。授業を受けるのも許さん。麗射、美蓮、火翔、お前らは今から、学院長室に来い」
以上、解散。と蛮豊は身体に似合わぬ甲高い声で叫んだ。
しかし、学院生達は凍り付いた様に動かない。
「お前達も停学になりたいのか。卒業予定者も例外ではないぞ」
蛮豊の怒号で学生達は慌てて食堂から散る。食堂から人影が消えたのを確認した蛮方は憤然と食堂を出て行った。麗射と火翔、そしてふらつきながらも立てるようになった美蓮も院長の後に続いた。
院長室には、学院所属の警備隊の幹部が控えていた。彼らに朝まで事情を聞かれた麗射達は、軽い食事をとることを許された後に今度は爆発地点の検証に立ち会わされた。
一夜開けて。深く射しこんで石で固定していた何十本もの打ち上げ用円筒は、けなげにも倒れずに朝日を受けて長い影を西に伸ばしている。少し離れたところには小さなたき火の痕があった。
「これは……」
警備兵が拾い上げたのは発射筒からはかなり離れた小屋の周りに散乱する焦げた矢だった。
「誰かが火矢を放ったのか」
美蓮は、オアシスの方を見る。
オアシスの周りには高さ5丈(1丈は約3メートル設定)はあろうかという白亜の壁がそびえている。この場所はオアシスより低いため、ここからは白亜の壁以外には、白い球体を掲げた真珠の塔しか見えなかった。
「オアシスからはここに火矢を射るのは無理だ。おそらく放火したものは、筒に火の付いた小枝などを投げ入れて爆花を打ち上げ、最後に距離をとって安全を確保してから火矢を放って小屋を大爆発させたのだろうな」
麗射にそうつぶやくと、美蓮は悔しそうに唇を噛んだ。
200尋(1尋は1.5メートル)は離れているオアシスからここに弓矢を飛ばすのは通常の射手には不可能だ。もちろん、この直径3寸あるかないかの小さい筒に正確に火矢を投げ入れるのはもっと無理である。犯人は夜間、砂漠に出たに違いない。
「僕らはあの時間皆学院内に居ました。これは誰かが故意にやった悪戯です」
警備兵達も否定はせずに、微妙な顔つきで燃え残った矢を見つめている。
夜間オアシスの周囲は定期的に警備兵が確認している。彼らが放火とはっきり肯定しないのは、誰かを夜間オアシスから砂漠に出してしまったという警備の漏れを肯定することになるからであろう。
「一番悪いのは、こんな危ない遊びをやるお前らだ」
警備兵は黒ずんだ矢を足で踏み潰した。
「それは……証拠」
足の下の矢を引っ張ろうとした美蓮は、兵士に足蹴りにされて砂漠を転がった。
「病人に何をする」
火翔が駆け寄って美蓮を抱き起こす。
真っ赤な顔で今にも飛びかからんとする火翔と兵士の間に割って入って麗射は飛び込んだ。
「確かに僕らも不注意でした。でも一番悪いのは火を放った奴らです。そいつらを見つける手がかりは大切にしないと」
「学院の教育は間違っている。芸術さえ追求すれば他のことはどうでもよいと思っているのかも知れないがな、オアシスの治安を守るために夜も昼も俺たちがどんな苦労をしているか考えたことがあるのか? 万が一火を付けた火薬玉をオアシスの中に入れられたらどんなことになるのかわかっているのか。犯人を探すよりも、まずはつけ込まれるようなことをしないことが大切なんだよ」
警備兵の凄まじい剣幕に三人は黙り込んだ。
停学になって数日が経とうとしている。放火の犯人は見つからず、進展を見せない事件に学生達は苛立ち、その苛立ちはおのずと麗射達に向けられていた。
美蓮と麗射、火翔は清那の家に転がり込んでいる。騒動の中心である3人は、学院に居づらいだろうと清那が気を回して、自宅に狭いながらも彼らの居場所を作ってくれたのである。
「美味しいですか?」
美蓮は
彼はあれ以来、酸冷麺を食べるのを止めていた。その代わり食べ始めたのがこの乱削麺である。これは練った小麦粉の生地を鉈で薄くそいでゆでたものに、魚醤のスープと柑橘、好みの香草を混ぜて作る。大小様々な麺がスープをまとい、その時どきの香草で風味も変るのどごしの良いさわやかな麺であった。
叡州の海岸寄りの地域で食べられる、清那の得意料理である。
「清那がこんなに料理上手だなんて知らなかった」
透けるように薄いぷるぷるの麺を箸でつまみ上げながら麗射が首をひねる。この美少年は、まだまだ様々な才能をその内に秘めているようであった。
「ところで、先日の弓矢の件ですが」
清那が机の上に、美蓮が身を挺して引きちぎってきた弓矢の尾羽を置いた。
「走耳に調べてもらったらやはり、煉州の東の山地に棲息する鷹のものです」
「やっぱりあいつらが妨害しやがったんだ」
魚醬の匂いをまき散らしながら美蓮が叫ぶ。
「玲斗は元々選挙に出るつもりだったんだ。麗射の評判が落ちれば、相対的に自分たちの評価が上がることを知っていて、こんなことを画策していたに違いない」
「ここではかまいませんが、外で不用意な発言をしてはいけません」
公子は甘い香りのする青い花びらを混ぜた香草茶を口に含みながら美蓮に釘を刺した。
「あの日玲斗は卒展の製作で一日中学院内にいました。夜も、借りている寮の部屋に居たようです。彼が犯人とは限りません。真犯人が選挙戦までに捕まってくれれば良いのですが」
「は?」
麗射が頓狂な声で聞き返す。
「もう、立候補は取り消しだろ。だって俺は停学……」
「停学くらいあなたの見事な犯罪歴のなかでは、面相筆で描いた点のようなものでしょう。誰も気にしてはいませんよ」
すまして公子は青い香草茶の中に檸檬を垂らす。紅茶は紫を経て赤く色を変えた。
「聞いておられないのですか? レドウィンが蛮豊に直談判に行ったことを。彼は遊牧民の出だけあってきわどい交渉のできる男です。学長に悪意による芸術の妨害を受けた者を罰するつもりかと詰め寄ったらしいですよ。立候補は認められました」
「ぼ、僕は、清那講師も一緒に行った、と聞きましたが」
火翔がおずおずと口を挟んだ。「むしろ講師の剣幕に、学院長がたじたじだった、と」
清那が顔を紅潮させて言葉を失う。笑い上戸の美蓮が、飲み下せなくなった麺の汁をリスの頬袋のように溜めて悶絶した。