第113話 奇併走る

文字数 3,260文字

 オアシスと牢獄の防衛に皆が出払った後、清那は真珠の塔に登った。彼を駆り立てたのは、先ほどの美蓮の言葉だった。
『煉州軍の中にオアシスをよく知っている者がいるようだ』
 この一言に、清那はなぜか胸騒ぎを感じる。
 彼は遠眼鏡で敵陣を見渡す。牢獄と北の正門に新しい型の攻城塔が押し寄せ、同時に兵も集中している。統制のとれた無駄の無い動きは、剴斗の指揮よりもさらに洗練されていた。
 軍師が変ったか、剴斗殿の軍に新たに誰か手練(てだ)れが加わったのか。敵陣は毎日見ていたはずだが、陣容の変化は無いように感じていた。
 だが、新たな軍師が手の内を読まれないために、この作戦開始まで意図的に姿を隠していたとしたら。
 清那は、ふと視界を横切った将を見て息をのむ。
 あの、後ろ姿は――。
「まさか」
 遠眼鏡を眼窩にめり込むようにくっつけて、清那はその将を追う。
『以前公子が青砂漠で投石機を移動したのと似た方法だな』
 美蓮の言葉が頭の中でこだまする。
 幼い頃、清那は毎年夏に軍学の研究者として有名だった母方の祖父に講義を受けていた。その時、従者として付き添ってきたのが少年の牙蘭だった。彼もまた清那の護衛として席を並べながら、祖父から軍学の薫陶(くんとう)を受けている。
 彼の祖父は精密な攻めとともに、奇襲も得意だった。敵を油断させ、その弛緩が頂点に達したときに一気に攻め寄せる。一夜にして敵前に城を作る、いきなり兵器を並べて度肝を抜く。実際の経験を元にした奇想天外な戦闘を、清那の祖父は若い彼らに惜しげも無く語って聞かせた。
 遠眼鏡をもつ清那の手が震える。
 彼の視界の中には、長く伸ばした茶色の髪を後ろで一つに束ねた筋骨たくましい青年が、馬に乗り軍を采配する姿があった。未だかって彼が見たこともないほどの生き生きとした姿。千騎、いや万騎を従える将の器とは思っていたが、目の前の彼はそれ以上の風格を備えていた。 
 それは、まさに清那が彼にとってふさわしいと思った生き方。清那がそうあって欲しいと願った姿。
 でも。
 でも、ここで会いたくなかった――牙蘭。
 清那の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。



「まずいぞ、縁筆(えんぴつ)。敵はオアシスの北門と、牢獄の両面作戦で俺たちを引きつけている」
 奇併は軽やかに先頭を走りながら、副官に選んだ事務方上がりの青年に叫ぶ。奇併は昔から武術は下手だが、走ることだけは人よりも抜きん出ていた。
「すなわちっ?」
 縁筆と呼ばれた黒髪の青年は、意味がわからないのか甲高い声で合いの手を入れた。奇併はこの実務ができる青年の万事控えめではあるが、所々で見せる妙な突出感が気に入っている。
「これは陽動作戦って事だ」
「陽動っていうことは、本来の目的は違うってことですか」
「ああ。牢獄とオアシスのつなぎ目。実はあそこが一番重要な地点だ。ただ、それだけに壁は高くこちらの守りも堅い。敵はあそこを手薄にするため、大がかりな陽動作戦を行ったということだ」
「で、では我々は牢獄の門を守るって事ですね」
「残念、大外れだ」
 牢獄門の手前で奇併は足を止めた。彼の軍勢はまだ追いついて来ていない。傍らでは副官が地面に手を付き肩で大きく息をしていた。
「要所でなくせばいいんだ」
 

 奇併の一団が着いた時、案の定、牢獄門は他所に人数を取られて手薄になっていた。
「開けろ、開けろ、開けろーーっ」
 事前の連絡で奇併が来ることを知っていた警備の者達は、顔を輝かせて門を開ける。ほとんどが元囚人で、元獄吏(ごくり)の奇併とは顔見知りだ。
 奇併は真面目な獄吏では無かったが、その分融通が利いた。囚人達は彼に自分たちと同じ無頼(ぶらい)の匂いを嗅いだのか、気安く話しかける者が多かった。
「おお大将、待ってたぜ。門の牢獄側を守ってくれるのかい。どんどん人手がとられてよお、心細い思いを――」
 しかし、門の警備をしていた顔なじみの囚人の言葉が終わらないうちに、奇併は疾風のごとく目の前を素通りした。
「へ? お前らここを守りに来たんじゃないのかよ」
 元囚人の兵士達はポカンと口を開けて、勢いよく中に駆け込んでいく軍勢の後ろ姿を見送った。
 援軍の事は、最前線で壁を越えてくる敵軍と戦う勇儀にも伝えられた。
「援軍が到着したそうです」
「ありがたい。こちらにもう少し加勢が欲しいところだった。今、どこに居るんだ」
「それが……」
 伝令が口ごもる。
「どうした?」
「作業をするから、戦闘は手伝えないって事で」
「はあ?」
 勇儀の眼が丸くなる。
「ちょっと待て、援軍を率いているのは誰だ?」
「おじさん、助けに来たぜ」
 不意に現れたのは、奇併だった。
「お、おじさ……」
 その落ち着きから年齢より上に見られがちだが、勇儀はまだ28才である。奇併の呼び方に少なからず衝撃を受けたようで、彼はわなわなと唇を震わせた。
「おじさん、疑りぶか……、いや慎重だからあ、俺が来ないと信じないと思って伝令の後から走ってきたんだ。あはは、それって伝令の意味ないじゃん、って話だよね」
 最前線の修羅場を目の当たりにしているのに、奇併はあっけらかんと肩をすくめる。
「お、お前は麗射付きのはずだ。なんでお前がここに居る」
 嫌な予感しかしない。勇儀の声がかすれる。
「清那が俺に全権を託してくれたんだ」
「お前に……だと」
「そういうこと。わかる人にはわかるんだよ、俺の才能が。ま、俺の計画通りに動いてくれよ、悪いようにはしないからさ」
 青年は勇儀の肩をぽんとたたいて、にんまりと笑う。そして何事かを耳元にささやいた。
 一瞬天を仰ぐと、無言で勇儀は戦闘に戻っていった。元はと言えば自分の撒いた種。吉と出るか凶と出るかは天帝のみぞ知る。どちらにせよ、円満な終わり方はしないだろうと勇儀はため息をついた。
 

 秋季ではあるが、太陽が昇ると途端に気温が上がってくる。戦う者はみな玉の汗を流して剣を交える。牢獄側はまだ良い、用水路の水を飲んで喉の渇きを癒やせるからだ。しかし、攻撃側は絶え間ない喉の渇きと、顔中の穴という穴から飛び込む砂塵との戦いだった。
 だが、真水とみずみずしい野菜という宝を前にした敵軍の士気は高い。破城槌(はじょうつい)によって上部のもろい部分が歯抜けのように崩された壁に、攻城塔からはどんどん敵が入り込んできていた。援護するように矢も降りそそぎ、さすがに防戦する雷蛇達の疲労も限界に近づいている。無理をさせない勇儀の采配で、死んだ者は居ないが、牢獄側での戦闘はあきらかにオアシス軍が押されていた。
「雷蛇様、これからこの水しか飲まないでください」
 縁筆達が前線までやってきて、担いだ水桶を置く。
 血飛沫で全身を赤く染めた雷蛇が怒鳴る。
「なんじゃあ、そりゃ。お前ら戦わないで、なんで水くみなんかしてるんだ」
「あ、それと伝言です――」
 奇併傘下の兵士達はろくに返事もせずに一方的に奇併からの伝言を告げると、盾で身を守りながらそそくさと桶を担いで次の場所に走って行った。
 奇併一団の奇妙な動きはそれだけでは無かった。
 彼らは牢獄の倉庫から運び出した麻で作った袋を菜園に次々と積み上げる。
「旦那、こっそりとため込んで一儲けの話は、これで(つい)えましたね」
 囚人がニヤリと笑いながら、奇併を見る。
「人聞きの悪い言い方をするな、これはけが人の治療に使うために効果が強くなるように改良したんだ。しごく真っ当な小遣い稼ぎのつもりだったんだぞ」
 奇併は頬を膨らませて腕組みをする。「ま、どちらにせよ人助けだ。自軍限定だがな」
「奇併様、水桶を配り終えました。これから用水路を遮断します。2班、3班も任務遂行しました」
 縁筆が報告に来る。
「よし、じゃあ計画通りに」
 彼は指を口に突っ込むと、しゃぶった指を高く掲げる。
「青砂漠がいい感じに(あった)まって来たようだな」
 風は南から北に吹き始めた。青い砂の方が温まりやすく、日中は銀色の砂の割合が多いオアシス側の砂漠から、青砂漠のある北に向かって風が吹く。
 奇併はそれを待っていた。
「それでは、奴らを冥府にご招待しよう」
 奇策を弄する軍師の双眸(そうぼう)には不敵すぎる光が宿っていた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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