第100話 標的

文字数 3,465文字

 獣のような断末魔の叫びがそこかしこで響く、そして大勢の足音。自分を探す声。
「いいですか、何があってもここを動いてはいけません」
 まなじりを決した母が、自分を隠し部屋につれて来てからどれくらい経つだろう。
「お母上は……」
「私のことは良いのです、私は叡州(えいしゅう)公といきます」
 どこにいくのかは、聞くなとばかり母は強い目で私を睨んだ。
「叡州公家は長らく皇帝を務めた名家、その血筋は続かなければなりません。あなたの命はあなただけのものではないのです。わかりましたね」
 まるで日々の注意事を述べるかのように平然と告げると、母は侍女を連れて風のように去って行った。
 振り返りもせず。
 壁の隙間からの細い光が闇に沈み始める。
 ふと気がつくと、辺りが静まりかえっていた。
 もう、誰も居ないのか。
 私を探していた兵士は、あきらめて去ったのか。
 しかし、漂ってきたのは焦げ臭い匂いだった。
 火をかけられている。あたりからパチパチというはぜる音がする。
 このままでは……。
真秀(ましゅう)様、真秀様」
 咳き込みながらも私を探す声がする。
 これは――最近抱えた彫刻家の男、レドウィンの声だ。彼は腕も性格も良い男だ、彼から清那の話を聞くのが私の至高の時間だった。
「ここは危険です。逃げましょう――あっ」
 隠し部屋からまろび出た私の姿を見て、彼はボロボロの姿で相好を崩す。
 辺りは火の海だった。血だらけのレドウィンはさながら冥府の鬼のようだ。
「ああ、生きてお会いできるなんて。さあ、こちらです」
 その時、現れた兵士がレドウィンに斬りつけた。彼は私をかばい、顔から血しぶきを上げて火の中に倒れ込む。
「お、お逃げください、真秀様」
 私は剣を抜いた。助けに来てくれた者を見捨てるような教えは受けていない。
 さらばだ、愛しき義弟(おとうと)永久(とこしえ)の愛を――。



「清那――」
 義兄(あに)の声が聞こえた気がして、清那は床から飛び起きた。
 胸は苦しいほどの動悸を打ち、びっしょりと汗をかいている。荒い息をしながら、清那は再び寝台に倒れ込んだ。これは夢か。ままならない呼吸、余りにも生々しい夢に清那の頭は混乱する。
「どうした、公子」天井から走耳が声をかける。
「真秀が、真秀が、苦しい……」
 胸をかきむしりながら、清那は半狂乱で叫ぶ。
「水でも飲んで落ち着け」
 しかし、清那の震える手はコップすらつかめなかった。
「い、息が、できない」
「待ってろ、幻風を呼んでくる」走耳は部屋を飛び出していった。幻風のいる食堂に行くまでに麗射の部屋がある。
「おい、公子が大変だ。俺は幻風を呼んでくる」
 走耳の知らせに、麗射は慌てて公子の部屋に向かう。
 幻風が来るまでの間、麗射は震えて苦しがる清那の介抱をし続けた。
「胸の音がピイピイ言っておる、気候の変わり目ではないし、何か酷い衝撃を受けたんじゃろうなあ」
 胸に耳を当てて診断をつけた幻風の薬で、しばらくたつと清那の症状は快方に向かった。
 疲れたのか、今、清那はこんこんと眠っている。
「真秀って叫んでいたな。清那の義兄(ぎけい)らしいが」
 その名前は麗射も何度か聞いたことがあった。
 何か清那とは深い関わりがあったようだが、麗射はそれが清那にとって必ずしも良い思い出だけではないことをうすうす感づいている。
「先日叡州の首府に煉州軍が攻め入ったという知らせが来たばかりだ。きっと心配が高じてこうなったんだろう」
「親兄弟に何かあったとき、風に乗って心に知らせが来るって言うし。煉州軍の優勢が伝えられたばかりだ。残念だがもしかして正夢なのかもしれないな」
 麗射は傍らで眠る清那の寝顔を覗きこむ。目の下にはくっきりと隈ができていた。
「なんとかしてやらないと、心配事に押しつぶされるぜ、公子様」
 走耳はチラリと睨むように麗射を見る。
「最近、避けられているんだよ」
「お前なら公子の支えになれる、というかこの役目はお前しかできないだろ。尻込みしていてどうなる。お前はこの学園で公子が心を許した唯一の人間なんだぞ」
 麗射は黙り込む。麗射が清那に話しかけても、最近はまるで()いだ剣で斬りつけられるような返事が多く、かえって心に傷を負うのは麗射だった。
 一刻も過ぎた頃だろうか。
 清那は目を覚まして、自分の傍らに麗射がいるのを見た。
 走耳は席を外している。
「気がついたのか?」
 上半身を起こした清那を見て、ほっとした顔で微笑む麗射。
「お騒がせしてすみません。余りにも不安で……」
 紫の瞳が光る。
「泣いていいんだ、悲しいときは」
 腕を回し、そっと壊れ物を抱くように清那を引き寄せる。
「いいんです、もう大人ですから」
 手で麗射を遠ざけようとする清那だが、麗射はかまわずに抱き寄せた。それ以上の抵抗はせずに清那は麗射の胸に顔を埋める。
「遠慮はいらない。大人になっても、泣いていいんだ」
 銀の滝のような髪を撫でる。
 清那の細い手が、麗射の筋肉質の背にしがみつく。
 麗射の上着に熱い涙が沁みてきた。
 こらえきれない嗚咽が、清那の肩をふるわせる。
 部屋の外で戸にもたれながら所在なさそうにたたずむ走耳の耳に、激しい泣き声が響いてきた。



 程なく、珠林(じゅりん)陥落の知らせが、波間の真珠にもたらされた。
 夏の砂漠を決死の思いで渡ってきた叡州の使者によると、珠林は焼き討ちにあい灰燼(かいじん)に帰したとのことだった。煉州公と玲姫、長男一家は命を奪われ、次兄も消息を絶ったらしい。だが、兵士に斬られたレドウィンと満身創痍の真秀が火の海の中で倒れたのを見ていた者がいたらしく、二人はほぼ絶望と伝えられた。
 清那はすでに覚悟を決めていた。あの日の義兄(あに)の声はあまりにも生々しく、死出の付き添いをしてくれるという天女が羽扇(うせん)で送る風にのってもたらされた心の叫びだと思っている。
 だが、まだ清那には現実感はない。誰の遺体も見ていないのだ。叡州公家が滅亡したと聞いても、まるで遠い国の話を聞いているような気がしている。ただ、底知れない喪失感だけが彼の胸に穴を開けていた。
「叡州全土で民の激しい反抗が起こり、ここまで破竹の勢いで進軍してきた煉州軍も戦いあぐねております。是非ここは亡き叡州公の血を引く清那様に立っていただき、叡州をまとめていただきたいと」
 使者の言葉を清那は目を伏せて聞いていた。
「それはそっちの勝手だろう。今まで追放同然に放り出して、暗殺者まで送って、都合が悪くなったらお戻りくださいだと、冗談じゃないぜ」
 走耳が使者をにらみつける。
「考えさせてください」
 清那は即答を避けた。今の叡州に帰っても自分ができることは少ない。
 それよりも彼は気になることがあった。自分が斬常なら、狙うべきところは別にあった。
「麗射」
 清那は傍らに同席している学院生代表を振り返る。
「程なくここが戦場になります。叡州の側面を突くなら、このオアシスが必要になります」



 オアシスが標的だという噂は瞬く間に真珠の都を駆け巡った。
「夏の砂漠に布陣を敷くのは水の問題もあり、敵に不利です。おそらく侵攻は秋でしょう。それまでに私たちは、オアシスの民をできるだけ逃がし、そして美術品を避難させる算段をしなければなりません」
 斬常が狙うのは、オアシスの位置的優位とそしてここに積まれた美術品であろう。
 彼が美術品を金としか考えていないことは清那がよく知っている。
「熱砂の中の旅は、人々を命の危険にさらします。秋風が立てばすぐに行動を起こせるように準備をせねば。そして……」
 清那は麗射を見上げる。
「解っているさ、俺たちは彼らが逃げられるように、できるだけ敵を引きつけなければならないって事だな」
 美術工芸研鑽学院は、広沙州の行政府も兼ねている。
 蛮豊を始め、事務方はそのまま地方の官吏でもあるのだ。学院生代表は、その末端に位置づけられている。
 オアシスをまとめ、敵に対峙する。
 誰かがやらねばならない役目であった。



 蛮豊の提案で盛夏の作品展は中止になり、急遽卒業式が行われた。
 麗射達4年生は、形ばかりの卒業証書をもらい、学院長からの早口の祝辞を受けた。総代(そうだい)も決められず、式は瞬く間に終わった。
 式の最期、蛮豊は全学生に告げた。
「皆さん、波間の真珠に急が迫っています。明日から学院は休学にします。荷物整理もあるでしょうからオアシス撤退までは自由に部屋を使ってかまいませんし、食堂も可能な限り営業するように頼んでいます。平和になってからまた再会いたしましょう。それでは皆さん、命を大切に」
 学院生達があっけにとられる中、蛮豊はそそくさと台を降りる。そして翌日には姿をくらませてしまった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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