第110話 大元社 代表幹事

文字数 939文字

日曜で車も少ない道を乳母車をおす若い男性に聞いた。神社と兼好について「神社はこの先どんつきを左に行き、すぐ右にまがるとあります。徒然草は知っていますけれど、兼好がこの辺りに住んでいるとは知りませんでした。いい勉強になりました」という。道路際に立派な由緒ありそうな家が2件ある。いづれも鈴鹿家と表札がある。突撃し事情を聴こうとしたが。鍵がかかり留守だった。突き当り、右を見ると先に赤い大鳥居がある。まず車から降りて車庫にいた紳士にお尋ねした。「あの赤門の先は大元神社へ行きます。吉田兼倶が創建したものです。右にある石垣から3百m先の旧制三高の所まで屋敷があったといわれ、神社の任命権を持っていたそうです」と詳しく説明してくれた。表札を見ると鈴鹿さんだった。「私もちょうど行く用事がありますので、吉田神社のほうへ行きましょう」と案内、広場があり赤門がある吉田山の上は大文字焼きが行われる場所だという。山の中腹に斜面を切り開き大の形が微かに見える。私が名刺を渡し、街道の人々のブログいかいていますというと、鈴鹿さんも名刺をくれた。大元社の代表幹事とあった。二階建ての事務所へあがった中に祭用の道具が展示されていた。兼倶が鎌倉時代に最初に大元宮を創設した、そのご吉田神社となり隆盛を極めた。大元社の前は占部氏がこの社を治めており、当時はまじないのようなことをやっていた。その図面数々も製本され展示されている。
2月3日の節分祭りが、この氏子たちが、鉾を棒の先に付け、練り歩く。鉾が飾ってあり、金色で模様で6種類の鉾がある。写真に祭の時、ものがある。鈴鹿さんが真ん中に写っておられた。幸運にも地元の祭りの責任者のかたに偶然お会いし、会館まで開けて説明してもらった多分、この吉田神社では兼好さんが生まれたという記録は残っていないと思います。吉田神社の吉田家も明治維新となり、京都から東京へ天皇が移られたので、神社庁のかんけの仕事をされ移住されました。今では神主は別の方で、今は東山八幡宮からこられていますという。神職の吹田さんが兼好のことは詳しいので、きいたらどうですか」と親切に教えていただいた。来訪簿に名前を書き,御礼したいさんしたどうも吉田神社は兼好法師とは無関係のような話である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み