第52話 木屋瀬宿大庄屋松尾家の子孫 長崎街道

文字数 914文字

 木屋瀬宿は我が家から4キロの所にある。何度か行ったことはあるが、宿場として見詰め
ることがなかった。西構口から歩くと漆喰を塗った大壁造りの「大庄屋松尾家」がある。
 掲示板には建物の造りや当時の庄屋の仕事などが記載されている。木屋瀬には村庄屋、宿
庄屋、船庄屋の三庄屋が置かれ、村庄屋は村全体を統括した。松尾家は屋号を灰屋と称し、
問屋役・人馬支配役、村庄屋などを務めた大庄屋であった。
 「見学希望の方は隣に連絡ください」と小さい文字があった。「やった。チャンス」と呼
び鈴を押した。広い庭の奥から松尾家の奥様が登場された。「宿場に興味があるので」と言
うと「それは感心なことでございます。裏口を開けますのでお待ち下さい」と優しい。
 通りに面した板木戸が開けられた。内部はびっくり仰天する江戸の遺物が陳列されている。
公共の物なら感じないが、個人でこれ程キチンとした展示には驚かされる。昔の土間で、排
水溝は石をノミで彫った跡が無数に残っている。台所の流しも石を彫りぬいた物だ。井戸は
六角に石を積み上げ、遠賀川から水を引き入れ使っていた。
 人物画の初代大庄屋は福々しく、2代目は凛々しい男。平民であったが刀の帯同を許され
ていた。古文書もあり「黒田藩主に金を貸した名入り証文がそれです」と指し示す。「お金
では返さず上野焼とか品物で返したそうです」2階の窓は銅板が張られ「参勤交代を眺める
無礼がないよう、二階の階段はつり梯子にしてあります」当時、庶民は土下座を命じられて
いた。
 「30年前、北九州市より補助金600万円、松尾家で600万円負担で家を補修しまし
た。白壁は小倉城壁塗りの腕の良い職人が塗ったので、未だにびくともしない」と語る。
 56年前、奥様が松尾家に嫁いだ時は、建物は奥行きが長かった。半分取り壊し、住居は別
棟に新築し、歴史遺産の古民家を残したという。
 ご主人は元校長先生で奥様も小学校の教師をされていた。「過去の出来事として後輩に伝
え教える」心を感じた。
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