第5話 黒崎宿 一宮神社 神武天皇が滞在 長崎街道

文字数 971文字

 大隈宿に一宮神社があったが、黒崎宿近くにもある。筑豊電鉄の萩原電停
を下車、黒崎まで街中散歩をした。遠くの方に鳥居が見えた。最近は神主不
在の所も多く、期待せずに行ってみた。
 鳥居の額束には一宮神社と書いてある。石段を登ると凜然とした境内があ
り、社の後ろに小山がある。由緒書きを見て驚いた。古事記に出てくる紀元
前600年頃の初代神武天皇が1年間滞在されていたと示してある。
 数年前、ユネスコ遺産登録の宗像神社に興味をもち行ってみた。神代の時
代の天照大神の三女が沖ノ島、大島、宗像の辺津宮に降臨された。今に伝わ
る「天孫降神」の額を見たことがあった。
 私は紀元前の弥生時代へタイムスリップしてみたくなった。当時は吉野ヶ
里遺跡のような状態で人々は麻袋から頭を出し、腰に麻縄を巻いていた。土
器を素焼きし、稲を作り、貝や魚も食べ集団生活を営んでいた。
 古事記によれば勇猛果敢な神武天皇は「天下を平定するには大和の国が適
地である」との天のお告げを実行した。日向の高千穂宮殿から木造の船団を
率い進攻した。宇佐八幡宮に寄った後、筑紫の国へ向かう。当時の洞海湾は
海水が2m上昇しており黒崎付近は海だった。后御崎公園の麓に上陸した。
 軍政を整えるため造船し、瀬戸内海航路の安定確保の交渉の必要から一宮
神社を1年間の宮居とした。
 大集団の移動は苦難の連続であった。神武天皇は木立の中、円形に小石
を積み、後方を方形に丸い小石を重ねた。小石の中に榊を立て紙垂(しで)
を下げ、磐境(いわさか)を作った。。この神の御座所である神籬(ひもろ
ぎ)で祈りを捧げた。
 移動中、瀬戸内海で遭難しそうな時、豊玉姫のいた祖母山に向かい安全を
祈願し難を逃れた経由もあった。
 2600年もの昔、天皇が1年も住まわれた神宮が、地元黒崎にあったこ
とに感激した。古代歴史に触れ、古人の行跡を忍ぶことは楽しく、果てしな
い歴史の不思議を感じさせられた。
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