第67話 赤間宿の伊豆酒造  唐津街道

文字数 811文字

 何年も前の2月、赤間宿の酒蔵開きに行ったことがある。構口の信号から、「右木屋瀬 左芦屋」の石碑までが600m程の旧宿場だが、歩行者天国となり、人びとで溢れかえっていた。両側の店は趣向を凝らし、イベントを盛り上げていた。伊豆酒造の若い女性後継者は放送界の若い美人で講演も上手な人だった。
 先週、連れが赤間の公民館でコーラスの練習があるというので、送って行った。ついでに赤間宿を訪れた。事前に調べた地図ではJR福岡教育大駅から構口まで続いているとは表示されていた。立派な構えの寺が目についた。法然寺といい、石油王の出光佐三が色々なものを寄進したと石碑に刻んである。寺の傍を宿場の道が断ち切られるように、県道が新設され主要道になっている。
 寺の向かいの家の玄関で煙草を吸っている老人に尋ねると、笑顔で「あそこの石碑が分岐点で、右に 行くと須賀神社があり、夏には神輿が練り歩いていた」と説明してくれた。「この家は叔母の家で、昔は按摩や針灸を職としていた。私は構口の先の地域に住んでいた。昔は商店も賑やかで、子供の頃は楽しかった」と昔を懐かしんでいた。
 交差点に宿場の掲示板があり、付近の見どころを表示してある。緩い坂を下るように街道があり両側に 民家が並ぶ。出光佐三の生まれた家もある。
 見物に来た人がわずかに歩いている。車が通り華やかさはないが、宿場として力を入れている様子も伺える。観光案内所は江戸期の呉服屋の建物を改築した物だった。太い黒柱や梁は残され、間口は狭いが奥へ長く展示や出店が続いている。案内の女性が赤間の宿を簡単に説明してくれた。「朝10時から向かいの家でガイドが待機し、無料で案内してくれます。是非、また
お越しください」と薦め、パンフレットを渡した。
 「宗像市の現市長は伊豆酒造の女性後継者です」と言った。あの放送界の女性が市のトップとなり、宗像の情報を積極的に発信されていることだろうと思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み