第84話 香椎宮 唐津街道

文字数 914文字

  福岡の宿場を訪ねていると、宿場から離れているが、遠くない神社へ参拜することがある。神社の中に「神宮皇后と仲哀天皇」がこの地を訪れたという由緒書きが多いことには、驚く。熊襲征伐のため都を出発、山口の行宮を建て、暫し滞在した。体制を調えた後、軍団を従え出発。
九州の若松に立寄られ時、お供の竹内宿祢が若い松並木が見事であると「若松」と命名された。若戸大橋の側の掲示板には記載してある。次の芦屋宿では、湊神社にも立ち寄られ、更に洞海湾に入り、黒崎に上陸。神武天皇が、1年間行宮とされた一宮神社にも参拝された。皇后が皿倉山に登り、岩山に立ち、更に暮れるかと「皿倉」を命名されたという。仲哀天皇は玄海灘を航行し、香椎に到着され、この地を熊襲退治の本拠地と定められた。天皇は軍勢と供に南下し、熊襲退治へと進軍された。激しい敵の攻撃に遭い、戦闘中に天皇は敵の矢に当たり重症を負われた。一旦、香椎へ退却し治療するも、傷が悪化し、天皇は香椎の地で亡くなられてしまった。西暦300年に、香椎宮に墓が作られ、現在も祭られ、石碑が歴史を物語る。天皇の仇を討つため、神功皇后は男装をし、大勢の軍隊を率い、道道の八幡神社に駐留しながら、熊襲征伐へ進軍した。皇后は嘉麻市にも行かれ乳房の森で仲哀天皇の亡きあとできた赤子に乳を飲ませ、水の美味しい所であるという。途中に皇后が建てられた敵前の神社がある。筑後平野を一望に出来る陣地である。空を飛ぶ羽根をもつという熊襲を撃滅した。熊襲征伐に協力しなかった地元の豪族をも征伐したらしく、各神社に由緒が残してある。香椎宮は初めて参拝だったが、今上天皇のご先祖である仲哀天皇の逝去された土地で、宮には墓がある。関西の別の場所に広大な御陵もある。天皇の勅使が10年毎、香椎の仲哀天皇の墓へ供物を届ける儀式が行われる。令和7年にも実施の予定だそうだ。勅使街道というのがあり、ご神幸の行列も毎年行われるそうだ。神宮皇后も仲哀天皇と一緒の墓に入りたいと言われ、側に皇后の墓もある。竹内宿祢も香椎宮の傍に建物を造り住んだそうで、その跡地に掲示板もある。命の水の井戸が現在もわきでており、私も飲ませてもらった。長生き出来るらしい。

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