第10話 直方宿の現状は如何、前田茶屋 長崎街道

文字数 956文字

 直方宿は津田町の信号から古町通りが長崎街道であり宿場だった。両側に商家が立ち
並び、途中に構口跡の看板がある。宮原本屋の先にある元向野医院の角を曲がって線路
沿いに進む。新町を過ぎると、東蓮寺藩主館跡がある。
 現状は、津田の信号からアーケードの古町商店街が300mにわたり繫がっている。
ほとんど閉店したシャター街である。前田茶屋の支店が途中にある。20年前に出店し
たそうで、二階建ての立派な建物の前部を賃借しているという。後部は白壁造りで歴史
ある建物と庭が続く。昔、旅館を営んでいたようだ。道を挟んだ隣が長谷川仏壇である。
40年前にできたというが、有名な仏壇屋である。残りはがらーんとしたシャッターが
続く、寂しい通りである。
 60年以上前、私が子供の頃、父母に連れられ筑豊線の蒸気機関車に乗り、直方市新
町の祖母の家を正月に訪ねるのが恒例だった。すでにアーケードのある両サイドは立派
な商店が軒を連ねていた。銀行やデパートや医院の他あらゆる物が売られていた。こん
な繁華街があるのかと驚いた。多分石炭産業の地元であり、経済的に豊かな土地だった
のだろう。
 1951年(昭和26年)10月、日本初のアーケード(屋根つき商店街)は北九州市小倉の
魚町銀店街だという。その後各地で同様のアーケードができた。
※当時、私は9歳位の頃だから。アーケード街が新設したばかりの時期だったのだろう。
ものすごく賑わっていて印象が残っている。65年過ぎた現在では閉店ばかりで見る影
もない状態である。だれが是を予測できただろうか。時代の流れに乗ったといえば、それ
までであるが。※
 石炭がガソリンに代わり、駅からの客を車が奪い、スーパーマーケットの時代に変わっ
ていった。イオン直方が遠賀川の東側にでき、西側のアーケードの店が絶命していった。
 福岡県で66のアーケード街があり全国一多いようだ。北九州市が34と半分以上を占め
ている。ほとんどがシャッター街に落ちぶれている。
 アーケードと鉄のシャッターを元に戻すには多額の金がかかる。不気味な街道が手付か
ずの状態で残っている。国も調査だけでなく、何らかの政策を講じて、更地にし転売する
とか、措置を講じて貰いたい気がする。活性化とか復活はほとんど役立たない程、ダメー
ジを受けている。
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