第111話 吉田神社の神職の事実証言

文字数 720文字

大元社代表幹事の鈴鹿さんのお話を聞いた後、目の前の吉田神社の赤い鳥居をくぐった。参拝される観光グループもあるようだ。いよいよ吉田兼好の核心部分にやって来たと、期待が胸いっぱいに広がる。吉田神社に神職さんが7人おられるという。御札を買い、巫女さんにお尋ねした。「兼好法師に詳しい方にお話を聞きたいのですが」というと「お待ちください」と奥の方へ入り、中年の神職を連れてきて、紹介してくれた。ビニールカーテン越しに、少し怪訝そうな様子で、私の話を聞いたうえで、「兼好はこの神社とは関係ありません。時代が違い占部氏の頃、兼好は関係があったのでしょう。兼好の父とされる吉田兼倶は、後に生まれており(吉田兼倶1435年生:吉田神道の創始者、最初大元社を作る)、(一方兼好法師は1283年頃の生まれとされており、1352年没である。吉田兼倶が生まれた時、兼好法師は亡くなり、既に93年がたっていた。)時代が違います。吉田神社の文献にもありません」とはっきり断言された。物好きな兼好ファンが訪ねてきて、戸惑うような感じで話をされる。神職で元になる文献も詳しく調べられいる人から証言されると、「ネットで兼好の生涯を描かれているのは、広告宣伝のためでは」と言われた。兼好ファンでこの地まで意気込んで訪ねてきた目的が、ガラガラと心の中で崩れ壊れて行くような悲しい状態になってしまった。最初から、この京都の度は「けつまづいてしまった」のだろうか。しかし大元社の幹事さんのお話は、旅をするときの醍醐味を感じさせる素晴らしい出会でした。鈴鹿幹事さんが、このブログを見て頂いていたならば、突然お会いして、記念館を見せていただき、有り難く心から感謝申し上げたく思います。
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