第56話 底井野往還 福岡藩主御茶屋跡、月瀬八幡宮  長崎街道

文字数 1,043文字

 福岡藩は赤間道の六反田から、自藩内の近道である底井野往還を通り長崎
街道(東往還)の黒崎に進んだらしい。
 中間市の名所に、月瀬八幡宮がある。室町時代、ここは猫城といった。山鹿
城麻生氏の端城で山鹿と宗像宮司の領地争いで千人の兵が死闘を繰り広げた場
所である。猫が背を丸めたような90mの頂上は四方が見渡せる。ここ底井野
は広々とした田圃があり、神社を中心に民家が細長く続いている。
 江戸時代には、この底井野という所は長崎往還道沿いで黒田藩主の遊猟場が
設置されていた。藩主が鷹狩りや参勤交代の折りに使っていた。往還道には商店
が軒を並べ賑やかな通りだったらしい。
 神主の佐野家は猫城跡の神社を四百年も受け継いでいる。真面目で聡明な少
年だった佐野君とは幼友達で、彼とは小中高と同じ学校に通っていた。私が定
年後60歳で故郷へ戻った時、彼から同窓会の誘いがあった。初めて彼の家を
訪問した。一階は大広間や食堂や待合の部屋、事務室もあり、大勢のお客に対
応できる梁むき出しの大家屋である。高校の同期有志が集まり偶に会食を楽し
むという。
 その後、この会へ何回か参加し旧交を温めることが出来た。私は趣味の音楽
の話をしたことがあった。それ以来、彼からお誘いの手紙が来る。 
 「やっと秋を感じられるようになりました。稔りの秋を迎え「おくんち祭」
を執り行います。日頃の御神恩に感謝し、大祭りを皆様と共にお祝い申し上げ
ます。10月6日、巫女による「浦安の舞」の後、午後6時半より30分間、
南米民謡(バンド名ポコポコ)の演奏を例年の如く宜しくお願いします」佐野
君の達筆な手紙が届いた。
 もう6年位出演している。地域の人たちが屋台や会場を作り、90段もある
石段を老若男女が登って前夜祭を楽しむ。
 演奏後、石段を降り社務所の広間へ戻る。手作りの弁当が5人分テーブルに
並んでいる。愛情溢れる夕食はいつも美味しい。秋の気配を感じる昔懐かし鎮
守の森で、お祭りがもうじき始まる。」
 このエッセイはコロナの始まる前の年に書いたものです。
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