第101話 下関の亀山八幡宮 山陽道 

文字数 597文字

赤間神社から植木紙店の方へ歩いて行くと亀山八幡宮があった。ここにも多勢の人々が参拝している。コロナ解禁で以前のような賑わいが戻っているのが嬉しい。八幡宮の高台に上がると、大型の貨物船や小型船が運航するのが近くに見える。昔、海峡の航行する外国艦船に向かって、ここから大砲を発射したという。江戸末期、諸外国は鎖国を解き、開国を幕府に迫った。長州藩毛利藩主は外国を打ち払って入国させないという「攘夷」のため砲門4門を亀山八幡宮に備付けた。八幡宮は高台にあり、海峡を一望でき、対岸の門司港の間を航行する大型船も目の先に見える。1863年5月、久坂玄瑞の指揮でアメリカ商船に向け、八幡宮の大砲が発射された。英・米・仏・蘭相手に6回にわたる馬関攘夷戦始まった。当時、下関は馬関といわれていた。翌年、英・米・仏・蘭の四国連合艦隊が海峡から攻撃し、兵も上陸し沿岸にあった全ての砲台を破壊した。諸外国と日本の力の差を感じ、長州藩内尊攘派が攘夷を捨てて開国に転ずる契機となったという。亀山八幡宮の高台から海峡を眺めると、幕末の歴史がおぼろげに想像できるような気がした。由緒をみると、ご祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇である。神功皇后もこの地に立ち寄ったに違いない。平安時代859年に神託により国主が宮殿を造営し、以来、朝廷、大内、毛利藩主の崇敬が厚く、下関六十ヶ町の氏神として奉斎されているという。
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