第120話 前原宿CAFE

文字数 1,780文字

前原宿を歩いていると、野菜・果物販売の「八百重」の先に、土蔵壁を持ち玄関は学習塾にした家がある。ガラスの引き戸の向こうが部屋に改造され、子供学習を指導されているようだ。「ごめん下さい」と声を掛けると、塾長のような六十才前後の男性が出てこられた。「江戸時代の宿場に興味がありまして」と訊くと、ふっと遠くを見るような、目付きで「どんなことでしょう」と聞く。後ろから小学生の男の子が顔を出し、ぴょこんと頭を下げる。「昔は花屋が家業としていました。奥は時代がかったそのままの造りなのですが、今は学習塾をやっています」という。夕方まで学習生徒がくるようなので、「また改めて参ります」とお礼をいい退去した。
その先にも、店が商いを続けているようだ。右に折れる路地があった。法林寺はこちらと案内板がある。
この角の店は陶器屋を手広くやっていたと、ネットの写真にも出て来る。表通りに狸の陶器が一メートルの物があり往時の繁栄を偲ばせてくれる。シャッターが閉まり角の場所を改造し、照明器具の製作販売をしているようだ。横町を入るとこの家が大きな作りであるのが分かる。建物も時代がかっており、相当古く江戸期のものかもしれない。面通りから奥へ建物が続く、引き続いて煉瓦塀があり庭が見える。庭の奥にも古い建物がある。小さな鉄の門があり半開きになっている。クローズの小さな看板がある。奥の方まで見え、広い庭は落葉樹があり、洒落たカフェがある。明かりが見えたので見学させてもらおうと連れと庭のほうへ侵入した。
 庭には建物の方向に、敷石がとびとびに置いてある。右手には明治時代の赤レンガがある。左手は大きな栗の木があり、落葉し骨太の幹が逆さ箒のように広がっている。白と茶の鳥骨鶏が二羽、歩き回っている。黒いハーフコートを来た若い男性が、脇に抱えてきた鶏を、草の中に軽く放り投げていたのだ。そして、男性は奥の方へ引っ込んで行った。敷石の先は、蔵造りの建物から、二間程の長い庇が、新しく作られている。その下の地面にウッドデッキが敷き詰められている。素朴な感じの椅子とテーブルが何脚か置いてある。向いはコーヒや軽食をつくる部屋が手作りの感じで建てられている。
 奥の方から若い美人の女性がやって来た。連れが「クローズの札が下がっていましたが、庭が素敵なので、勝手に入らしてもらいました」というと「どうぞご覧ください。開店前でまだごちゃごちゃしていますが」と優しく話す。「古い建物に、洒落たカフェですね」と訊ねると「昨年の11月に開店したばかりです。以前は東京でお勤めをしていましたが、故郷の佐賀へ戻って来たのです。そして、この福岡の糸島の魅力が気入りまして、この敷地の一部をお借りして、店を開きました。Uターンではなく、Jターンという所です。」と笑う。美人だが気さくに、初めての我々に対応してくれる。「面通りの陶器屋さんの裏庭と倉庫の一部屋を借りて、アロマの香りの体験が出来るようなことをしています。まだ色々手を加え、改良していく予定です。」という、奥の土蔵作りの部屋の一室が、古い木の扉を開けると、洒落たセンスのいい部屋でテーブルとイスとが数脚あり、良い香りが漂っていた。
 CAFE FADIEの由来について、色々質問した。まだ三ヵ月位の開店であるが、しっかりした古さと新しさがマッチした空間と設備が広がっている。デッキから広い庭を眺め、椅子に座りハーブティを飲む。
前原宿の陶磁器 辰巳屋は1812年に伊能忠敬も泊まった所で、ここは脇本陣として機能していた場所である。表通りの辰巳屋の店の管理人の方が、先ほど黒いハーフコートを来た男性だった。
美人店主に寄れば、「今日は物置を片付けをして居られるようです」という。二階建ての間口も四間位ありそうな、豪邸である。
糸島観光協会から「いいね、糸島」という観光マップを貰った。若い人に人気の地域で、再三、マスコミにも糸島の良さが取り上げられ、私も行ってみたいと、前から思っていた。
このCAFEも、糸島の魅力に取りつかれ、新しく根付かれようとしている人なのだろう。三十分ほどお邪魔したが、気分の良い店である。連れが「春になると、庭の木や草花がきれいでしょうね。また来てみたいですね」と言った。店主は「どうぞ、よろしくお願いします」と笑顔で、出口の門まで送ってくれた。
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