第18話 轟木宿 日子神社の神官 長崎街道 

文字数 844文字

 鳥栖市の轟木宿は鍋島藩の宿場であった。ゴウゴウと鳴り響く轟木川は北から南に流れ昔は番
所川と言われた。鍋島藩の東の境で、西側は対馬藩の飛び地の田代宿である。幕府の命により
轟木宿に番所が置かれ、密貿易の抜け荷を警戒し、旅人の荷を改めていた。 
 番所川から西に進むと 日子神社がある。石柱を3本重ねた肥前鳥居が姿を見せる。境内の小
ぶりの社に、作業着の男性が靴を脱ぎ入って行った。「ボランティアで室内掃除されているのか」と私は思った。掃除していた人は神主だった。「前神官が高齢で後継者が無い為、私が受け継いでいる」と言い、日子神社の歴史を説明してくれた。 
 轟木宿には大名や幕府の要人の宿泊休憩する御茶屋があり、旅籠は13軒、商家や大工や鍛冶屋も軒を連ねていた。「肥前佐賀藩の藩祖鍋島直茂は特に英彦山を敬愛し、何度も登山し、多くの設備を寄付した。幕府登城の折は、代表者に品物を預け、英彦山へ代参させた」と男性は語る。藩祖は茶屋に日子神社を建て礼拝した。腕のいい細工師に木彫の名品を彫らせた。
 御茶屋が消滅した明治以降、地元民の寄付で日子神社が再建された。傍に昔の小社も移設されそこには細工師の見事な透かし彫り技術を拝見出来る。「神社建物の側面にある彫り物を見れば、価値が分る。殿様が作った社は、今だと何百万もする大金をかけ、職人に彫らせていた」。後日、私が神社を訪ねる度、側面の彫刻を確認する癖がついていた。 
 古い狛犬の口を何気なく触った。「それはいけない!」と厳しい目で神主が制止。「境内は神域です。勝手に触ると祟られ罰が当たる。後で罰が当たったのが分からないだけ」。
 境内で子供がボールを蹴っていた。「本来は禁止だが、見ぬふりをしている。神社は神宿る場所です」。昔であれば、そのように神を敬い心の平安を授けられていたのだろう。
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