第1話 長崎街道 折尾駅近くの細い山道

文字数 1,954文字

 疫病コロナが世界中に蔓延し、旅行も制限されている世の中になって以来、気晴らしに、近所をあちこち散歩するのが、趣味となってきた。そこではいろいろな発見や気付くことがある。手入れの行き届いたバラの庭を見て、どんな人がこの家に住んでいるのだろうと、思う。知らない人との出会い。庭を手入れ中のご婦人に声をかけると、気さくに応対してくれ、「来年も花の咲くころ見に来て下さい」と言ってくれるのも嬉しい。
 大気を胸一杯に吸って、歩くのは、健康にいいし、日常のストレスも遠のいていく。金もかからず、気分転換にもなり、散歩はお薦めである。
 日曜の午前中、折尾駅近くの駐車場に車を止め、歩き始めた。高校三年間、この駅で下車し学校に通ったことを思い出した。当時は、この近辺をうろつく余裕もなかった。金もないし、受験勉強に脅迫される淋しい青春時代だった。今は連れ合いとどこでも一緒に出掛け、楽しい時間を過ごせている。苦しい青春の時を経験し、やがてこんな時がやって来る。
 駅前を流れる堀川沿いは、大正・昭和の半ばまで、筑豊の炭鉱で掘った石炭を港まで運ぶ水路として栄え繁盛した。川沿いの船溜まりの近く、かつては商売で大儲けし、建てた立派な家が並ぶ。煉瓦塀と古い豪華な木造住宅が、昔の栄華を偲ばせてくれる。町内住宅の案内板があったので、何かないだろうかと眺めると、赤の点線が目を引いた。丘へ上がる細道なのか、ぎざぎざで描いてある。同行の妻は、細い道を歩くのが好きなようで、住宅が立ち並んでいる隙間に、人が通れる細い道が、あちこちに存在し、両側に個人家が建ち、様々な人々の生活が感じられる。空間が関心を示し、「行ってみたい」、と言う。
 何があるのだろうかと、私も見てみたくなった。車道を外れ、丘の方へ上る階段状のコンクリの道がある。他所の家の入り口かもしれない。幅九十センチほどの階段を上ると、道脇の草むらに、「長崎街道進」と彫った石柱が立っている。この道は、長崎街道から外れているのでは、と私は思った。黒崎宿から松並木を通って木屋瀬宿へ行くのが長崎街道の道筋である。ここ折尾は、街道からかなり外れているはずだ。「何これは?」と、妻は石柱を、側面や裏面を調べている。表の文字だけで手がかりはない。御影石に彫ってあり、つるつるして経年劣化した跡もない。新しく作られたものか?それにしてもこんな所へ。誰が造ったのだろう?ここはどんな所なのだ?
 家の前を通り過ぎると、コンクリ道ではなく、泥土踏み固めた道路に変わった。人が通るように踏み固められている。細道は人家のない先へ続き、山道となっている。江戸の人はこの道を移動に使っていたのだと、足の裏で感じた。長崎街道の一部であり、役所の土地登記簿にも載っており、誰かが手入れ管理しているのだと想像できた。
路は木々の茂った山の中に細く続いている。道のみ踏み固められ、他は草木に覆われている。道が行き止まりなら、戻ろうと思ったが、何かに導かれるように、更に奥の方へ登って行った。二人連れは心強い。近辺に熊はいないが、猪はいるだろう。枯れ木を手に持ち前進していった。何処まで行けるのか、何があるのだろうか。
 小さなお堂があった。「中央四国第十六番」の看板が掛けてある。脇には大正年代と刻印された弘法大師の石像も側にある。百年以上経っているのだが、石だから腐らずに、歴史遺産として居残り、後世の人々に過去の手がかりとしてくれる。西暦800年頃、中国で学び真言宗を日本へ普及させた僧侶である。弘法大使は全国に五千の石像があるとスマホが表示する。ご先祖様たちにとり、生きる悩みを心配してくれ、心を癒してくれる大事な聖人だったのだ。ついでながら、私も父亡き後、仏壇を引き継ぎ、釈迦如来にお線香をあげ、日々安寧な気持ちで過ごすことが出来ている。宗教は人にとり大切なものなのだ。
 山道を歩いて、「これは昔の街道なのだ」と思うと、現代の車道と歩道と比べ、小規模な人間味のある道だったのだと感慨深いものがあった。
 江戸の公道を歩いて「こんな狭い道だったのか」と驚き、今の道路事情との違いに、隔世の感がした。丘の峠には広場があり石の祠がある。旅人の寛ぎの場だったに違いない。
 下り坂になっても細道は続く。どこまで続くのだろうか、幻想的な世界へ迷い込んだのだろうか。「未知の世界の道」と駄洒落を思いつつ私たちは進んだ。
 山道が急に開け、細道がきれいに掃除してある。一軒の民家が出現した。崖下をみると住宅街が広がっている。歩いてきた道では、誰一人として通って来なかった。間違いなく半間の道がおよそ一キロ位繋がっていた。
 この経験があってから、江戸時代の街道というものに私が興味を持ち、宿場探訪へと趣味の舞台が広がったのである。
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