第25話 塚崎宿 武雄温泉と辰野金吾 長崎街道 

文字数 1,020文字

 長崎街道の塚崎宿は現在の武雄温泉である。GOーTOキャンペーンで補助金が出るのを利用し東洋館 に宿泊した。一泊2万円が6千円で泊まれる有難い不思議なコロナ経済対策だ。旅館は部屋まで食事を運び、温泉はすべすべ肌になる程気持ち良く過ごせた。
 江戸時代はこの旅館は副本陣であり、1620年頃宮本武蔵が宿泊し、五輪の書を執筆していたところだ。館内に武蔵が使ったという井戸が残してあった。ロビーに物語が掲示してある「農民が道を急いでいた所、武士とぶっつかり謝罪したが刀で無礼者と斬り殺された。息子は親の敵を討つため武蔵に弟子入し5年後、果たし合いをする。武蔵に貰った3尺1寸の刀で、父を殺した武士と果たし合いをし仇を討った」というものだった。
 すぐ近くに楼門がり、この場所が本陣だったという。楼門見学申し出るとガイドが急階段を上り、物語を説明する。「東京駅を設計した。辰野金吾がこの楼門と温泉場を設計した。楼門の天井の四隅に馬、の十二支の「ネズミ・ウサギ・ウマ・トリの4つを彫らせた。東京駅には8つの十二支が彫られている。最近当時の設計図が発見され、東京駅より前に、武雄の楼門が作られたことが証明された」とガイドは鼻高だ。
 「武雄温泉は本陣があり藩主に愛されていた。大正になり地元の金持ちが武雄を温泉郷にしようという計画したのです」とガイドは語る。「東京駅設計に忙しかった辰野金吾に頼むが渋られる。当時日露戦争が終わり仕事がなかった。佐賀出身の大隈重信が首相で有り、辰野に頼み。清水建設社長に武雄温泉の建設を請け負わさせた」無声映画を見て、弁士の語りを聴くようだ。
 清水建設の前身は江戸の寺大工であり、楼門は釘一本ない、昔の寺作りであるという。大衆浴場も辰野の設計で、八角屋根や深い湯船や二階の休憩室には天才設計家の考えが入っている。
 ガイド会長の89歳の清水さんは車を運転して来る。立命館大卒で阪神の吉田監督と友人だったとも言う。
 その後、長崎街道を歩く。敵が攻め難いように鍵形道路になり、目的地行きにくい。石の案内板がある。幕末、出島で医学勉強し帰郷、鍋島の藩医となった牛の種痘を初めて我が子に行った中村家などがある。
 宿場を出て暫く走ると、周囲は田園里山の雰囲気で、住みやすそうな田舎の町であった。
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