第83話 七回忌 エッセイ

文字数 1,045文字

 父の七回忌を3ヵ月前に、久留米梅林寺へ依頼した。仏壇の前に、21名の人が集まる我家の
大行事である。内外の掃除から引出物、お斎会場の予約や案内状など受入準備に気を使う。
 外でやれば簡単だろうが、仏壇を父から受け継ぎ、子のない伯父に「下邑家の唯一の男だから祭祀後継者に遺言する」とされ、何故かこだわる。伯母と独身だった叔母と父の喪主を務めた。法要は葬儀、49日、初盆、一、三、七周忌と御先祖の御霊を慰める。
 父は大正6年(1917年)2月28日生まれ、96歳で永眠した。令和2年1月25日、七回忌の当日、状況を天国から眺めながら父は呟く「儂のために長男も嫁もがんばっておるな」嫁の枕元まで現れたという。「御仏前はいかほどかな?亡妻の本家は3万円。儂も同額出していた。孫夫婦は1万円か2人でも料理は一人5千だからチャラだ」天国でも銭勘定をするらしい。
 朝、参列者が自宅に来る。「車1台なら内に止めてもいいよ」と隣人が声掛け、「3軒先の歯医者の駐車場も少しお借りした」と治療中の嫁も言う。父は見ている「足の悪い人へ椅子6脚、座布団15枚か、雲水は仏壇前で座布団を外したな」「般若心経から始まり、戒名の弘道院清岳
天顕居士の七回忌を宣言したな。よし」 法事は終わり、車で黒崎のリンドマールへ移動する。
 店には数回行った事があり洋食も美味で室内の雰囲気も良い。2階では洒落た結婚披露宴も
行われる。故人を偲んで懇談会を楽しむのに、感じの良いこの店を選んだ。
 生前、父は子供や孫を招待し正月は座敷で宴会、夏は海辺の旅館でご馳走してくれた。「島原
から曾孫もコース料理を食べてるな。小学6年でこの華やかな食事会を覚えているに違いない」
と父は断言する。晩年「死んだら火葬場で焼かれ儂は何も無くなる」と悲しんでいた。私は「七回忌をやるのは親父を忘れず、天国での安寧を祈っているんだよ」と言う「しかし儂には信じられん」私は「現実には親父のDNAが私の中に残っている。最近は親父そっくりの顔になってきた」と慰める「然りじゃな。儂の分身が天国から見えるわい」
 人には体と心がある。有限の人生を過ごすのだが、無になることに悩む。そこに宗教が生まれ、「無ではないよ天国があるよ」と信じさせる。心は安心して現世を過ごすことができる。
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