第100話 下関の赤間神社 山陽道

文字数 871文字

下関の植木紙店で、連れが習っている水彩画の先生の個展があるので運転手として行った。
展示会は30点の水彩画で花とか風景があり、3万5千円くらい赤札の売約済みもあった。
見終って近くを散歩することにした。街道らしきものはないか探しながら、赤間神社の方角に歩いた。途中に、1865年に坂本龍馬がお瀧と住んでいた伊藤邸で本陣跡の看板があった。下関は幕末の物語が彼方此方にある。街道とか宿場は目立たない存在である。
バスガイドが旗をもち、客を赤間神社へ案内している。神社の水天門という緑屋根に二階の赤壁、一階の白壁が迎えてくれる。此処は安徳天皇が1185年の壇ノ浦の戦いで、祖母に抱えられ入水し、8歳で亡くなった所でお墓もある。福岡県遠賀の山鹿秀遠が200艘の軍船を率いて源氏と戦ったとあった。源義経の八艘とびの絵もある。赤間関に1191年、勅命により安徳天皇の御影堂が建立され、天皇の母である建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受けた。その後、阿弥陀寺と称された。明治の神仏分離によりは阿弥陀寺が廃され、神社となり「天皇社」と改称した。
1940年、官幣大社に昇格し、赤間神宮に改称した。第二次大戦中、近辺地域が戦災に遭い、神宮も焼失した。戦後の1958年に、安徳天皇が海の都に住むような竜宮造り楼門等が再建築され、昭和天皇・皇后も通り初め参拝をされたという。
隣の社に「耳なし芳一」木像があった。琵琶の音色と源平物語を朗々と演じるテープが流れる。お詣りする若い母親が子供に「盲目の芳一は寺に引き取られた。琵琶が上手で壇ノ浦の合戦を語るのが得意だった。芳一に亡霊が憑き、お墓の前で壇ノ浦の悲劇を語っていた。和尚は心配し、亡霊除けにと芳一の身体にお経を書いた。耳を書き忘れ、亡霊に両耳を切られた」と説明していた。
高台の石段から唐戸市場と対岸の門司港が見える。観光客が大勢右往左往していた。

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