第68話 赤間宿の”ごえん工房”の開店  唐津街道

文字数 1,111文字

 赤間宿の須賀神社の方から宿場を下って行くと、古民家を改装した”ごえん工房”があった。中に入ると作業エプロンの60歳過ぎの田仲さんという男性が、質問に応じてくれた。明治初め頃の建築物であるが、持て余した家主は解体しようかと迷っていた。旧式の大きな建物は壁で3軒に間仕切りし、夫々所有されている。真ん中の家主が解体を考えられたが、金が掛かるし、放置していた。
 田仲さんは事情を知り「宗像を盛り上げたい。店を出したい」と熱意を持って訴え、家主を説得した。崩れそうな建物内部を500万円掛けて改装した。家賃は格安にして貰った。大きな黒い梁と柱のある 店内は懐かしい昔の空間が広がり癒される。
 田仲さんは佐世保出身だが、30年間宗像に住み仕事をさせてもらい、お世話になった。恩返しとして宗像の景気を盛り上げるのに一役買いたいと思った。
 10年前から宿場のことや江戸時代に関心を持ち、研究したそうだ。赤間の事情に詳しく、知識を披露してもらった。「農民は作った米を全部藩に提供し、自分たちは畑の粟や稗を、または畑の野菜や山で取れた物を食べた。1日2食で太陽が出てから、沈むまで、働いた。長男だけが家を継ぎ、二男以下は家を出ねばならない。やくざの世界へ行った者もいた。女性は結婚出来れば家に居れるが、そうでなければ奉公に出たり飯屋で働いた」と、江戸時代の裏話をしてくれた。
 近くに八所宮があり、イザナギとイザナミの命を祀ってある。神武天皇がこの近くに来た時、地元の豪族が赤い馬に乗って迎えに出て案内してくれたという。それから赤馬と名付けられ赤間に変化した。また宗教家の最澄が遣唐使で唐の国へ渡り、修行した間、白い馬を飼っていた。帰国する際、白馬は手放した。日本へ帰還する途中、船が難破した。苦難の時、羽を付けた白馬が最澄を迎えに来て、沖ノ島まで空を飛び送ってくれたという逸話もある。工房では店主が板材に馬の形を糸鋸で切り、地元宣伝の特産品として販売している。赤馬と羽の着いた白馬と、後ろ足を蹴上げた馬を作った。名前は負けるが勝ちという「馬蹴勝」と名付け販売する。
 今年の5月に開店したばかりだ。「人さまと御縁を持ち”ごえん工房”として宿場を盛り上げたいのだ」と言う。厳しい競争社会だが「馬蹴勝」という1500円の馬を買い、「踏ん張ってください」と言って店をでた。
 宿場通りでは建物を壊し空き地になっている所もある。なんとか古民家を残し、志ある人が商売を出来るような街に
育っていってほしいと思った。
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